ガン!その愛の進化とスピリット〜連載その五

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 〜〜〜〜存在論的魂の医療進化論へ
・・・・・稲田陽子
 

第1章 私の「ミレニアムの奇跡」物語
〜潜在性膵臓ガン宣告?とホメオパシー

その五

 最初の発作から3年ほどは、冬の風邪から喘息発作を起こすだけだったのが、その後は、皮肉なことに春もらんまんとなる季節から年間を通して堂々と発作を起こす日々と遭遇しなければならなくなる。それも奇妙なことに咳も出ず、ただ痰が寝ている間にたまり続けて、息を吐けなくなるという不思議な発作を起こすようになっていた。つまり、気管支が慢性の炎症に長く侵されて、咳を出す元気もなくなったということだろうか。胸からは、ゼーゼーとぜい鳴音だけが響く。夜中に何度も目を覚まし、睡眠も十分に取ることができない。

 この症状が現れ始めてから、私が門戸をたたいたのは、やはり漢方薬局であった。このときも、藁にもすがりたい気分だったが、同時に、自然治癒力を引き出し体質を改善するとした謳い文句の漢方療法に惹かれたからだった。現代医療の薬漬けになるのを好ましいとは思っていなかった私の当然の選択だったのかもしれない。

 そういう私が、その漢方薬局に、「喘息は、肺と一緒に腎臓も治療するものだ」と、言われると、なるほどと、素直に納得してしまう。この漢方の考え方は、別段間違ったものではない。ただ、10種類くらいの漢方を一緒に煎じて飲み、これ以外のお水は飲まないようにと指示を受け、その通りにすると、私は、それまでとはまるで違った体質に変貌していった。

 飲み始めて2〜3日で、尿の出がおかしくなる。大量に出て、その後にはほとんど出ない日が訪れたりする。薬局に言うと、好転反応が出ているという答えだった。続けて飲むように言われて、またその通りにするが、その好転反応は一向に「好転」せず、体がむくむことも度々であった。その代わり、喘息の方が良くなってきているようでもあったので、効果がないとも言えなかった。

 とはいえ、免疫力に違和感を感じていたのは事実だった。口内炎がかつて経験したことのないくらいに酷く口の中に広がったのにはさすがにびっくりする。さらに、おかしいのは、風邪を引くと、今度は、気管支炎を通り越して、肺炎になってしまうのである。

 これにも、漢方薬局の方は、あくまでも強気である。絶対にやり方が間違っているとは言わない。確かに喘息の発作にはならない。肺炎の方は、病院に行き、診断されていたから、入院も考えには入れていたが、結局私は、自然治癒力で肺炎を治してみようという思いにかられ、しばらく漢方薬で様子を見ることにした。入院をすれば、幼稚園と小学校低学年の子どもたちの面倒を見ることができなくなる。何がなんでも、子どもが小さいうちは、家にいるというのが私の変わらぬ思いだった。

 それにしても、肺炎は、半月近く経過しても、夜になると熱が39.5度以上に上がってしまい、さっぱり良くならない。実家の母も、自然治癒力には理解もあって手伝いに来てくれていたが、「いくらなんでも」と、私と夫にあきれ、しまいに「腎炎になるから」と、とても心配し出した。さすがの私も、母にも余計な心配を掛けていることを自覚せざるを得ない。そこで今度は、自分で車を運転して(笑い)毎日通院し、点滴治療だけを受けることにしたわけである。ともかくも常識の世界から見ると「懲りない病人」(笑い)で、今にして思えば、なんという無謀な「根性ものがたり」かとも思うが、それでも、2週間もすると、すっかり回復した。まさに現代医療が得意とする「対症療法」の「大勝利」となった。

 担当の医師も、親身にしてくれたお陰で、その後の私は、それまでの漢方療法にある程度は見切りを付けて、その病院でそのまま通常の「現代医療」の患者となった。主症状は、喘息。医師の話によると、成人してからの喘息は、不可逆性で治ることがなく、一生薬を飲み続けなければならないということだった。まして、私の喘息は、慢性閉塞性肺疾患だと言う。そして、さらなる症状はむくみと尿の出方の異変だ。つまり、私にしてみれば、余計な病気が増えてしまったわけである。漢方薬も、立派な薬であるからには、現代医療の薬と同様に医原病の事例に当てはまらないというのは嘘になる。

 こうして、理想に反し、私は、対症療法には強いが副作用の問題もある現代医療の典型的な慢性病患者として薬漬けの何年かを過ごさなければならなかった。これも、すべての始まりは、法規制のない化学物質使用によるシックハウス、愛すべき我が家から始まったのだった。むろん、当時の私には、自分の体調異変の本当の理由は知るすべはなかった。

 物質的科学文明が謳歌するなかに生きる私たちにとって、自分たちが自然の一部であることすら忘れてしまいがちになるが、医療も同じようにその薬は、自然素材から離れた化学的物質であり、それも程度の差はあるものの毒性のある物質を薬に生成するのが一般的だ。

 もしも、現代医療で抗ガン剤や放射線治療の副作用でガン患者が犠牲になることなく、ガンが完治するものであることを実感していたら、また、検査・薬漬け、副作用や医原病を伴う治療でなく、病気を精神を含む生命全体のつながりの中で考える医療が発展していたら、西洋医療にもっと信頼を置いていたことだろうし、早々に病院の門を叩いていたことだろう。こう言うのも、医師というものを信頼できないからというのではない。これは、西洋医療とその産業システムの限界の問題につながるのである。代替医療がその底辺で実は代替という名称をひそかに返上しようとしているのを多くの人の病苦のジレンマの中で少しずつ察知されてきているように思われる。

つづく


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このページは、jiai.netがNovember 18, 2009 2:54 PMに書いたブログ記事です。

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