〜講演会からのメッセージ
・・・・・稲田陽子
この岡野さんの話を受けるように、柴田久美子さんは、介護施設で働きながら、病院で望まないチューブにつながれてその最後を終える高齢者たちの姿を目の当りにし、生命の尊さや愛が失われているのではないかと大きな疑問を感じてきたと言う。
そのため、柴田さんは、高齢者を「幸齢者」と呼んで、在宅で看取りをする大切さを訴え、自らは「知夫里島」という島根県の離島に高齢者の介護施設であるNPO法人「なごみの里」を開設した。その講演の中で、「死とは、体が見えなくなるだけ。魂は永遠にあるもの。それなのに日本社会ではどうして死を忌み嫌い、排除するのでしょうか」と、切々と語った。
確かに「死」は、日常から切り離され、病院の中の出来事になっている。柴田さんは、有料介護施設で働いていたころの経験から「たとえ介護条件の整った高額な介護ホームなどの個室に入所して望み通りの老後を送ることができても、いったん病気になってしまえば、病院と同様共同部屋に『隔離』され、最後は、どの介護施設も同じだが病院に移されて過剰な医療管理の中で亡くなるケースが一般的だ」と、話す。
そうした高齢者の一人で、柴田さんがケアをしたある元弁護士は、「病院で延命の管につながれて死にたくない」「柴田さんのいるホームに帰りたい」と見舞うたびに柴田さんに訴えた。柴田さんは、心の中で謝りながらどうすることもできず、毎日その高齢者を見舞いに病院に通った。結局、病院での死を心に焼き付けることになり、そのとき、「ここは私のいる世界ではない」と悟った。
人生の最後の大切なイベントは、こんなはずではなかった。柴田さんは、「人生の99%が不幸でも、最後の1%が幸せなら、人は幸せなのだ」というマザー・テレサの言葉を胸に、とうとう無医村の離島「知夫里島」に渡った。
そこでは、高齢者たちは、医療を求めて、泣く泣く島を離れなければならなかった。
そんな医療のない離島だが、柴田さんの「なごみの里」の高齢者は、最後まで島を離れずに、自由に暮らしを楽しみながら、柴田さんら介護者のケアを受ける。その「死」は、看取師・柴田さんの愛に満ちた看取りのなか、本来の尊い自然がもたらすものとなった。それは、まさに、人々の「死」に仏性を取り戻す行為であった。
柴田さんがこの世界に飛び込んだのも、ご自身の辛い体験があってこそだ。年収2000万円のキャリアウーマンだった柴田さんは、家、車、別荘と、経済的には何不自由もなかったが、幸せは、お金では買えるものではなく、「睡眠薬を飲んだ」こともあったという。その辛い日々のある一瞬に、「愛こそが生きる意味だ」と、天の声を聞いた。それが、すべての始まりだった。
こうして介護の世界に入り、さまざまな学びをしながら、柴田さんは、思う。「人は、互いに支え合って生き、支え合って死んでいける社会こそが必要だ。看取りは、永遠の命に帰っていく人々から愛のエネルギーを受け取る命のリレー。そんな幸せに死んでいける社会をつくりたい」
「幸齢者さん」の魂が永遠の世界に帰った「その辛い日」は、「ありがとうございます」を100回唱えるのだという。看取りのときは、「柴田久美子」個人を最大限にけずり、ただあたたかい春風のような存在になって、「幸齢者さん」の魂に寄り添うのだという。まさに、柴田さんは、「天使」的な役割を担っているのかもしれない。
この姿勢も、自らの体験が生み出したものだ。それは、柴田さんが子どものころに遡る。小児喘息で死にかけた娘の自分を母親が一晩中一睡もせずに看病し、ずっと抱きしめていた様子を天井からすべて見ていたのだという。これは、「臨死体験」とも言えるものだが、そのとき、柴田さんは、一生懸命母親に向かって、「大丈夫、私は、大丈夫。苦しくないよ」と、呼びかけ続けていた。その体験が、死は恐いものでも苦しいものでもなく、体から離れるだけのことであり、魂は永遠のものだということを実感として感受させることになった。
「幸齢者さん」を「抱きしめて、その人の魂に寄り添って送りたい」と思い、実践するようになったのは、この原体験があってこそだった。
尊い自然の力にゆだねたその「幸齢者さん」からメッセージを受け取ることもある。それは、「死は解放であり、魂は永遠に生きている」というものだそうだ。
そうした死を嫌う日本でみながともに「生きる」ための「命のリレー」を行うのは、人として最も尊い使命なのだと、柴田さんは考え、現在、とくに在宅での看取りを勧め、実践している。
「なごみの里」は、離島を離れ、島根県出雲市や江津市で模索しながら活動をしている。


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