初版の出版直後から相次いだ質問や感想のメールを目にしながら、
多くの方々がソマチッドに注目していることにぼくは驚いた。
と同時に、本書を読み、ガン完治への希望を抱いてくれた読者が、
予想以上に多かったことを心から嬉しくも思った。
本書を読めば、ガンが免疫機構の劣化・損傷の結果にすぎないことがよく分かる。
だとすれば、傷ついた免疫システムの働きを回復させ、いのちの力を引き出しさえすればいい。
それにはネサーンの714Xもあれば、ほかにもさまざまなアプローチ法(引き金)がある。
要するに「ガン完治」への道は、どんな人の内にも備わっているパワフルないのちの力を蘇生させればいいのだ。
ガストン・ネサーンのソマチッド理論は、
いのちの働き(免疫システム)と病気との関係を明らかにしてくれている。
ソマチッドの生態を驚異的な顕微鏡を使って観察した結果、
ソマチッドが意識や感情、スピリチュアル(霊的)な要因により、
大きく影響を受けている事実を明らかにしているのである。
その意味でネサーンが果たした偉業は素晴らしく、
ソマチッドと免疫システムの関係が理解できれば、現代医学のガン治療も根本的に変わらざるをえない。
それだけソマチッド理論には強烈なインパクトが秘められているのである。
だからこそ、ソマチッドの存在とその働きを認めてしまうと、
現代生物学も医学も、その教科書は根本から書き直されなければならなくなる。
それほどの重大な発見と研究をしたガストン・ネサーンでありながら、
しかしその偉業が評価され、讃えられることはなかった。
讃えられるどころか、逆にその後、ネサーンには悲劇的な運命が強いられた。
そしてその最もシンボリックな事件が「ネサーン裁判」だった。
この裁判は明らかにネサーンを一生獄中に幽閉してしまおう(終身刑)という意図が働いて仕掛けられたものであったが、
土壇場でネサーンは見事「完全無罪」を勝ち取った。
彼に命を助けられた大勢のガン患者たちが世界各地から集い、
法廷で「ネサーンの正義」を堂々と証言してくれたからであった。
その「ガストン・ネサーン裁判」から、ちょうど20年が経つ。
裁判のその経緯は『完全なる治癒』に詳しく、本書でもそのエッセンスに関しては簡潔に網羅させていただいた。
というのも『完全なる治癒』はすでに絶版となっているだけに、
裁判で明らかにされた事実を本書で触れない限り「ソマチッドと714Xの真実」が見えにくいからである。
思えば「改訂版の序」を書いている今日11月11日は、20年前に始まったネサーン裁判の二日目に当たる。
そうなのだ。「ネサーン裁判」は1989年11月10日から始まったのであった。
20年前のちょうどいまごろ、ガストン・ネサーンは寒々しい法廷の被告席に座らせられていた。
そう思うと、ひときわ深い感慨に誘われる。裁判が始まった初冬の寒々しいこの時期に、
ぼくが奇しくも「改訂版の序」を書いていることにもきっと深い意味があるのであろう。
その意味とは、いったい何であろうか。もしかしたら裁判と同じ時期に原稿を書くことで、
裁判の経緯とその結果に新たな思いを巡らせよということなのかもしれない。
20年前のネサーンは65歳。ぼくもすでに60代に入っている。
そう思ったとたん、その後の人生の運命を11名の市民陪審員に託したネサーンの気持ちが、
ぐんと身近に、実感的に感じられてきた。
その当時の新聞もテレビも、医師会やカナダ厚生省が意図的・作為的に流す情報をそのまま一方的に報道し、
裁判が始まる前からすでに「ネサーン有罪・終身刑」の空気が社会全体を圧倒的に支配していた。
そのままならネサーンにはほぼ間違いなく有罪判決が下され、彼は終身刑に服さなければならなかっただろう。
となれば、クリストファー・バードが『完全なる治癒』を著わすこともなく、
ソマトスコープもソマチッドも、714Xもそのまま忘れ去られてしまったことだろう。
もちろんぼく自身、ガストン・ネサーンという偉大な科学者、生物学者がこの世に存在したことを知るすべもなく、
まして出会うことなどありえなかった。
そう考えると、20年前の「ネサーン裁判」が「歴史的分水嶺」として目に映ってくる。
さて、20年前の11月10日から始まった「ネサーン裁判」は、
ちょうど一ヶ月間の審議を経て、12月10日に結審した。
結果は、ネサーンの完全無罪!
その法廷ではソマチッドの神秘が語られ、目に見えない次元の働きが語られ、
714Xによる奇跡的なガン完治事例等々も数多く語られただけに、これは医学史上の歴史的裁判とも言えた。
ところで、マスメディアの意図的な空気醸成によりほとんど「有罪・終身刑」が確定的だったこの裁判で、
いったい何がネサーンを無罪に導いたのだろうか。
一言でいえば、それは「真実の力」だった。真実のみが作為的な社会的空気を打ち破ることができる。
事実は策略よりも強い。真実の言葉は人々の胸を打つ。
ガン完治の事実の証言が法廷内の空気を変え、それが無罪への扉をこじ開けた…。
そのことを思うと、やはり勇気と希望が湧いてくる。
ちょうど20年前の今頃の季節に開かれていた裁判のなかで、
ガストン・ネサーンはいったい何を思っていたことだろうか。
ネサーンの思いを計り知ることはできないが、「至誠天に通ず」の心境にあったことだけは確かだろう。
そのこと、つまりネサーンの真摯な生き方・考え方は二度のセミナーで感じられたものだったし、
その後のメールのやりとりでもその人格の深さ高さには魅了された。
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の一節「自分を勘定に入れず…」ではないが、
自らの勘定や感情を天(運命)に預けてしまったところに、
大いなる天意(劇的な逆転無罪判決)が働いたと考えざるをえない。
そう思うと、多くのガン患者たちの「ネサーン支援=真実の証言」が逆転無罪を勝ち取ったと書きながら、
その支援の熱い渦を生み出して、多くの人々を誘い込んだものこそ、
ネサーンその人の思いであり愛だったと言わざるをえない。
そしてネサーンのそんな思いがガン患者に伝わったからこそ、
あの数々の劇的な完治の成果が生み出されたのではなかろうか。
本書で何よりも伝えたいものは、まさにこのことである。
実際、初版では「ネサーンの人となり」について触れたつもりだが、
改訂版の序を書いているいま、20年前の裁判のことを思うとき、さらにその思いが募る。
つまり、714Xの物理的な注射だけでは限界があり、ガンに対する思いや、生き方・考え方の修正、
さらには自らの内なるソマチッドの宇宙に対する思いもまた大切であるということである。
第一回セミナーを受けた妻陽子も、
予約販売に協力してくださった方々への「レポート」の中で次のように綴っている。
微小生命体・ソマチッドは、不思議な生き物である。
私たちの体に生息し、私たちが笑えばソマチッドも喜び笑い、
私たちが愛すれば、ソマチッドもその愛を呼吸する。
私たちが微睡めば、ソマチッドも宇宙の叡智を夢みる。
私たちが怒れば、ソマチッドも怒り狂う。
私たちが悲しめば、ソマチッドも果てしなく忍び泣く。
私たちが怖がれば、ソマチッドも恐れおののく。
私たちが憎しめば、ソマチッドも憎しみの業火に苦しむ。
もちろん肉体を酷使すれば、ソマチッドも疲労困憊してしまう。
一方、心身のバランスがとれているときには、ソマチッドは幸福そのもので、
宇宙遊泳ならぬ生命宇宙遊泳を無心に満喫するに違いない。
こうしたソマチッドは、私たちの精神や体の状態を臆面もなく映し出すピュアな鏡のようである。
と同時に、私たちの生命宇宙のナゾを解く一つのキーワードにもなっている点、とても興味深い。
ソマチッドは人間の意識や感情と共振し合っていて、
「ソマチッドは肉体と魂(心)をつなぐもの」と表現する識者もいる。
心と身体がつながっているその事実を、ネサーンは顕微鏡観察で明らかにしてくれたのだ。
その意味でガストン・ネサンは「医学と精神世界を結ぶ快挙」を成し遂げ、
医学に全く新しい地平を切り開いてくれた人物である。そして、この事実は非常に重い。
現代医学は人体の物質的・肉体的な側面しか見ていないが、
実は感情的、精神的、スピリチュアルな要素がガン完治に深く関与しているのである。
思いはソマチッドに作用するばかりではなく、それは暮らしや人生にも大きな作用を及ぼしている。
そのことをつくづく実感させられたのは、
ぼくがカナダを訪問して初めてネサーンから714Xを直接注射してもらったその夜のことだった。
その日は2008年5月22日(日本時間23日)。
二日目のセミナーが終わってホテルの部屋に戻り、窓外に十六夜の月を眺めながら
「不思議だなぁ、ガン宣告を受けた直後に心に思ったその願いが、なぜかこんなふうに実現してしまったのだから…」
と思ったそのとき、714X注射を受けたその時間が「ガン宣告」からちょうど満3年だったことに気づいたからである。
それに気づいたとき、一瞬背筋がソクゾクっとした。
もし末期宣告を受けたならソマチッドのことを学び、714X治療を受けてみたいと思ったことが見事に叶ったばかりでなく、
ぴたり3年目のそのときに実現していたからだ。
そんな共時性めいたことを体験していただけに、ネサーン裁判からちょうど20年目の季節を迎えたいま、
その当時のネサーンの気持ちにまで思いを馳せ、改訂版の序で「思いが実現する」ことも書かなければとも思った。
あるいは、あえてそのことを書かせるために改訂版が用意されたのかもしれない。
予想以上に早く改訂版として生まれ出たこの本が読者の元に届くのは、12月上旬からになると思う。
そして20年前の12月10日は、法廷でガストン・ネサーンに晴れて無罪が宣言された日であるから、
改訂版の出版はまさに「解放の日」をシンボライズするものとなりそうだ。
完全無罪になったとはいえ、ネサーンの受難はその後も続くが、
クリストファー・バードによってやがて『完全なる治癒』が出版され、
ネサーンの名とソマチッド、そして714Xは広く世界に知られることとなった。
その意味で「ネサーン裁判」は、ソマチッドの神秘と714Xの威力を世界にメッセージする契機ともなった。
ネサーンの快挙を封じ込めようとする意図は、皮肉にも逆にそのトビラを大きく開くことになったのである。
このような「ラッキーな逆転劇」をぼくは「メビウスのツキ」と呼んでいる。
「塞翁が馬」の故事ではないが、
最悪の不幸(禍・凶)と思えることが、最高の幸(福・吉)に転化しうるのだ。
そして人生のその錬金術をもたらすものこそ、
自らに起こる事象を受け止める者自身の考え方であり、意識ということになるだろう。
その意味で、ガンは考え方しだいで素晴らしい福(幸運)をもたらしてくれるものともなりうる。
少なくてもぼく自身はそうだった。ぼくがもしもガンになっていなかったら、
ガストン・ネサーンの名もソマチッドのことも知らないままだったであろう(これは人生の大損失)。
もちろん『ガン呪縛を解く』を書くこともなかっただろうし、本書も生まれていなかった。
だとしたら多くの読者とのつながりや出会いに恵まれようもなかった。
しかしガンになったお陰で驚くほど多くの邂逅に恵まれ、さらにはソマチッドの真実を知ることもできた。
しかもガストン・ネサーンからは感動的な生き方・考え方を学ばせていただいた。
このように、最悪に思えがちなガン宣告の裏側には、実はとてつもない恵みが芽生えていたのである。
本書の予約販売に協力してくださった方へのレポートにも書いたことであるが、
「ぜひお会いしたい」と熱望しながらも、ついにお会いできなかった方がこれまでに何人もおられる。
千島喜久男先生もその中のお一人で、学生時代に「千島学説」と出会い、
いつの日かお会いしてお話をお聞きしたいと思いながらも、結局は一度もお目にかかることができなかった。
『ガン呪縛を解く』を通して「千島学説」を紹介することになったいま、そのことが悔やまれてならない。
『完全なる治癒』を読んだときにも、ぜひガストン・ネサーンさんにお会いしたいと思った。
ソマチッドに興味があったから、世界にただ一台しかないソマトスコープを覗かせてもらって
自分の目で実際に観察してみたかったし、末期ガンなら714X治療も受けてみたかった。
しかしネサーンさんが住むケベック州は遠く、ぼくはフランス語に疎い。
しかも末期にまでは至っておらず、かつ忙しくなったことも手伝って、
会いたいとは思いながらもカナダを訪問する夢は遠のいていた。
ところがありがたいことに「思い」は現実化するもので、
山田バウさんのソマチッド基金のお陰で、念願のネサーン訪問の夢が叶った。
ぼくと同じように「ネサーンさんに会いたい」「ソマトスコープでソマチッドを見てみたい」
と思っている方はきっと多いにちがいない。
そんな方々のために、本書を捧げたいと思う。そ
れも、ソマチッドと714Xの情報や知識だけでなく、
可能な限りガストン・ネサーンご夫妻の人間的な香りと慈愛のぬくもりも添えて…。
そうすることが、ぼくに与えられた役割の一つだと思っている。
20年前の「ネサーン裁判」と同じ季節のなかで… 稲田 芳弘


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