いろんなことを思い、そのたびにうなづきます。
「うん、そうなんだよね」と。
そして、心から納得できたことだけをやっていく。
それが必要なんだろうと、つくづく思います。
先日(10日)、久しぶりに書き込みました。
最近の世相の動き(空気)に対して「感じる」ことを…です。
その日は、妹の命日でした。
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だから本当は、続けて「妹のこと」も書くつもりでいたのですが、
結局は果たせず、そのまま今日に至ってしまいました。
今日、と言ってももう日付が変わって昨日になってしまいましたが、
またひとつ「訃報」が届きました。
このところずっと気になっていた方の訃報でした。
人間ですから、やっぱり一時的に落ち込みます。
というより、ゆえ知れぬ「無力感」に襲われます。
ぼくが初めて「死」を身近に感じたのは「妹の死」の時でした。
「人が必ず死ぬ」のは、頭では分かっていても、
まさか自分のごく身近でその死が起ころうとは思ってもいませんでした。
それはぼくが高校2年の3月10日の出来事でした。
その同じ年の夏、続けて祖母が亡くなりました。
妹が亡くなったとき「代わってあげたかった」と泣き続けた祖母でした。
妹の死からいろんなことを真剣に考え始めたぼくは、
その年の夏休み、突然一人で新潟&長野の山歩きに飛び出しました。
何しろ遠い昔のこと、コースはもうほとんど忘れてしまいましたが、
志賀高原を中心に野尻湖、黒姫山、妙高山辺りをうろついたのです。
宿泊は駅のベンチやスキー場のリフト小屋(無断使用〈笑〉)などで、
列車を使った以外はほとんど自分の足で歩き回りましたから、
いわば「ほぼ無銭旅行」に近い、かなり乱暴な一人旅でした。
このときの旅の目的は「旅そのもの」にはなく、
とにかく一人っきりになって「何かを考える」ことにありました。
そのときも「うん、そうなんだよね」と自分に相づちを打ちながら、
いろんなことをひとつづつ確認していたように思います。
たとえば、リフト小屋で周辺の不気味な笹の音に怯えて夜を明かした後、
翌朝の明るい日の出に「ありがたいものだなぁ」と心からホッとしたり、
山道で出会う人々の「こんにちは!」の言葉に励まされて、
「うん、そうなんだ。誰かと出会うだけでもハッピーなんだ」と思ったり、
「こんにちは!」のたった一つの短い山言葉が、
人間に対する深い信頼感を生み出してくれることを知りました。
その意味で、高校3年の夏休みの一人旅は、とても意味深いものでした。
ところがその期間中、祖母は心配のあまり仏壇の前に座りっきりだったようです。
妹が亡くなった直後の「ぼくの旅」に、祖母は仏前で祈り続けていたそうです。
そして、ぼくが無事に帰宅したその直後、祖母は意識を失って倒れ(脳卒中)、
その数日後には亡くなってしまったのでした。
妹の死に続いて、祖母の死…。
考えてみれば、ぼくが心配させたことも一因となり祖母は倒れました。
そのとき、とり返しのつかない責任感のようなものを感じざるをえませんでした。
こうしてその年は続けて二人が亡くなって、8人家族が6人となりました。
そして、高校2年から3年にかけてのこうした体験とその後の思索の旅が、
ぼく自身の人生を大きくシフトさせてくれることになったのでした。
その後も、たくさんの「死」に出会ってきました。
そのたびに、「うん、そうなんだよな」とさまざまな悟りに至らしめられました。
しかし、まさか、ぼく自身がガンとなり、
「ガン患者とのつながりの渦」のただ中に身を置こうとは思ってもいませんでした。
ガン患者さんの多くが末期ガンであり、そのつながり方も当然濃密です。
しかも、気になっていた方の訃報が舞い込みます。
そのことに、いったいどんな意味があるのでしょうか。
なんの因果で、ぼくには訃報が次々と届くのでしょうか。
どんな人にもその人生にはそれなりの訃報がつきものでしょうが、
ぼくの場合は「一般レベル」を越えているように思います。
そこにはきっと、何か大きな意味があるのだと思います。
その「意味」についてはまだおぼろですが、
「死」を考えさせられるということは「生きる意味」を考えることと同義です。
実際、「大切な人の死」に際し、必ずそれを原動力として生きてきました。
そうすることが何よりも大切な供養と考えてきたからです。
いまも、「気になるつながり」が多々あります。
その中の幾人かからは、希望と喜びの波動が伝わってきていますが、
まだまだ安心できない方もたくさんおられます。
こうした方々に対しては、全く個人レベルでそれなりに対処してきました。
しかし、「それなりに」ではやっぱりいけないのだと思います。
せめて「思い」の中だけでもベストを尽くしたいと思います。
とは言っても、ガンを発症したのは、結局その人の問題です。
だから「その領域」には、誰も関与することができません。
しかし「関与」はできなくても「サポート」くらいはできます。
ここのところが非常に微妙なのですが、できることは多々あるような気がします。
ということで、ここ最近、いろんなことを考える中で、
「うん、そうなんだよな」と思うことがまたひとつありました。
それは「じあいネット」のあり方に関してです。
「じあいネット」は本当はNPO化を目指してスタートしながらも、
その負担に耐えきれず、結局は「個人的」なもので終始していました。
しかし「じあいネット」でやれることは、まだまだあります。
そこで、これ以上「悲しい訃報」に接せずに済むためにも…と、
いま「自愛・慈愛・知愛・地愛・時愛」の具体化を再考し始めています。
ガンでなくても、人は生まれてきた以上必ず死にます。
必ず死ぬ以上は、その瞬間までに「人生の意味と目的」を結実すべきでしょう。
このように思ったのは、実は、ぼくが高校3年の秋のことでした。
二人の家族の悲しい死を体験して、あれこれと考え続けた結果、
ふと、そんなことが頭にひらめいたのでした。
その数年後に、ぼくは楢崎先生(カタカムナ解読者)に出会い、
千島喜久男先生による「千島学説」を知りました。
「新しき村」の武者小路実篤翁の自宅を訪れて学んだのもその頃のことですし、
村山節の「文明の法則」を学んだのもそれから数年後のことでした。
それらのすべてが、なぜかいまぼくの中で「融合」し始めています。
遠い昔の「高3時のひらめき」が、いま現実味を帯びてきているのです。
ということで、これからは、これまでに温め続けてきたものを、
少しずつここで書かせていただきたいと思っています。
「ガン呪縛を解く」ことは、実はほんの入り口に過ぎず、
そしてその出口は「真の自由人」に回帰することです。
少なくてもいまのぼくは、「人生の結実」のひとつをそのように考えています。
稲田芳弘
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