March 2010アーカイブ

 ずっと前から「言っておかなければならい」と思いながらも、

ついついそのままになってしまっていたことがあります。

 

それは、五木寛之・帯津良一対談集『養生問答』の中で、

帯津医師が語っている発言に関してです。

 

実は、この本のこと、ぼくは全く知りませんでした。

作家の五木寛之さんも、帯津医師も非常に知名度の高い人ですから、

その二人の『養生対談』ともなれば、当然多くの方に読まれます。

その意味で、この本の影響力には絶大なものがあるようです。

 

実際、たしか1ヶ月以上前だったと思いますが、

(つまり、この本が出版された直後のこと)、

ある方から、次のようにぼくに電話が入りました。

 いろんなことを思い、そのたびにうなづきます。

「うん、そうなんだよね」と。

そして、心から納得できたことだけをやっていく。

それが必要なんだろうと、つくづく思います。

 

先日(10日)、久しぶりに書き込みました。

最近の世相の動き(空気)に対して「感じる」ことを…です。

 

その日は、妹の命日でした。

http://www.creative.co.jp/top/main3643.html

http://www.creative.co.jp/top/main3232.html

だから本当は、続けて「妹のこと」も書くつもりでいたのですが、

結局は果たせず、そのまま今日に至ってしまいました。

 〜講演会からのメッセージ 

・・・・・稲田陽子

 この岡野さんの話を受けるように、柴田久美子さんは、介護施設で働きながら、病院で望まないチューブにつながれてその最後を終える高齢者たちの姿を目の当りにし、生命の尊さや愛が失われているのではないかと大きな疑問を感じてきたと言う。 

 そのため、柴田さんは、高齢者を「幸齢者」と呼んで、在宅で看取りをする大切さを訴え、自らは「知夫里島」という島根県の離島に高齢者の介護施設であるNPO法人「なごみの里」を開設した。その講演の中で、「死とは、体が見えなくなるだけ。魂は永遠にあるもの。それなのに日本社会ではどうして死を忌み嫌い、排除するのでしょうか」と、切々と語った。 

 確かに「死」は、日常から切り離され、病院の中の出来事になっている。柴田さんは、有料介護施設で働いていたころの経験から「たとえ介護条件の整った高額な介護ホームなどの個室に入所して望み通りの老後を送ることができても、いったん病気になってしまえば、病院と同様共同部屋に『隔離』され、最後は、どの介護施設も同じだが病院に移されて過剰な医療管理の中で亡くなるケースが一般的だ」と、話す。 

 そうした高齢者の一人で、柴田さんがケアをしたある元弁護士は、「病院で延命の管につながれて死にたくない」「柴田さんのいるホームに帰りたい」と見舞うたびに柴田さんに訴えた。柴田さんは、心の中で謝りながらどうすることもできず、毎日その高齢者を見舞いに病院に通った。結局、病院での死を心に焼き付けることになり、そのとき、「ここは私のいる世界ではない」と悟った。 

 人生の最後の大切なイベントは、こんなはずではなかった。柴田さんは、「人生の99%が不幸でも、最後の1%が幸せなら、人は幸せなのだ」というマザー・テレサの言葉を胸に、とうとう無医村の離島「知夫里島」に渡った。 

 そこでは、高齢者たちは、医療を求めて、泣く泣く島を離れなければならなかった。 

 そんな医療のない離島だが、柴田さんの「なごみの里」の高齢者は、最後まで島を離れずに、自由に暮らしを楽しみながら、柴田さんら介護者のケアを受ける。その「死」は、看取師・柴田さんの愛に満ちた看取りのなか、本来の尊い自然がもたらすものとなった。それは、まさに、人々の「死」に仏性を取り戻す行為であった。 

 柴田さんがこの世界に飛び込んだのも、ご自身の辛い体験があってこそだ。年収2000万円のキャリアウーマンだった柴田さんは、家、車、別荘と、経済的には何不自由もなかったが、幸せは、お金では買えるものではなく、「睡眠薬を飲んだ」こともあったという。その辛い日々のある一瞬に、「愛こそが生きる意味だ」と、天の声を聞いた。それが、すべての始まりだった。 

 こうして介護の世界に入り、さまざまな学びをしながら、柴田さんは、思う。「人は、互いに支え合って生き、支え合って死んでいける社会こそが必要だ。看取りは、永遠の命に帰っていく人々から愛のエネルギーを受け取る命のリレー。そんな幸せに死んでいける社会をつくりたい」 

 「幸齢者さん」の魂が永遠の世界に帰った「その辛い日」は、「ありがとうございます」を100回唱えるのだという。看取りのときは、「柴田久美子」個人を最大限にけずり、ただあたたかい春風のような存在になって、「幸齢者さん」の魂に寄り添うのだという。まさに、柴田さんは、「天使」的な役割を担っているのかもしれない。 

 この姿勢も、自らの体験が生み出したものだ。それは、柴田さんが子どものころに遡る。小児喘息で死にかけた娘の自分を母親が一晩中一睡もせずに看病し、ずっと抱きしめていた様子を天井からすべて見ていたのだという。これは、「臨死体験」とも言えるものだが、そのとき、柴田さんは、一生懸命母親に向かって、「大丈夫、私は、大丈夫。苦しくないよ」と、呼びかけ続けていた。その体験が、死は恐いものでも苦しいものでもなく、体から離れるだけのことであり、魂は永遠のものだということを実感として感受させることになった。 

 「幸齢者さん」を「抱きしめて、その人の魂に寄り添って送りたい」と思い、実践するようになったのは、この原体験があってこそだった。 

 尊い自然の力にゆだねたその「幸齢者さん」からメッセージを受け取ることもある。それは、「死は解放であり、魂は永遠に生きている」というものだそうだ。 

 そうした死を嫌う日本でみながともに「生きる」ための「命のリレー」を行うのは、人として最も尊い使命なのだと、柴田さんは考え、現在、とくに在宅での看取りを勧め、実践している。 
  
「なごみの里」は、離島を離れ、島根県出雲市や江津市で模索しながら活動をしている。

 〜講演会からのメッセージ 

・・・・・稲田陽子

 人間の一生のうちで最も大きなイベントに数えられるのが、誕生とその人生の終焉だと言える。誕生も死も全く両極端に思われがちであるが、実は、この両者は、密接に繋がり合っている。生命力が湧き出すのが誕生なら、その終わりは生命力が枯渇される死として捉えられるのは事実だが、実は、この二つのものはイノチという根源で一つのものとして考えることはできないだろうか。 

 そうした意図で開催されたのが、「輝ける誕生と尊い死」(2月20日)という講演会(主催/あいあむネットのさとうゆほさん)であった。 
http://www.creative.co.jp/top/main3826.html 
http://www.creative.co.jp/top/main3825.html 
天使大学非常勤実習指導員で助産師の岡野眞規代さんとNPO法人「なごみの里」を運営する看取師の柴田久美子さんが、誰でもが等しく体験する生命の営みをそれぞれ別な視点からお話しされた。 

 岡野さんは、自然な分娩を推奨する吉村医院クリニックの院長である吉村正さんの実践と哲学に学び、吉村さんの経営する「お産の家」での体験を中心に、現代科学万能思想が生み出した病院でのお産のあり方に疑問を投げかけた。 

 病院のお産と言えば、医療の関与の必要のない妊婦までもが、その管理を受け、自然と切り離されたカタチでの分娩にならざるを得ないのが現状だ。確かに何か不測の事態があったときのためには安心だという安全弁のような感覚を妊婦や家族が持つのは、ある意味で当然のことである。しかし、それにしても健康で問題のない女性たちが安易に医療管理に制約されてしまう社会構造そのものに問題は潜んでいないのだろうか。 

 1950年代ぐらいから、病院のお産が始まったと岡野さんは言う。それまでは、自宅などでの出産が主流を占めていた。戦後、アメリカのスタイルがすっかり定着して、いつの間にかお産は病院のものになってしまった。それは、母親になる女性の「本来の自然が育んだ女性性」をやはり疎外することにも繋がっているというのが、岡野さんが師と仰ぐ吉村さんの論である。 

 生まれてくる赤ちゃんは、では、どうだろう。これにも両者の間に大きな違いがあるのだという。病院とは違い、神々しいまでの自然の生命力が湧き出すような出産ができる「お産の家」では、生まれてきた赤ちゃんは、みなとても生命力が強く、泣くのも数回に留まる。さらに生まれた直後なのに目がぱっちりと開かれて「目力」があり、お母さんの目をしっかりと見つめるのだそうだ。 

 病院では、こうはいかない。蛍光灯などの人工灯に照らし出された乳児室に母親から切り離された何人もの赤ちゃんが一緒に寝かせられ、しかも目はつむられたまま、とにかく泣き続けるのが一般的な光景である。もっとも、生まれてすぐに赤ちゃんを母親に抱かせて、短時間の添い寝などをさせたり、母子同室制の病院もあるが、たいていは、授乳時以外は母子は別々にさせるのが定番になっている。 

 ところが、お産の家で生まれた赤ちゃんは、生まれてすぐに母親の胸に抱かれて寝かされるので、泣くこともなくとても安らいでいるのである。赤ちゃんの目は、30センチまで見えると、岡野さんは語る。それは、「お母さんと対面したときにちょうどお母さんの顔が見える距離」だということでもあるから、自然の摂理は良く出来ていて、不思議なものである。 

 こうして医療関与のない自然な出産は、母親にも赤ちゃんにも安らぎがあり、愛情の分断が起きにくい。人間の土台は、受精から三才くらいまでが最も大切だというのが、お産の家のポリシーである。つまり、妊娠から出産までの時期、そして、母親との密接なつながりが必要である三才までの時期こそが自然なる母子の黄金期であるわけだ。 

 こうしたお産を成就させるために、お産の家は、いわゆるパワースポットを連想させるように大自然の恵みを感じさせるところに立地している。家屋も、日本古来のスタイルで、出入り口も段差があったり、頭がつかえるなどわざわざ危険をそのままに放置して、妊婦たちの生命力に刺激を与えている。昔懐かしい骨董品なども愛用されており、生活スタイルそのものが、古き良き時代にタイムスリップしたような錯覚に陥らせるのである。そうした環境のなかで、健康なら臨月まで平気でやり遂げられる薪割りや水汲み、廊下の水拭きなども仲間たちと行う楽しい日課の一つとなっている。早朝の山登りも、不安なく行われるそうだから、自然の生命力が持つ本来の姿は、想像を超えるものを秘めているようである。 

 岡野さんは、お産の家を創始した吉村正医師から、生命力を疎外しない昔ながらの自然なお産は、生まれてきた赤ちゃんのその後の生き方、さらには死に方にまでも影響を与えるのだと、教えられた。「助産師になって病院に勤めはじめたころ、卵巣がんなどで患者さんが病院で亡くなっていくのをよく目にしていた。まさに誕生と死の現場で、どんな死を迎えるのがいいのか、考えさせられ、当時からホスピスにも関心があった」と、岡野さんは、人間が生まれ、生き、やがて死を迎えるそのあり方に深い眼差しを向けている。 

つづく

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