〜〜〜〜〜存在論的魂の医療進化論へ
・・・・・稲田陽子
第一章 私の「ミレニアムの奇跡」
〜潜在性膵臓ガン宣告?とホメオパシー
その七
その意味で、有り難くない「病むこと」にも、それなりの意図が宇宙にはあるにちがいないが、私は、こうした病的状態の中にも、ともかくも、「子育てかあさん」を放棄するつもりはなかった。今にして思えば、泣き笑いの「根性ものがたり」だったのかもしれない。二つも子どもの「稽古ごと」を掛け持ちし、我が家を日々「子どもの遊び場」に提供し、学校の役員まで引き受けて、どんなに不健康でも、それなりの「子育てかあさん」の証を残したかった。でなければ、自分の気持ちに収まりがつかない。
しかも、夫の編集の仕事を通して佐々木榮松さんに出会い、童話に情熱を注いだのもこの時期であり、夫が私のためにインタビュー取材の仕事をさせてくれたときには、脳貧血に襲われようとも、息が苦しかろうとも、「たくぎん経営ガイド」の著者インタビューのために「賢治の学校」の著者・鳥山敏子さんを目を輝かせて、取材に行き、原稿を書いた。
鳥山敏子さんの著書は、私に、自分が何のために生まれてきたのか、自分は本当はどうしたいのか、実によく考えさせることになった。子育てのために、いったんはペンを置かねばならなかったのだが、だからといって、そのままの状態でいることは私にとってはやるせないものがある。夫とは割によく話す関係ではあっても、この気持ちは夫にも子どもたちにも容易には分かってもらえるものではなさそうだったので、ストレートに言うことは稀であった。
夫は、「家族を守る信頼すべき存在」として、それなりに経営する会社の仕事もがんばっており、溜まった原稿を集中して書くときなどは、妻の微妙な問題につきあっている暇もない。その当時は、夫もまだ働き盛りの年代で、知識もそうだがそれ以上にその集中力は、同じプロのライター業から見ても、ホレボレするも呆れるほどのものだった。いったん集中の領域に入ると、本当に寝食を忘れてしまい(笑い)、何十枚もの原稿を一夜でパソコンに書き込んでしまう。この無茶な生活は、当然後年の「疲れ」に発展し、千島学説的に言えば、「ガン」というギフトを与えられるはめになった。
その当時の私はと言えば、まずは自分が健康になることが最重要課題だった。どうしても締め切りに追われてしまうハードな仕事を責任を持って引き受けられる以前のような体ではない。もともとアナログ人間の私でもあり、体調の思わしくないときなどは、パソコンの電源を入れるのも辛い。そのため、仕事では使っていたパソコンもしばしの休業だった。
書くことへの思いは、そこで、鉛筆と紙さえあれば気軽にいつでも書けそうに思われた「童話」という新たな分野への挑戦となった。もともと「文学屋」志向だった私は、若い時分、自身の創作の探求と鍛錬の一つにもなりそうだった「コピーライター」という「言葉の職人」をわざわざ選び、それを皮切りに、ライター業を出発させたのだった。
千島学説によれば、病は、気・血・動の乱れが原因であるというが、ならば、へたばりそうだった私の病の治癒も、基本はこの三つを調和すればいいことになる。
当時は、あまりそのことを意識していたわけではない。しかし、化学物質過敏症から始まった体調不良で、心身のバランスを完全に崩してしまったとき、私は、自分の中に眠っていた「気への憧憬」を揺り動かさざるを得なかった。
やはり治らない病とともに薬漬けになりつづける人生を選びたくはなかった。「賢治の学校」の鳥山さんの取材と原稿書きは、その意味で、私の中にある生きる意欲を目覚めさせるものとなった。「賢治のからだ」という言葉を鳥山さんがよく使われたていたのも印象に残る。喘息だからといって、また、後戻りできない医原病だからといって、普通の人がしていることを放棄する必要はないのだ。いや、だからこそ自分の夢を捨てることもないのである。本来の人間は、宇宙の中にあって、とても自由な存在なのであり、私たちは、自分で自ら選んで、いまある環境を選んできているのだから。その中にあって、どう生きるのかは、その人自身にゆだねられているはずだ。そういう「自由意思」を私たちは、平等に与えられている。
つづく
ガン!その愛の進化とスピリット〜連載その七
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