ガン!その愛の進化とスピリット〜連載その六

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 〜〜〜〜〜存在論的魂の医療進化論へ
・・・・・稲田陽子

第一章 私の「ミレニアムの奇跡」
〜潜在性膵臓ガン宣告?とホメオパシー


その六

 代替療法の挫折体験から、私は、今度は、一転して、こと喘息に関しては西洋医療に勝るものはないのかもしれないと、一時は思わざるを得なかった。私の慢性化した喘息の不気味な発作は、西洋医療の対症療法が効力を発揮して、表面上は一応は収まってくれていたのは事実だったからだ。

 しかし、それも、治らない成人の喘息の治療という点からみれば、それなりの効果はあるものの、実際には私の呼吸はちょっとしたことに敏感に反応し、走ることもままならず、運動能力は確実に落ちていった。しかも、テオドールやサルタノールの長期常用は、いつも気管支を無理に広げている違和感がつきまとい、心臓の鼓動はときに不自然にわなないて、あるときは、狭心症の発作まがいに突然強い胸痛に襲われる。かと思えば、非常に脈拍が遅く、か細くなる。全身の血流が極端に悪くなっているのが自覚される。脳への血流の悪いときは、車の運転中にも脳貧血を起こしそうに危険なことがあり、コンビニの駐車場で一時間ほど背もたれを倒して休まざるを得ないこともあった。

 腎臓機能も相変わらずおかしく、尿の出方が変則的なまま、回復することなく、水分が体に溜まってゆく。このころになると、市立病院の腎臓内科にも通い、とうとう検査入院までするはめになる。そして、その結果、私の腎機能のうち、濾過する力に障害があることが判明したのだった。だから、普通の人よりもコーヒーを飲んでも、薬を飲んでも、排泄機能が弱い。どうしても、体に毒素を溜め込んでしまうらしい。当然、肝臓にも負担がかかっていたことだろう。疲れやすいのも、何か独特のものがあったが、やはり、そうだったのかと私は、妙に納得したものだった。

 私は、その因果をどうしてもあの漢方薬療法に結びつけざるを得ないのだ。さて、担当の医師は、誠実に親身に対応する方で、じっくりと話を聞いてくれた。そこで、私は、水分制限は絶対にしてはならず、とにかく水分をたくさん取るようにと、漢方薬局とは全く正反対の指示をされた。とはいえ、このころになると、ほかの人には何ともない量のその水分すら、取れば取るほど、体の外へは行かず、ますます体に貯留してしまうようになっていた。医師は、この状態を原因不明として「特発性浮腫」という病名をつけたが、私には、どうしても原因不明とは思えなかった。漢方薬療法は適切だったのか、とても疑問に思っていたからだった。とくに肺炎での水分制限は正しかったのだろうか。

 その有り難くない病名も、もらえば患者は、何となく落ち着き場所をもらったような錯覚を起こすから不思議である。その錯覚からプラシーボ反応が起きて、病気から解放されてしまうならどんなによいだろう。私の場合も、ことは単純ではない。体内に貯留した水分が、今度は、おそらく、腸をはじめいろいろな臓器に溜まって、次第に消化機能の不調となり、習慣性便秘症にまでなってしまった。さらに、それまで経験したことのない血圧の上昇もしばしば体験するようにもなっていた。

 腎臓内科に行けば、検査と管理のみで、薬は利尿剤だけが出されていたが、一方呼吸器科では、やはり、気管支拡張剤を一生の薬として処方されていたのだった。もっとも、私は、呼吸器の方も、腎臓を診てもらう都合上、同じ病院に変えていた。ここで、処方は、テオドールはそのままに、サルタノールはステロイドの吸入薬に変わった。確かに、ステロイドにしてからは、呼吸自体が楽になるのを感じていたのは、確かだった。

 穏やかで信頼のおけるこの医師とは、病院を退職し、開業してからも、何年かのつきあいになった。当時の私は、医者なしではとても生きていけないと思い込んでいたからだった。まさに、それが、現代医療の盲点なのだが、代替医療に挫折していた私には、当然の思い込みだったと言える。

 この病院に通い出してから、私の呼吸器の症状は、見かけ上は、かなり軽減していた。風邪を引いても、抗生物質などで軽いうちに処置がなされ、ステロイドの効果もあって、気管支炎にも肺炎にもなることなく過ごすことができたのは、ありがたかった。

 しかし、どうしても薬があっての呼吸なのだから、十分に酸素が行き渡っていない感覚はそのままで、体調の良くないときなどは、脈拍の異常や脳貧血などは相変わらず共生している。このころの私の夢は、酸素の豊かな森や木立の風が運ぶ空気を思いっきり吸い込めたら!という、他の健常な人には考えられないほど「ささやかなもの」になっていた。それは、すでに私の肺が、ふんだんに息を吸い込む力を十分に発揮できなくなっていたからだろう。だから、なおさら、かつてのように新鮮なさわやかな空気で肺をいっぱいに満たしたかった。

 この感覚は、医師ですら、そしてだれにも想像できないもののようだった。いまでは、私自身が当時の発作の苦しみそのままの感覚を正確に再現できないのと同じように、人の苦しみや痛みというのは、他人にとっては本当にゲンキンなものだという証拠なのである。この当時の経験は、私に、痛みや苦しみの共有は誰とも分ちあえるものではなく、自らにしか本当には理解しえないものであることをイヤというほど知らしめたのだった。それは、人間存在の究極の「孤独」であり、また、そこからしか出発しえない「何か」が潜んでいる。これは、子どもを産むときに感じた痛みとは、また別種のものなのだった。

つづく


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このページは、jiai.netがNovember 18, 2009 2:57 PMに書いたブログ記事です。

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