去年の12月にあわてて書き送った原稿が、印刷されて送られてきました。
読みながら、最後のほうで書いた「ピュアな感性」という言葉にハッとしました。
このときは、たぶん「カタカムナ」のことが意識されていたのだと思います。
そのころは、ちょうど『カタカムナへの道』の編集で追われていたからです。
話は飛びますが、運転しながら聞いた昨夜の「ラジオ深夜便」で、
作詞&作曲家の小椋佳さんが「2010年=言葉の復権元年」のお話をしていました。
しかもそこでは「宗教を超えた人類文化」への回帰が語られていましたから、
小椋佳さんはたぶんそのピュアな感性で、来るべき時代を直観していたのでしょう。
「ピュアな感性」とは、言葉が本来持つ響きの潜象物理と共鳴することです。
そのときに言葉は宇宙的なハタラキを回復し、本来のチカラを発揮します。
言葉に乱れは、意識や思念の乱れから来るものであり、
そうした言葉には、本来の宇宙的なハタラキもチカラもありません。
それはただ喧噪の世界を増幅拡大するばかりで、不安と混乱が渦巻くだけでしょう。
いまはまさにそうした時代であり、言葉がすっかりイノチを失っています。
それだけに小椋佳さんが言う「言葉の復権」が必要であり、
そのためには「ピュアな感性」を蘇らせることが必要でしょう。
その意味でも、佐々木先生の作品は大きな意味を持っているような気がします。
一気に書きあげた原稿の最後に、ぼくは次のような言葉を添えました。
佐々木作品の前に立つと、誰もがピュアな感性を呼び戻すことができる。
それも氏が、
大自然(宇宙)のいのちの息吹を現代人の魂に呼び戻してくれる「中空の笛」だからであろう。
中空の笛の響きが、悲しみや苦しみを溶解させ、清々しい美の感動にいざなってくれる。
原稿の行数が迫ってきたこともあり、かなり抽象的な表現をしてしまいましたが、
いまの時代に不可欠なのは、まさに「複雑に歪んだ感情や意識を溶解」させ、
そして「清々しい美の感動」に心の底から内震えることではないでしょうか。
その意味で、いまの時代にこそ佐々木作品が大きな意味を持つというのに、
佐々木画伯の代表作(約1000点)を収蔵した「JR釧路駅のギャラリー」は閉鎖され、
そのすべての作品がご自宅にそのまま収納(封印)されてしまいました。
もしもぼくにチカラがあったなら、どこかに「佐々木作品の宇宙」を再現させたい。
その空間が、多くの人々にピュアな感性を呼び戻してくれるであろうと思うからです。
しかし、佐々木作品の新しい行き場を模索してきた方の話によれば、
美術館も企業も、佐々木画伯の知名度にまず引っかかり、足踏みをするとのことでした。
たしかに佐々木画伯の名は決してポピュラー(有名)ではありません。
その理由は、佐々木先生があえて自らの名を社会に出すことを避けてきたからです。
佐々木先生は、画家として有名になることなどは決して願わず、
ただひたすら大自然の息吹き、生命のチカラ、宇宙の響きを作品に表してきました。
いくらお金を積まれても、意に反することには決してくみしませんでした。
たとえば釧路空港の巨大な空間に湿原の作品を美術陶板として掲げたいと頼まれたとき、
佐々木先生はいとも簡単に断ってしまいました。
作品の版権を渡すだけで1000万円単位のお金が入り、しかもその名が高まるというのに、
作品を陶板化してしまっては、大自然のイノチが伝わらないと判断したからのようです。
釧路空港のこの企画にはぼくの知り合いも関わっていましたので、
彼は「ぼく経由」で佐々木先生を説得しようと企図して相談にやってきました。
しかし先生は、お金にも、知名度の向上にも全くなんの関心も示さず、
ただ笑って「そんなことには何の興味もないよ」と断ってきたのでした。
その後も西武グループから「おいしい話」が持ち上がって何度もアプローチがかかり、
それに乗ればお金も知名度もぐ〜んとアップするというのに、
佐々木先生はといえば、全く相手にもしませんでした。
そんなお姿を間近に見て、さすがにぼくは「う〜ん」と唸りました。
そして、ますます大好きになってしまいました〈笑〉。
このように、佐々木先生が願っていたのは「有名」になることでも「商売」でもありません。
だからこそ、しつこく取り巻く画商たちをいつもあっさりと追い払い、
自分の絵に何かを感じ、大自然のイノチを求める者だけに直接絵を売ってくれたのでした。
「美術館も企業も佐々木作品を引き取ることに足踏みしている」と聞いたとき、
その姿勢に、正直、ぼく自身は大きな失望感を感じました。
「美術館」とは、単なる人集めのためのビジネスでしかないのか。
それ以前に、美術館のスタッフは佐々木作品を自分の感性で味わおうともせず、
単なる知名度で評価して、それ以上何も考えないとはなんたることか。
だとしたら、よ〜し、こちらで新しい行き場を作り出そう!
そうは思ったものの、その余力もチカラもありません。
しかし佐々木作品は、言葉と感性が淀んでしまったいまこそ必要なものだと考えます。
(読者の中で、何かいい方策をお持ちの方がおられましたら、ぜひメールください)
佐々木先生のことを書き出すと、どんどん言葉が湧き出してきます。
それも佐々木先生とその作品が、あまりにもパワーに満ち満ちているからです。
考えてみたら佐々木先生こそが「真の"現代のカタカムナ人"」なのかもしれません。
それも、全くの自然体にして、「中空の笛」に徹しきっているからです。
だからこそその作品には癒しの力があり、その言葉が人を幸せにしてくれるのかもしれません。
申し遅れましたが、佐々木先生は「画家」であるだけでなく「作家」でもあります。
特にその代表作『白いオピラメ』は学校推薦図書にもなっているくらいの素晴らしい本です。
「オピラメ」とは「幻の魚イトウ」のアイヌ語であり、
佐々木先生は画家や作家である以前に「野人」であり「自然児」でした。
だから「天才的な釣り人」として多くの人々に知られ、
作家の開高健や白洲正子などは、その弟子とも言うべき者たちです。
あっ、いけません。
このまま書いたら終わるところを知れません。
ということで、『北方圏』に書いた短い原稿を以下に転載してみますが、
正月早々この季刊誌が届き、改めて読むことができたことに深い意味を感じています。
というのも、今年のテーマは「言葉のチカラ」と「ピュアな感性」だろうと考えているからです。
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「湿原の旅人・佐々木榮松」 ……… 稲田芳弘
人との出会いがそれぞれの人生模様を紡ぎ出し、
人生に香りと生きる意味を醸成してくれたりもする。その意味で、どんな人にも
決して忘れることのできないかけがえのない人物というのが何人かいるはずだが、
ぼくにとっての佐々木榮松さんは、まさにそうした人物の一人である。
というのも、佐々木画伯は「生の根源」を絶えず意識させてくれた方だったからである。
自らの生き方、考え方をさり気なく示すことによって、また多くの作品を通して、
佐々木榮松は「人生と自然の摂理の根源に存在して働く力」を感じさせてくれた。
だからこそ、ただ対座しているだけで、あるいはいっしょに歩いているだけで、
不思議な安堵感と勇気、希望が与えられたりしたものだった。
それは、佐々木作品を観る多くの者にも共通するものだった。
ちなみに長く精神疾患に苦しんできたある人は、佐々木作品の前に身を置いたとたん、
不思議なエネルギーを感じて内なる感情のしこりがほぐれていくのを感じ、
そんな対面を繰り返しているうちにすっかり元気になってしまった。
またある医師は、佐々木画伯の絵の前で毎晩日々のストレスを溶かし去ったという。
これらは決して希有な事例ではない。
佐々木作品には、目には見えない不思議な何かが籠められている。
いったい、なぜなのだろうか。
この問いに対するヒントが得られたのは、佐々木画集の編集を引き受けた際、
「パルマイ湿原」と呼ぶ秘密の場所に案内してもらったときだった。
そのとき、
「ここだけが原始の表情を残している。
ここに立つと原始のエネルギーが感じられる。
実はここが私の湿原の絵の原点」と佐々木先生はつぶやいた。
その丘からは左手彼方に湖沼の入江が見え、
そこから湿原の川が美しく湾曲して右手前に延びていた。
周囲には小高い山々のいくつもの稜線……。
その盆地として“パルマイ湿原”は広がっていた。
子供の頃から湿原を遊び場とし、湿原で少数民族の方々と深く交流し、
時にカヌーで何日も何日も湿原を放浪して釣りに夢中になりながら、
湿原でのさまざまな生命の営みや霧や落日の幻想的な表情に漬かってきた佐々木さんは、
まるでその原始的な湿原のエネルギーに同化するかのようにものを考え行動してきた。
氏は画家である前に、天性の野人・自然児にして、天才的な釣り人であり、
孤高で知恵深い「湿原の旅人」だったのである。
だからこそ、壇一雄や開高健、白洲正子等々の多くの作家たちの魂を魅了して
彼らに圧倒的な影響を与えてきたのであろう。
しかり、佐々木さんは作品を通し、あるいは誰かと時空を共有することにより、
大自然とその背後の根源的なエネルギーにつなげてくれたのではなかろうか。
その意味ではピュアなスピリチュアルパワーを有した芸術家であり、
だから氏は、世間的な薄っぺらな評価には無頓着だった。
いやむしろ、世俗と妥協することをあえて避けているかのようだった。
佐々木作品の前に立つと、誰もがピュアな感性を呼び戻すことができる。
それも氏が、
大自然(宇宙)のいのちの息吹を現代人の魂に呼び戻してくれる「中空の笛」だからであろう。
中空の笛の響きが悲しみや苦しみを溶解させ、清々しい美の感動にいざなってくれる。
そうした画家が厳として北海道にいた事実を、ぼくは心から誇りに思いたい。
なぜなら膨大な佐々木作品は、現代人の魂の迷いと乱れを解き放ってくれる宝物だからである。
★参考
http://www.lph.bne.jp/top/main3402.html
稲田芳弘


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