February 2011アーカイブ

 〜〜〜芳弘を偲んで。みんな宇宙に咲くいのち

稲田陽子

 じあいネットが提供する今夜の「ガン呪縛を解く時間」(FM局カロスさっぽろでライブ放送)は、パーソナリティーを務めてきた稲田芳弘を偲びながら、大きないのちのつながりをふと発見できるようなそんな内容にしたいと、今日の進行役の沖田真琴さんは、意欲満々です。真琴さんにお話を聞くと、ゲストも多彩。「がんが消えた--ある自然治癒の記録」を著された寺山心一翁さんの電話でのご出演に始まり、その後は、サプライズゲストの方々のサプライズなトークが展開されるようです。さて、どんなトークが展開されるのか、どんなふしぎ空間ができるのか、興味津々です。
 広大無辺の宇宙を散策するように今夜は、「星に願いを」(芳弘のmixiのHN)かけながら、悠久のいのちのふるさとを想い、芳弘が今世で伝えたかったことにも何気なく思いを馳せていただければ、幸いと思います。
 レギュラー出演は、軽やかな語り口の孔雀さん。なお、同時ライブ放送は、じあいネットのHPから聴けます。放送は、今夜8時から。
以下をクリックしますと、ライブ放送が聴けます。
http://www.ji-ai.net/radio/

 


 

 

〜〜〜〜〜「じあい」と「共有」

稲田陽子

  真っ白い雲間から微妙なパステル色調を醸し出す青い空が絵のように広がり、その裾から天に向かうようにそびえる樹々の枝には降りしっきった雪の花たちがきらきらと日に輝き咲いている。これまでに見たこともないような色合いを見せる青と純白の混じりけのないコントラストに、天空の世界のイメージが呼び覚まされてゆくようだ。私の心とは裏腹に、ここには、哀しみも苦しみもない。ただただ美しく、心が浄化されてゆくだけだ。

 一面の雪の花を見上げていると、夫が闘病中のベッドから、雨上がりの窓に迫っている晩秋の庭の樹々に水滴が煌めいているのを発見し、「ほら、見てごらん」と、樹々を指差し、ふと元気が蘇ったように「きれいだね」と言ったのが思い出されてくる。もしも、元気だったら、その自然の営みをデジカメに収め、hpに巧みな表現力でその本質を浮き彫りにしたことだろう。しかし、多忙を極めた生活から離れ、病と共生していたからこそ、芳弘は、自然界では珍しくないその希有な美しさや静けさに気づいたのかもしれなかった。

 

 そのとき、私は何を思ったことだろうか。芳弘の言葉よりも、それ以上に芳弘が心身に抱えている苦痛のせつなさの方を感じざるを得ず、樹々が芽吹く春の到来の時期を思うとなぜか不透明な不安が脳裏をかすめるのだった。

 

 芳弘の闘病については、非常に現実的なことを書かなかればならない。それは、抗ガン剤・放射線治療を選ばなかった「患者」の宿命として、介護システムや緊急医療を含めた現代医療が抱える矛盾と課題のみならず、「代替医療」や「統合医療」にまつわる課題にも直面することになったからだ。夫に限らず、おそらく同じような課題を感じていた、あるいは感じているガン患者の方々がたくさんおられるのではないだろうか。こういうと大げさに思うかもしれないが、医療の現場では、「日本国憲法」など全く機能しないものなのだと、切実に感じることもあった。いったい何が調整されたり、改善されなければならないのだろうか。その詳細については、後日に譲りたいと思う。

 

 今日は、芳弘が自ら選んだ11日である。芳弘の初月命日であり、また、くしくもせっかくの誕生日でもある。やはり、現実から離れてもっともっとスピリチュアルなことを書こう。というのも、それこそ、真の現実であるとも思われるからである。

 

 実は、告別式の日の翌日、夫や私がカナダのガストン・ネサーンをともに訪ねた仲間の一人であるCNさんがパートナーと一緒に我が家を訪れた。

 

 夫がカナダに二回目の来訪をした年、彼女は、同じカナダ訪問団の同胞である萩原先生の前世療法を太平洋の空の上で受けたそうだ。つまり、飛行機の中で退行催眠に入り、そこでさまざまなヴィジョンと気づきを得たが、その後彼女の中の能力が開発されて、いまでは眠れる予言者(エドガー・ケイシー)のごとく、横たわったまま深い催眠に入って潜在意識からのメッセージを伝えることが出来るようになったというわけである。

 

 その彼女が、亡くなったばかりの夫の意識に入って、「共有」というメッセージをよこした。私は、いまでも立ち直れず、悲しみは哀しみに変わって、いつまでも尾を引いている。だから、そのときのメッセージは、折あるごとに思い起こし、蘇らせている。

 

 そんな日々のある朝の出来事について私は、CNさんにメールを送った。

 

「日々、寂しさが募るものです。

いままで考えたこともないような寂しさ、無念さ。

涙は、毎日です。

私には、夫が亡くなったこと自体を受け入れがたいのです。

信じられないのです。

 

でも、今日の朝、あることに気づきました。

芳弘と約束していたあるCDをかけっぱなしにしていたときに

またしても、私は、ひらめきで呼ばれて、二階に上がりました。

そして、もちろん、約束の曲が流れていました。

私は、芳弘の前に座り、じっと想いを感じようとしました。

すると、こんなことを感じました。

起こる運命にはすべて意味があるから、それを受けて共有する。

すべてを明け渡し、何も持たず、ただ明け渡す。

完全なる受動に見える、他力。十字架の苦しみも

それは苦しみではない。それは、神とともにある宇宙の共有感覚?であり、

自己犠牲ではない。愛という包み込み(?)。

すべての目的は、愛、共有、包み込む宇宙との一体感。自我はない。

苦しみも、自己犠牲ではない。自ら承認した愛の積極的なボランティア。

言葉にすると、こんな風になってしまうけれど、

このあいだ、CNさんが書いていたキリストの意味を思い出しています。

愛の自己表現ですね。

 

自我はない。

(略)

芳弘が今日私にひらめかせたことは、

運命を受け入れること、包み込むこと。

徹底した受動。明け渡すこと。

そして十字架を許し、受け入れ、すると、それを超える何かがあるのだろうか。

そこに見えるもの。それは何でしょう。私には、そこまで

答えが来ていません。

すべて決めて来た摂理?

 

そうやって、重荷を降ろし、希望すら見えるかもしれない、

というメッセージのようなものだけは感じました。

 

思いつくまま・・・

では、また、稲田陽子」

 

 

これに対して、彼女からの興味深い返信メールから一部抜粋してみたい。

「(略)

私が始めて稲田さんにお会いしたときを思い出しました。

初対面の印象は、物静かな方というイメージでした。

でも、お話すると、いままでに出会ったことのないほど、情熱的な人で、

考えられないほど、パワフルで、またユーモアも兼ね備えたひとでした。

 

稲田さんが、陽子さんや、ご家族、沢山の人にとって、どれほど大事な存在か

思い知らされます。

 

私も最近、『自我』とは何なのか?ずっと考えさせられました。

そして、催眠のテーマにして聞いてみました。

そうしたら、またもや、稲田さんの仰った『共有』という言葉を聞くことに

なりました。

 

共有ということが、ワンネスということなのだと思います。

稲田さんは、私たちに重要なキーワードを残していかれました。

全ての存在が『共有』しているのです。

しかし、私たちはそのことを忘れてしまい、『分離している』と

勘違いしてしまっているのだと思います。

 

稲田さんの仰った、『共有』がすべての答えなんだと、今感じています。

陽子さん、稲田さんは共有を伝えて欲しいと仰っていたのです。

(略)

私は、電気が走ったような気持ちです。

私にとってもそれが『答え』なのだと感じられるからです。

陽子さん、お2人にお会いできて本当によかったです。」

◯彼女の潜在意識からのメッセージは「ほらほらの世界」へどうぞ。

なかなか哲学的です。

http://saimin4.blog100.fc2.com/

 

 夫の意識に寄り添うと、どこかに「フランチェスコ」を主人公にした「ブラザーサンシスタームーン」という映画が思い出されてくるから不思議である。夫は、その中に出てくるワンシーンをとても愛していた。物質的な豊かさのすべてを捨てて、荒野に出たフランチェスコが何もない荒野に貧しい人々のコミュニティでもある教会を手作りしていくシーンである。そこに、ある障害があると思われる(夫はそういう印象だったようだ)少女が、何も手伝うことは出来ないが、ただ黙って微笑みフランチェスコが石を積み上げていく姿を見つめているのである。

 

 その無償の微笑みを夫は愛していた。そこにはすべてを包み込む「じあい」のスピリットが豊かに息づいているだけであり、ことによると少女は全く何の力もない「役に立たないもの」であると見られるかもしれないのに、その微笑みからは無償の愛のエネルギーがサンサンと降り注いでいるのである。

 

 これこそが、夫の語りたかった「共有」のスピリットであり、それは実は、夫がつくった「じあいネット」の精神そのものでもあるのだろう。とうとう実現しなかったが、夫が夢みた「酒呑童子村」構想も、同様である。乱暴な言い方をお許しいただければ、当時の権力者に疎まれた伝説の「酒呑童子」の真実の姿は、ある意味で、まさに華美なローマ教会時代に反骨し、本来のキリストの精神を取り戻そうとした「フランチェスコ」のスピリットにも相通じるものがあるのかもしれない。

 

 

 

 〜〜〜申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

稲田陽子
 
 夫、稲田芳弘の追悼DVD「ガン呪縛を解く」「不安呪縛を解く」は、在庫切れになりました。手作りのため量販しておりませんでした。現在追加しているところですので、いましばらくお待ちいただければ、と思います。たくさんのご注文をありがとうございます。

 芳弘の昇天は、本当にいまでも信じることができません。昨年末も、「来年は活動するから、早く治すよ」と、いつも辛いなかにも「楽天的に」話していたほどだからです。これも、介護の私を安心させるためだったのかもしれません。ラジオ放送「ガン呪縛を解く時間」も、「芳弘の介護をするから、今日は出たくない」という私の背中を押すように、もしも私が休んだら、ガンの患者の人たちを不安にさせるから、絶対に出るように、と言って、譲りませんでした。

 そんな芳弘に、ご会葬、ご来訪、またお心のこもったお手紙やメールを含めて、全国そして海外からも多くの方々のお悔やみをいただきました。本当にありがとうございました。今回は、DVDをインターネットでお申し込みいただいた方々のメッセージを少しご紹介させていただきます。

 「昨年『ガン呪縛を解く』を読み、慈愛ネット放送もすべて聴かせていただきました。稲田さんの思いがつまった中身の放送内容で感激しました。稲田さんのご回復を心から期待していただけに、訃報に接しとても残念です。ご冥福をお祈り申し上げます。稲田さんのカタカムナへの熱い想いも学ばさせていただきたいと思います」

 「稲田さんの訃報に接し、『お疲れさま』でしたと申し上げたい気持ちです。ご自分のニードを脇に置かれて、同時代を共有する仲間のそれを優先されたのだと。沢山の気づきと愛に生きることの大切さを学ばせていただきました。こころから感謝しております」

「この度は、稲田芳弘さまのご訃報を衝撃をもって受け取りました、心からのお悔やみを申し上げます。まだまだ、いえ、もっともっと活躍いただきたかったのですが。ここ米国では、人々の健康を損なう恐ろしい悪法が通ってしまい、前途多難な行く末を感じておりますが、諦めるわけにはいきません。稲田芳弘さまの灯された光を身近なところから広げて行く役割を、ささやかながら担わせていただきたいと思っています」

「稲田陽子様 ご主人のご訃報をお知らせ頂いてから毎日ラジオ放送を聴いています。陽子さんがおっしゃられるようなことを感じていました。稲田さんはご自分のお命を削ってまでも癌の患者や、私のような家族の苦しみをシェアしてくださったと思います。まだまだ稲田さんのお話をお聞きしたかった、完治してほしかったと思いますが、本当に意味があったのでしょう。ありがとうございます」

「稲田さんからたくさんのことを教えていただきました。膵臓がんになった夫にも稲田さんのお話を是非聴かせたいと思っております」

「謹んでお悔やみ申し上げます。糖鎖以来私の導きの星でした。『起きることはすべてに意味がある』は、肝に銘じています」

「稲田さんが亡くなられたことは大変驚きました。大阪で2年前にセミナーに参加した時はお元気で完治したのではないかと思っていました。癌呪縛の本は患者さんたち、進めています。貸し出しもしています。カタカムナのDVD楽しみにしています」

「お世話になります。これからも『実体に戻った稲田さん」にいろいろ教えていただきたいと思います。宜しくお願いいたします」

「突然のことでとても驚いています。1月19日にCreative SpaceのHPをひらいたときは、目を疑うばかりでした。ご夫人ご家族の皆さまにおかれましては、心よりお悔やみ申し上げます」

「このたびの訃報をお悔やみ申し上げます。私の妻も昨年7月に無医薬を通し続けて帰って行きました。稲田さんは栃尾高校の大先輩だったんですね。しかも、桐生源一氏の本を心に添えていたという。岩野神社、蔵王権現、秋葉三尺坊・・・共通するところがありました。たった一度だけお電話でお話出来たことは幸いでした。あちらにいる妻も稲田さんのネットラジオをほとんど聴いていたと思います。(私が聴いていたから)栃尾に来たときは蔵王社や茨城童子の稚児清水、酒呑童子の地国上山などご案内しますよ」

「稲田陽子様 今でもまだ信じられません。もう、稲田さんとお話できないのかと思うととても残念です。でも、つくづく想うことは稲田さんに出会えて、私はすごく豊かになりました。がん呪縛に出てきた書籍はほどとんど読みましたし、稲田さんを通じてたくさんの方とも出会いました。千島学説と出会えたことも、本当に大きな喜びです。感謝の気持ちでいっぱいです。私もこの3年で大切な人をたくさん見送りましたが、あちらでまた合えると想うと、楽しみだとも思えます。ご挨拶が遅くなり、申し訳ありませんでした。今後ともよろしくおねがいいたします。

「生前直接お話をうかがうことができませんでしたが、稲田様の意思を学んでみたいと思います。ご家族の皆様・お忙しい日々・・と思いますが、時々は体を休めてくださいね」

「お悔やみ申し上げます。大変残念です。せめて生前の稲田氏の講演の有様を拝見し、追悼したいと思います」
ご同様のメッセージを多数いただきました。ありがとうございました。

 昨秋「がんは誰が治すのか」の著者である松野哲也さんとその著書にいつも登場する霊能者でセラピストの小山みかさんが夫のお見舞いに来てくださったことがありましたが、そのみかさんが、メッセージをインターネットに公表しています。みかさんによれば、むしろ芳弘は別の生命力が強く目をきらきらとひときわ輝かせて話をしていたのが印象に残っているそうで、夫は今世を離れてもなおそれは変わらず、いまも活き活きと活きているのを感じると書かれています。こちらに見えたときも、「今世の世界でまだやり残したことがあれば、治りますが、そうでなければ・・・」そんなことをおっしゃっていたのを覚えています。
 
同じようなメッセージは、葬儀でお経をお願いした浄波良法の松本光平さんからもいただいており、とても不思議な気がしています。「稲田さんは、病気で亡くなったのではありません。精一杯生きて、完全燃焼した『第三の定命』でした」と。

 芳弘は、まだ来ぬ新しき時代へ「呪縛を解く」ための種を撒きに来たのだと思います。それにしても、「ガン呪縛を解く〜千島学説的パワー」を出版以来のこの5年の間に、医師や看護師の方からの少なからぬアプローチがそれも珍しくなくあり続けたのは、時代が少しずつ変わってきている証拠と言えないでしょうか。おそらく潜在的には、大きなうねりがすでに産まれているにちがいありません。

 なお、DVDのお申し込みは、以下から引き続きできます。
http://books.creative.co.jp/

 

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