〜〜〜〜〜存在論的魂の医療進化論へ
・・・・・稲田陽子
第一章 私の「ミレニアムの奇跡」
〜潜在性膵臓ガン宣告?とホメオパシー
その八
そういえば、異変の始まりはささいな「咳」に過ぎなかったのに、その後、自分でもコントロールのできないカオスに入っていくそのナゾにいつも私は、翻弄されていた。それは、私自身シックハウス症候群だったことを知る由もなかったことにもよる。だからこそ、自然治癒力という謳い文句だけで私には不適切な代替療法に長く身をゆだね、泥沼状態に陥ってしまった。そうなると、今度は一転して「現代医療」だけが頼りの「患者らしい患者」となってしまう。対症療法を得意とする現代医療に健康回帰への最前のルートを見い出すしか術がなくなってしまったのだった。
そこに落とし穴があることも知りながら、やはり薬を手放すことはできない。家庭の医学書も愛読書の一つになり、ガン患者の方が腫瘍マーカーに敏感になられるように検査数値にも一喜一憂しながら、毎日「体調日記」を付けることもかかさなかった。日記は、病気のナゾ解きのためでもあったが、ある意味で相当に「反千島学説的生活」になっていたようだ。何とも皮肉なことである。
私が一番奇妙に思っていたのが、際限もないかのように水分が体に溜まってしまう原因不明の浮腫のことだった。これは、漢方療法を始めた時点に遡るが、飲んですぐに尿の出方に異変が起き、それは薬局で好転反応だと説明されたが、私には合理的な解説には聞こえなかった。しかも、私がいくら尋ねても、処方された漢方薬の成分を教えてもらえなかったのも、どうしても合点のいかないことだった。
その好転反応は、その後、私の体質の変容そのものを暗示するものとなっていった。つまり、好転反応は、漢方薬を止めてからも一向におさまるどころか、ますますひどくなり、とうとう私は水分を排泄する能力に障害が出てしまうことになったからである。
この体質異変は、腎臓の排泄機能の低下とともに進行してはいなかっただろうか。さらに現代医療機関の薬を飲み続けることで薬害のように作用してはいなかっただろうか。
それは、浮腫だけでなく「習慣性便秘症」にまで発展していったと思われる。体に溜まった水分は、細胞のあらゆるところに貯留されていくらしい。とくに胃や腸の機能低下は、不快なもので、便秘と下痢を相互に繰り返し、そのうちに、「沈黙の胃腸」となり果て、食べ物はそのまま腸にとどまり続ける。すると、こらえきれなくなった腸は、腸閉塞まがいのものとなって激痛で苦しみ、胃から噴水のように嘔吐してしまうのだ。日常的にはなぜか背中の奥深くから鈍痛もともなうようにもなっていた。
喘息の方は、薬の効果が出て、さまざまな不自然な愁訴がつきまとっても、発作を起こさずに済んでいた。しかし、この腸の不調は、どうしようもない。そこで、勧められたのが、大腸の内視鏡検査だった。胃カメラを入れるところまではしたが、どうしても私は腸の検査をする気になれなかった。それは、私の便秘は、常軌を逸したもので、停滞日数が長く、腸の洗浄薬がどれほどの苦痛を与えるものか、測り知れなかった。それは筆舌に尽くしがたいほどの激痛を予想させた。ましてや、いつも襲われている激痛でさえ、四苦八苦していたのが、私の場合さらなる苦痛を招くかもしれない検査など全くする気になれない。
一方、胃は、将来ガン化することもあるというポリープが数個発見され、その場で除去された。医者は、毎年検査をするように勧めたが、私は、それ以来一度も受けていない。「10年後にはガン化する可能性がある」と、医者に言われたにもかかわらず、私は、従わなかった。それは、ガンに関しては、千島学説的な発想を変えることはなかったからだ。
さらに、その医者は、「胃の中にポリープがあるということは、腸にも出来ている可能性があるから、ぜひ検査をするように」と、強く勧める。おそらく、そうした検査の結果に「呪縛」されていたら、さらに「現代医療の泥沼」に入り込み、いまごろ本物のガン患者になっていたかもしれない。まして、症状呪縛と頻繁な検査で、ごく初期のガンが発見されないとも限らない。
ポリープが大きくなれば、それは気にもなることだろう。この呪縛も、際限がないのだ。私は、最初から、病院のガン治療は敬遠していたので、検査にもそれ以上深入りするつもりはなかった。もしも、ガン医療になんの疑問も持たない人なら、たとえささいな大きさでも悪いものだと言われれば、強い副作用のリスクがあろうが「ありがたい」抗ガン剤治療に身をゆだねてしまうのではないだろうか。
それに、医者は、ごく小さい初期のガンならマニュアル通り「手術、抗ガン剤あるいは放射線治療で100%治る」と言い切るにちがいない。あの著名なジャーナリストであった筑紫哲也さんですら、初期のガンなのに「果敢にも抗ガン剤治療のバリバリの最前線に挑んだ」のである。
もっとも、これがくせ者で、一度この通り模範的な患者になろうものなら、その後は、免疫力を阻害された体に転移の不安を抱えながら、暮らしていかなければならない。それがまるで当たり前のようにいまの社会やマスメディアに受け入れられているのが、私には歯がゆくて、切なくて仕方がない。
つづく
ガン!その愛の進化とスピリット〜連載その八
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: ガン!その愛の進化とスピリット〜連載その八
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://blog-admin.kitaguni.com/mt-tb.cgi/219


コメントする