November 2009アーカイブ

この2週間ほど、文字通り「あたふた続きの日々」でした。

それも21日の夜から25日の夜までは「旅」に出ましたから、

そんな空白期間の影響もその前後の日々を圧迫してしまいました。

 

もっとも「あたふた劇」はストレス面ばかりでなく、

素晴らしい希望とドラマの芽生えをもはらんでいました。

それらに関しては、そのうちに書いてみたいと思っています。

 

「あたふた劇」はいまもなお進行中で、

今日はこれから間もなくして熊本に出向かなければなりません。

明日の朝の9時過ぎから「1 day セミナー」が熊本で開かれるからです。

 

時間的な問題を考えると、またもやこのまま飛び出すことになりそうですが、

いまどうしてもお伝えしておかなければならないことがありまして、

以下に「いくつかのお知らせ」をさせていただきます。

(帰ってきてからでは遅くなりすぎる感じがしますので)


いつものことながら突然のお知らせで恐縮ですが、
12月19日(土)の午後1時〜6時までの5時間にわたり、
東京で『カタカムナへの道』の出版を記念して「集い」を持つことになりました。
その時期といえば、忘年会やら年末の雑事に追われてお忙しいころでしょうが、
もしお時間とご興味がありましたら、ぜひお集まりいただきたいと思います。
 
『カタカムナへの道』というのは関川二郎さんの手になる労作であり、
その内容は、宇野多美恵さんの『相似象』の重要なエッセンスを、
理路整然ととても分かりやすく体系的に整理してくれたもので、
カタカムナを学んでみたい方には、まさにぴったりの入門書と言えるでしょう。
 
この集いでは、『カタカムナへの道』の出版記念に便乗するかたちで、
「カタカムナ研究会(仮称)」の誕生を祝う?場にしたいとも考えています。
 
以下、その概要を記させていただきます。

 〜〜〜〜存在論的魂の医療進化論へ
・・・・・稲田陽子

第1章 私の「ミレニアムの奇跡」物語
〜潜在性膵臓ガン宣告?とホメオパシー


 その十二

 私がその「医師」の治療を受けたミレミアムの年から、ちょうど3年後の1月、全国の主要新聞にこの「医師」とサポートした霊能者の逮捕のニュースが伝えられた。

 その「医師」は、霊能者の方によると、何らかの理由で医師免許を剥奪されたということだったが、記事の内容は、ホメオパシーや虹彩診断学など何も知らないマスメディアの無知を曝しているようなものになっている。

 私は、この霊能者の信徒ではないので、この記事の見出しに書かれた「信者」には該当はしない。だまされたとも思っていないのだから、記事には相当に温度差を感じるわけである。

 第一、マスメディアは、代替医療にもホリスティック医療にも何の関心もなく、その発展に寄与しようともしていないことが良く読み取れる。「また胡散臭い偽薬を嘘の診断で善良な人々が売りつけられ、高額なお金をだまし取られた」といった認知度で記事を作成している。しかも、どの新聞を見ても、不思議なことに内容は似たり寄ったりで、いったいこの記者たちは、何を取材したのかと、問いたくなるのだ。

 おそらく警察発表のリークをそのまま記事にしたのだろう。しかし、少しでも自分で考え調べれば、ホメオパシーが英国ではチャールズ皇太子が推奨していることくらいは情報として入ってくるのではないだろうか。これなどは、マスメディアの怠慢の良い事例である。ましてや、権威をかざす第四の権力とも言われる大新聞に出たものは、なにも知らない一般の人々には、そのまま鵜呑みにされてしまうことの方が多い。

 ジャーナリズムは、日々刻々とした変化の中にあるものだから、間違った報道はそのつど訂正されていくのが、筋と思われるが、そんな公正なマスメディアはいまのところ見当たらない。日本社会は「間違った報道も、みんなで書けば怖くない」「間違った報道も、みんなで信じれば、怖くない」という独特の因習に従っていれば、すべてが「安全」そうに進んで行く特殊な構造になっているようだ。

 もちろん、「医師免許を剥奪された医師」が不適切に高額な「治療費」を取ることに賛同しているわけではない。医師でない者が、あえて医師と名乗って、治療を行うことは、明らかに不正である。しかも、その費用も、ホメオパシーの原価を知れば、高額過ぎるものだ。ここには、その「医師」の長年の人格や生き方が反映されており、これが疑問視されても不思議ではない。

 しかし、ここで問題なのは、記事を書いた記者の意識の方である。どの新聞を見ても、その視点は、現代医療的正義一点張りで、「善良な人々が詐欺にあった」という論点だけなのが問題なのである。確かに講演会で多くの人々に語られた「虹彩診断学」や「ホメオパシー」のことは何も取材していない。そこで、不正確な事実を堂々と大新聞が報道してしまうことになる。

 以下は朝日新聞からの引用抜粋であるが、まさに、それらしく、信憑性のありそうな印象を与えるのだから、権力あるペンの力は怖い。

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 信者から薬代5百万円詐欺容疑 札幌の神社経営者ら逮捕(朝日新聞)
 「信者らに医師免許なしで医療行為をしたうえ、薬代約500万円をだまし取ったとして、札幌中央署は9日、東京都渋谷区の職業不詳M(53)、札幌市中央区、(略)経営T(50)の両容疑者を、詐欺と医師法違反の疑いで逮捕した。
 調べでは、2人は共謀して00年1月、札幌市内のホテルで、医師免許のない宮下容疑者が医師名をかたり、診察を希望する(略)信者ら15人に、目を撮影するスリットランプという医療機器で医療行為をした疑い。さらに信者に「ガン」「脳梗塞(こうそく)」「心臓が弱っている」などと虚偽の病名を告げ、外国製の自然食品を薬として渡し、6人から薬代として現金計約500万円をだまし取った疑い。(略)
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 さらに、興味深いのが、両被告に対する判決文の抜粋である。

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医師資格のない被告人が,宗教団体代表の女性と共謀して,同団体の信者らに対し,眼球虹彩診断(虹彩の紋様等を見て内臓疾患の有無などを診断できるというもの)を行って病名等を告知した上,同診断に基づいてホメオパシー薬(ある成分を何万倍にも希釈したもの)を投与し,その際,眼球虹彩診断によって被診断者の病状等を的確に診断でき,ホメオパシー薬を服用すれば病気の予防・治療に効果があるように装って信者らを欺罔し,投薬代金として730万円余りを詐取した(略)
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 これを読むと、「眼球虹彩診断によって被診断者の病状等を的確に診断でき,ホメオパシー薬を服用すれば病気の予防・治療に効果があるように装って信者らを欺罔し」という文面に明らかなように、完全に「虹彩診断学」と「ホメオパシー」を偽物と断じていることが分かる。「虹彩診断学」が予防医学であるすらも理解されていない。これは、裁判官が、何も分かっていないことを意味している証拠であり、だから興味深いのである。日本の司法や裁判官とは、この程度なのかと、落胆するのは、私だけなのだろうか。

 つまり、判決文を見る限り、マスメディアの報道と連動しており、その二つの権力は、まるで相補う双子のように働き合っている。これでは、「冤罪」が多いと言われる日本の司法の姿そのままのパターンを応酬していると言われても仕方がない。

 実は、「エコろじー」で取材した重症の化学物質過敏症の方も、この日本の司法に少なからず泣かされた「裁判の被害者」だった。隣家のクロルピリホスの不適切な工事で自宅の建物を濃厚に汚染されたにも関わらず、さまざまな企業利害がからみ、民事裁判で退けられたという。しかも、この汚染は、時間が経てば経つほど、被害者側に不利になってしまうだけでなく、汚染当時は、米国で禁止されていたクロルピリホスが日本では「有害性なし」というプロパガンダがまかり通っていた。
そのせいなのか、業者の取り扱いに大きな問題があっても、裁判では重要視されていないようだった。夫は、その被爆者のご自宅のガラス戸付き本棚に保存してあった本数冊を読みふけり、有機リンガスの中毒に陥ったのは忘れられない。

 こうした事例でも分かるように、日本のマスコミと裁判は、どこかおかしいと思わざるを得ないが、その「医師」が行った「虹彩診断」と「ホメオパシー」治療のお陰で、私が治癒の方向に導かれたのは疑う余地はない。まずホメオパシー(米国製の製品)を摂取した瞬間から、それがどんなにが体に良いものかという直感が湧き上がったのを記憶している。こうして、私は、「詐欺事件」の「被害者」になるどころか、慢性病の長いトンネルを抜け、素晴らしいギフトを与えられたのである。

 私自身が体験したように、潜在性のガンの発見をした「虹彩診断学」と副作用のまったくない「ホメオパシー療法」の組み合わせは、まさに絶妙と言っても過言ではない。

 あのままずっと現代医療を続けていたら、私の病気は、さらにこじれ、正真正銘の「ガン患者」になっていた可能性は否定できない。代替療法にも、さまざまなものがあり、日本では、東洋医学以外はまだ本物は何か認知されるまで進化しているとはいいがたい。そんななか、当時、人が詐欺だと騒ぎ立てた療法で私は、素敵な恩恵に出くわした。まさに、予期せぬ「ミレニアムの奇跡」である。

(第一章完)

つづく 

 〜〜〜〜存在論的魂の医療進化論へ
稲田陽子


第一章 私の「ミレニアムの奇跡」
〜潜在性膵臓ガン宣告?とホメオパシー


その十一

 ホメオパシーの治療は、もうひと月は必要だとその「医者」に言われたものの、私は、さらに20万円も掛かることに躊躇せざるを得ない。相当に回復していたこともあり、私は、後は、千島学説的な食養生に切り替えようと思った。そこで、治療は中断となった。

 ここまでこじれた病気の原因であるシックハウス症候群を知ったのも、このころだった。私は、この奇跡的な「潜在性ガン」の治癒より二月ほど前、1999年の暮れに、自社企画で出していた「エコろじー」の取材を通して、重症の化学物質過敏症の患者さんたちと出会っていた。この取材を切っ掛けにしてシックハウス症候群や化学物質過敏症のことをよく理解するようになり、そのお陰で、自分の病気のナゾも解けてきたのだった。それで、病気が良くなったわけではないが、少なくとも、その「仕事」には社会的な使命感も伴い、私のやる気を引き出していったのは事実だった。

 かなり酷い症状に悩まされていたのに、私にはある意味で病気が自分の一部のようになっていたため、すでに大げさに騒ぐこともなく、激痛が解消されると、また日常に戻っていく日々を繰り返していた。そんな私は、かなり病気慣れしてしまい、どういう状態が健康なのかさえ忘れている。だから、あまり効力のなかった病院の胃腸薬でごまかしながら、それでも訳の分からない喘息の発作を起こさずに済んでいる分、マシなのだと思うことにしていた。

 それ以上に私にはしなければならないこと、やりたいことがあると、いつも思い込んでいた。それは、病気の重苦しさに捕われないためには、心地よくも大きな救いとなった。ある日、私は、童話の草案を練りながら、ふと、ある不思議な声を自分の中に感じたのである。

 それは、「カトマンズに行け」「カルカッタに行け」という声なき声である。何が何だか、さっぱり要領を得ない内容である。カトマンズと言えば、ヒマラヤであり、カルカッタと言えば、マザー・テレサしか思いつかない。私の中の潜在的意識から出てきたにはちがいないが、そんなところにまず第一に慢性病の私が行くなど考えられない。

 すると、夫は、必ずしも、本当に行け、ということではなく、それらは象徴的に出て来た言葉ではないのかと、言う。つまり、ヒマラヤということは、地球のことを考える環境問題へのアプローチで、マザー・テレサというのは、無償のボランティアのことでも指しているとでもいうことなのだろうか。

 確かに地球の温暖化や環境汚染の問題は、1990年代になると、にわかに注目され始めていた。まして、私自身、無農薬、有機野菜を宅配してもらっていたほど、自然の恵みをとても愛していたのだから、地球規模の自然や生態系の破壊は大きな問題だと感じていた。一方、マザー・テレサは、私の尊敬する人物の一人でもあったわけで、潜在意識にしろ「宇宙」のどこかからにしろ(笑い)、突如現れても、おかしくはないのかもしれない。

 私のこのひらめきは、その後、「ヒマラヤ」は、「エコろじー」に実を結び、「マザー・テレサ」の方は、同窓の友だちからもたらされた「スペシャルオリンピックス(SO)」の札幌準備委員会への広報参加というカタチで現れたと思われなくもない。

 ちなみに、SOというのは、ユニス・ケネディーが創設者で、知的障がいのある子どもや大人たちにスポーツプログラムを提供し、4年に一度は夏と冬の世界大会(祭典)を開いている世界的なボランティア団体である。アメリカでは知らない人がいないほどに有名な団体で、ケネディ財団の支援を受けて設立された。日本では、2005年に長野で冬季世界大会をした際には大きくマスコミにも取り上げられ、いまでは、メダルを取ったオリンピック選手たちも運営に参加するなど大規模な団体に成長している。SOのアスリートたちが主人公になった「able」や「Believe」をはじめ、障がいのあるアスリートたちが取材クルーとなった「きずな+上海に瞳をこらして」など優れたドキュメンタリー映画(小栗謙一監督)も撮られ、感動を呼んでいる。 

 私がそうしたSOに参加したのは、マザー・テレサを特別意識したわけではない。マザー・テレサは、それとなくほのかな光のように私の心の中にはあっても、あまりに厳しい次元で神の愛を実践された。そうではなく、私はアメリカのSOが実践しているボランティア精神に魅力を感じたからだった。そこに見られるのは、健常者も障がいのある人々もまったく同じ人間として融合しあっている姿だった。日本社会にはないボランティアのあり方に大きな衝撃を受けたのだった。上下関係で動きがちな日本社会では、どうしても相手を人格として見ることよりも「障がい者」として位置づけてしまい、その人の個性や能力を押さえつけてしまう。

 よく見られる光景として、高齢者介護施設などで「若い介護者」がまるで幼児に対するような言葉遣いで高齢者たちを扱い、童謡を歌わせながら「お遊戯」まがいのことをさせている。そんな光景を見るたびに、私は、何かが違うといつも思っていた。

 アルツハイマーの介護も同様であった。もちろん介護者には大変な労力がいるのだが、ときに患者が徘徊したり、暴れ出したりするというので、ベットに縛り付けてしまうのも珍しくないそうだ。ところが、私が取材し記事にしたもののなかに、それとは正反対のアルツハイマー施設がある。外国人神父が函館で運営するもので、内容は日本でも見習いたいことだらけであった。例えば、施設の庭に徘徊用の小道が創られ、患者は自由にそこを歩き回れるそうだ。そこで、患者同士が、「トンチンカンな会話」でも、とても楽しそうに話をするという。どんな珍妙な会話がかわされるものか、その神父様がユーモアたっぷりに話をされた。

 つまり、「人間は、老いてアルツハイマーになっても最後まで人間としてのプライドだけは残している。日本は、人権を重んじないのが当たり前になっているが、ヨーロッパでは考えられない」というのであった。

 私は、この言葉にも、SOの精神にも共通するものを感じている。どんなハンディーを抱えようが、すべてのものに「生きる意味」がもたらされているのだという感動と共感を覚える。当時のわたしが探していたものはまさにこのことだったのだろう。

 それは、千島学説的な治癒法に照らし合わせれば、「気の領域」に相似している。病にあっても、決して絶望する必要もなく、自分さえ求めれば、やりたいことが、いつの間にか「学び」とともに「ささやかな喜びの渦」を携え、眼前に現れてくるのではないだろうか。

 私は、エコろじーを通して親しくなったあの重症の化学物質過敏症の方たちがいつも生きる意欲を失わずに、日々の暮らしに小さな喜びを見いだそうとしている姿に意味を感じている。いまも化学物質に曝されながらも、徹底した自然食材でおいしいお料理を創る楽しみを持ち、なお、「宇宙からの救いのクリスタルベル」を見つけようと、夜空をあおぐその心には「生きる希望」や「意欲」がしっかりと息づいているようだ。おそらく、病気はそのままでも、「気」の領域の活性化が、その生命の大きな糧となり、免疫力を上げていることは間違いがない。
 

つづく

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稲田陽子


第一章 私の「ミレニアムの奇跡」
〜潜在性膵臓ガン宣告?とホメオパシー

その十

 それからの一月、「何も考えずにただ寝ていること」という夫の「命令」で、私は一日中、寝ていることになり、その間、飲む薬はホメオパシーだけとなった。天真療法というのをご存知だろうか。「無為自然」の状態になって、ただひたすら何もしないで寝ている療法のことらしい。

 私は、食事の支度以外は、何もせず床に伏していることになった。もっとも、療法の初期のころは、ホメオパシーを飲むと、それまでの病気の状態による疲れがどっと出たのか、寝ても寝たりないくらいに眠ってしまった。

 これは、私にとってはとてもありがたいことで、回復を早めることにつながっている。それに、入院でもしようものなら、まだ小学生の子どもたちにもさみしい思いをさせることになるので、ただ寝ているだけの療法は、大歓迎だった。「お母さんは、少し体調が悪くて、寝ているよ」としか子どもたちには言わなかったが、たまには「過保護」を返上するのも悪くないようだった。

 処方されたホメオパシーは、パンクレアス(膵臓)、チェルドニウム(肝臓)そしてさらに名前を記憶していないが、液体状のレメディーであった。

 最近は、ホメオパシーの認知度と人気が高まっているが、ホメオパシージャパンのHPでガンの治療には肝臓の治療を一緒に行うことが必要だという言説をふと目にして、かつての処方を思い出し、理にかなうものだったことを確認している。

 この的確な処方と「無為自然」の療養で、私は、それまでの消化器の不調から少しずつ解放されてゆき、ひと月後の「虹彩診断」で見事に不気味な縦の線も、リングも消失し、良好な快癒を得ることができたのだ。あまりにも早く私が回復傾向をみせたので、「医師」も驚かざるを得ないようだった。

 その「療養生活」は、久しぶりに自分自身を振り返ったり、本を読んだりしながら、ホメオパシーを飲んでのんびりと寝ているだけのものだった。ところが、いつしか、その私の脳裏には、宇宙の真ん中には喜びの花が咲いているのだと、突然、ひらめくのだった。本当は宇宙には苦しみなどなく、その本質は喜びしかないのだというメッセージがやってきた。

 痛みも苦しみも、本当には分かち合うことはできない。だから、言葉の慰めで分かち合っているように見えても、実はそれは幻想にすぎないものだ。確かに「孤独な認識」にちがいないが、実は、これほど背後に力強い希望が隠されていることはないのである。「陰極まればば、陽となる」という言葉があるように、宇宙はいつでもバランスを取ってくれている。

 つまり、宇宙は、苦しみが目的で存在しているわけではない。苦しみは、自らが生み出している幻影なのだ。その本質は、愛であり、喜びであり、生命そのものではなかったか。そういう思いに私は、満たされた。これは、あるいは、ホメオパシーのメンタルな作用があったためかもしれない。とはいえ、まぎれもなく私自身の体験からにじみ出たものであった。

 ちょっと書くのは照れくさいものだが、夫は、一緒に私の「宇宙の花」の話に感動して、とても励ましてくれた。しかも、千島学説の学徒であるのだから、その論拠に自信を持っているのも、私に希望を与えるに十分だった。

 そうしたメンタルな調整がなされると、人は病からの脱出も早くなるのかもしれない。少なくとも、ホメオパシーが効かなくて、本当のガンが発症するのではないかと、周りからも脅かされ続けたら、しまいにはその通りになってしまったことだろう。

 こと、医療に関しては、二人とも「変わり者」で本当によかったと思う。
 
つづく
 

 〜〜〜〜存在論的魂の医療進化論へ
稲田陽子


第一章 私の「ミレニアムの奇跡」
〜潜在性膵臓ガン宣告?とホメオパシー

その九

 私の「習慣性便秘症」も、原因不明とされた「浮腫」から始まる消化機能の低下もその原因の一つだと思われるが、それが、腸閉塞まがいのものまでにまで発展すれば、医者は、この症状からまず胃腸の検査を勧めるのが常識というものだろう。それでも、ラチがあかないとなると、今度は、他の臓器の検査ということになるのが常套である。

 ところが、私が受けた「虹彩診断」というのは、そんな面倒なことは何もなく、特殊な器械で目の虹彩に出ている文様から病気などを診断する手法である。ヨーロッパでの歴史は古く、1959年にドイツのR. Schnabelが「虹彩診断学」の書籍編纂で、ロンドンアカデミー賞を受賞しているという。17世紀の中頃に「虹彩診断」の萌芽がみられ、それは、医師J. Peczliの研究で一気に活気づき、19世紀から20世紀中頃にもなると、多くの学者が輩出することになった。しかも、「虹彩診断学」というプログラムが、一部の医科大学に採用されたり、医師のセミナーも盛んに行われるようにもなったそうだ。

 1950年代には、それまでの理論虹彩学からより実践的な臨床虹彩学に進展し、ドイツを中心にヨーロッパ、アメリカ、ロシア、イタリア、アルゼンチン、カナダなどに専門の学校や虹彩学研究機関などが創られて、活発な研究が行われている。

 とくにドイツのR. Schnabelは、病気の進行から完治までの虹彩の変化について多くの貴重な臨床研究の成果を残しており、虹彩の色素(90種類)、虹彩繊維質構造(60種類)、虹彩にできる小窩(30種類)、瞳孔周辺色素(28種類)、虹彩外郭のリング文様(14種類)の変容観察などをもとに診断した。分かりやすく言うと、この虹彩の変化を観察すれば、病気の進行具合や完治の診断ができるということである。それは、症状がそのまま虹彩の文様に現れ、完治すれば、その文様が消えてしまうからである。

 ガンなどの診断も容易で、とくに潜在性のものは、予防的に知ることができるだけに、非常に価値のあるものと言える。

 私が出会ったその「医師」は、ドイツの虹彩学の権威に学び、特殊な器械を携えて、何と地元ではテレビ出演もしていたある有名な霊能者のサポートで札幌で講演会を開き、診断、治療を行ったのだった。

 「医師」は、虹彩診断とホメオパシー治療を組み合わせており、これは、当時の時代の精神には理解されがたい面もあり、インチキと見る人々もいたのは事実だった。

 しかし、私は、理にかなった講演会内容と診断法、治療法に共感を覚え、自然治癒力の恩恵を山ほど受けることになった。私が虹彩診断という方法やホメオパシー治療にも興味を抱くと、「医師」は、アメリカから私に科学雑誌に掲載されているある研究者の論文を送ってくれたりもしたものだった。

 私が受け取った「虹彩診断」は、虹彩に縦の黒い線が突き抜けてしまい、リングの文様まで出ている状態で、膵臓の膵頭部に浸潤性のガンがあり、それが周辺の臓器に浸潤していっているという。「医師」は、「この同じ文様の出た人を知っているが、彼は、この診断法を信用せずに、半年後に膵臓ガンになり、亡くなった」というのだ。「あなたのは消化酵素も出ていない。たいへん重篤な状態なので、すぐにホメオパシーの治療をするように!いつガンが発症してもおかしくない虹彩だ」と、真剣に話をする。

 先にも書いているが、治療費が不適切に高額であったため、私は思わず躊躇するが、夫は、一も二もなく「すぐに治療するように」と私に強く勧めた。

 この「潜在性膵臓ガン宣告」は、私にはやはりショックなものだった。いくら潜在性であっても、ガン宣告と変わらない。家に戻り、家庭の医学書などを見れば、膵ガンは、発見がむずかしく、分かったときには、手遅れの状態になっており、非常にたちの悪いガンだということが書かれている。背中の痛みなどの症状も、ことによると、潜在する膵ガンの症状ではなかったのだろうかと、思い当たり、いつもになくしんみりとしてしまうのである。

つづく


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・・・・・稲田陽子

第一章 私の「ミレニアムの奇跡」
〜潜在性膵臓ガン宣告?とホメオパシー


その八

 そういえば、異変の始まりはささいな「咳」に過ぎなかったのに、その後、自分でもコントロールのできないカオスに入っていくそのナゾにいつも私は、翻弄されていた。それは、私自身シックハウス症候群だったことを知る由もなかったことにもよる。だからこそ、自然治癒力という謳い文句だけで私には不適切な代替療法に長く身をゆだね、泥沼状態に陥ってしまった。そうなると、今度は一転して「現代医療」だけが頼りの「患者らしい患者」となってしまう。対症療法を得意とする現代医療に健康回帰への最前のルートを見い出すしか術がなくなってしまったのだった。

 そこに落とし穴があることも知りながら、やはり薬を手放すことはできない。家庭の医学書も愛読書の一つになり、ガン患者の方が腫瘍マーカーに敏感になられるように検査数値にも一喜一憂しながら、毎日「体調日記」を付けることもかかさなかった。日記は、病気のナゾ解きのためでもあったが、ある意味で相当に「反千島学説的生活」になっていたようだ。何とも皮肉なことである。

 私が一番奇妙に思っていたのが、際限もないかのように水分が体に溜まってしまう原因不明の浮腫のことだった。これは、漢方療法を始めた時点に遡るが、飲んですぐに尿の出方に異変が起き、それは薬局で好転反応だと説明されたが、私には合理的な解説には聞こえなかった。しかも、私がいくら尋ねても、処方された漢方薬の成分を教えてもらえなかったのも、どうしても合点のいかないことだった。

 その好転反応は、その後、私の体質の変容そのものを暗示するものとなっていった。つまり、好転反応は、漢方薬を止めてからも一向におさまるどころか、ますますひどくなり、とうとう私は水分を排泄する能力に障害が出てしまうことになったからである。

 この体質異変は、腎臓の排泄機能の低下とともに進行してはいなかっただろうか。さらに現代医療機関の薬を飲み続けることで薬害のように作用してはいなかっただろうか。

 それは、浮腫だけでなく「習慣性便秘症」にまで発展していったと思われる。体に溜まった水分は、細胞のあらゆるところに貯留されていくらしい。とくに胃や腸の機能低下は、不快なもので、便秘と下痢を相互に繰り返し、そのうちに、「沈黙の胃腸」となり果て、食べ物はそのまま腸にとどまり続ける。すると、こらえきれなくなった腸は、腸閉塞まがいのものとなって激痛で苦しみ、胃から噴水のように嘔吐してしまうのだ。日常的にはなぜか背中の奥深くから鈍痛もともなうようにもなっていた。

 喘息の方は、薬の効果が出て、さまざまな不自然な愁訴がつきまとっても、発作を起こさずに済んでいた。しかし、この腸の不調は、どうしようもない。そこで、勧められたのが、大腸の内視鏡検査だった。胃カメラを入れるところまではしたが、どうしても私は腸の検査をする気になれなかった。それは、私の便秘は、常軌を逸したもので、停滞日数が長く、腸の洗浄薬がどれほどの苦痛を与えるものか、測り知れなかった。それは筆舌に尽くしがたいほどの激痛を予想させた。ましてや、いつも襲われている激痛でさえ、四苦八苦していたのが、私の場合さらなる苦痛を招くかもしれない検査など全くする気になれない。

 一方、胃は、将来ガン化することもあるというポリープが数個発見され、その場で除去された。医者は、毎年検査をするように勧めたが、私は、それ以来一度も受けていない。「10年後にはガン化する可能性がある」と、医者に言われたにもかかわらず、私は、従わなかった。それは、ガンに関しては、千島学説的な発想を変えることはなかったからだ。

 さらに、その医者は、「胃の中にポリープがあるということは、腸にも出来ている可能性があるから、ぜひ検査をするように」と、強く勧める。おそらく、そうした検査の結果に「呪縛」されていたら、さらに「現代医療の泥沼」に入り込み、いまごろ本物のガン患者になっていたかもしれない。まして、症状呪縛と頻繁な検査で、ごく初期のガンが発見されないとも限らない。  

 ポリープが大きくなれば、それは気にもなることだろう。この呪縛も、際限がないのだ。私は、最初から、病院のガン治療は敬遠していたので、検査にもそれ以上深入りするつもりはなかった。もしも、ガン医療になんの疑問も持たない人なら、たとえささいな大きさでも悪いものだと言われれば、強い副作用のリスクがあろうが「ありがたい」抗ガン剤治療に身をゆだねてしまうのではないだろうか。 

 それに、医者は、ごく小さい初期のガンならマニュアル通り「手術、抗ガン剤あるいは放射線治療で100%治る」と言い切るにちがいない。あの著名なジャーナリストであった筑紫哲也さんですら、初期のガンなのに「果敢にも抗ガン剤治療のバリバリの最前線に挑んだ」のである。

 もっとも、これがくせ者で、一度この通り模範的な患者になろうものなら、その後は、免疫力を阻害された体に転移の不安を抱えながら、暮らしていかなければならない。それがまるで当たり前のようにいまの社会やマスメディアに受け入れられているのが、私には歯がゆくて、切なくて仕方がない。 

つづく 


 〜〜〜〜〜存在論的魂の医療進化論へ
・・・・・稲田陽子

第一章 私の「ミレニアムの奇跡」
〜潜在性膵臓ガン宣告?とホメオパシー


その七

 その意味で、有り難くない「病むこと」にも、それなりの意図が宇宙にはあるにちがいないが、私は、こうした病的状態の中にも、ともかくも、「子育てかあさん」を放棄するつもりはなかった。今にして思えば、泣き笑いの「根性ものがたり」だったのかもしれない。二つも子どもの「稽古ごと」を掛け持ちし、我が家を日々「子どもの遊び場」に提供し、学校の役員まで引き受けて、どんなに不健康でも、それなりの「子育てかあさん」の証を残したかった。でなければ、自分の気持ちに収まりがつかない。

 しかも、夫の編集の仕事を通して佐々木榮松さんに出会い、童話に情熱を注いだのもこの時期であり、夫が私のためにインタビュー取材の仕事をさせてくれたときには、脳貧血に襲われようとも、息が苦しかろうとも、「たくぎん経営ガイド」の著者インタビューのために「賢治の学校」の著者・鳥山敏子さんを目を輝かせて、取材に行き、原稿を書いた。

 鳥山敏子さんの著書は、私に、自分が何のために生まれてきたのか、自分は本当はどうしたいのか、実によく考えさせることになった。子育てのために、いったんはペンを置かねばならなかったのだが、だからといって、そのままの状態でいることは私にとってはやるせないものがある。夫とは割によく話す関係ではあっても、この気持ちは夫にも子どもたちにも容易には分かってもらえるものではなさそうだったので、ストレートに言うことは稀であった。

 夫は、「家族を守る信頼すべき存在」として、それなりに経営する会社の仕事もがんばっており、溜まった原稿を集中して書くときなどは、妻の微妙な問題につきあっている暇もない。その当時は、夫もまだ働き盛りの年代で、知識もそうだがそれ以上にその集中力は、同じプロのライター業から見ても、ホレボレするも呆れるほどのものだった。いったん集中の領域に入ると、本当に寝食を忘れてしまい(笑い)、何十枚もの原稿を一夜でパソコンに書き込んでしまう。この無茶な生活は、当然後年の「疲れ」に発展し、千島学説的に言えば、「ガン」というギフトを与えられるはめになった。

 その当時の私はと言えば、まずは自分が健康になることが最重要課題だった。どうしても締め切りに追われてしまうハードな仕事を責任を持って引き受けられる以前のような体ではない。もともとアナログ人間の私でもあり、体調の思わしくないときなどは、パソコンの電源を入れるのも辛い。そのため、仕事では使っていたパソコンもしばしの休業だった。

 書くことへの思いは、そこで、鉛筆と紙さえあれば気軽にいつでも書けそうに思われた「童話」という新たな分野への挑戦となった。もともと「文学屋」志向だった私は、若い時分、自身の創作の探求と鍛錬の一つにもなりそうだった「コピーライター」という「言葉の職人」をわざわざ選び、それを皮切りに、ライター業を出発させたのだった。

 千島学説によれば、病は、気・血・動の乱れが原因であるというが、ならば、へたばりそうだった私の病の治癒も、基本はこの三つを調和すればいいことになる。

 当時は、あまりそのことを意識していたわけではない。しかし、化学物質過敏症から始まった体調不良で、心身のバランスを完全に崩してしまったとき、私は、自分の中に眠っていた「気への憧憬」を揺り動かさざるを得なかった。

 やはり治らない病とともに薬漬けになりつづける人生を選びたくはなかった。「賢治の学校」の鳥山さんの取材と原稿書きは、その意味で、私の中にある生きる意欲を目覚めさせるものとなった。「賢治のからだ」という言葉を鳥山さんがよく使われたていたのも印象に残る。喘息だからといって、また、後戻りできない医原病だからといって、普通の人がしていることを放棄する必要はないのだ。いや、だからこそ自分の夢を捨てることもないのである。本来の人間は、宇宙の中にあって、とても自由な存在なのであり、私たちは、自分で自ら選んで、いまある環境を選んできているのだから。その中にあって、どう生きるのかは、その人自身にゆだねられているはずだ。そういう「自由意思」を私たちは、平等に与えられている。

つづく
  

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・・・・・稲田陽子

第一章 私の「ミレニアムの奇跡」
〜潜在性膵臓ガン宣告?とホメオパシー


その六

 代替療法の挫折体験から、私は、今度は、一転して、こと喘息に関しては西洋医療に勝るものはないのかもしれないと、一時は思わざるを得なかった。私の慢性化した喘息の不気味な発作は、西洋医療の対症療法が効力を発揮して、表面上は一応は収まってくれていたのは事実だったからだ。

 しかし、それも、治らない成人の喘息の治療という点からみれば、それなりの効果はあるものの、実際には私の呼吸はちょっとしたことに敏感に反応し、走ることもままならず、運動能力は確実に落ちていった。しかも、テオドールやサルタノールの長期常用は、いつも気管支を無理に広げている違和感がつきまとい、心臓の鼓動はときに不自然にわなないて、あるときは、狭心症の発作まがいに突然強い胸痛に襲われる。かと思えば、非常に脈拍が遅く、か細くなる。全身の血流が極端に悪くなっているのが自覚される。脳への血流の悪いときは、車の運転中にも脳貧血を起こしそうに危険なことがあり、コンビニの駐車場で一時間ほど背もたれを倒して休まざるを得ないこともあった。

 腎臓機能も相変わらずおかしく、尿の出方が変則的なまま、回復することなく、水分が体に溜まってゆく。このころになると、市立病院の腎臓内科にも通い、とうとう検査入院までするはめになる。そして、その結果、私の腎機能のうち、濾過する力に障害があることが判明したのだった。だから、普通の人よりもコーヒーを飲んでも、薬を飲んでも、排泄機能が弱い。どうしても、体に毒素を溜め込んでしまうらしい。当然、肝臓にも負担がかかっていたことだろう。疲れやすいのも、何か独特のものがあったが、やはり、そうだったのかと私は、妙に納得したものだった。

 私は、その因果をどうしてもあの漢方薬療法に結びつけざるを得ないのだ。さて、担当の医師は、誠実に親身に対応する方で、じっくりと話を聞いてくれた。そこで、私は、水分制限は絶対にしてはならず、とにかく水分をたくさん取るようにと、漢方薬局とは全く正反対の指示をされた。とはいえ、このころになると、ほかの人には何ともない量のその水分すら、取れば取るほど、体の外へは行かず、ますます体に貯留してしまうようになっていた。医師は、この状態を原因不明として「特発性浮腫」という病名をつけたが、私には、どうしても原因不明とは思えなかった。漢方薬療法は適切だったのか、とても疑問に思っていたからだった。とくに肺炎での水分制限は正しかったのだろうか。

 その有り難くない病名も、もらえば患者は、何となく落ち着き場所をもらったような錯覚を起こすから不思議である。その錯覚からプラシーボ反応が起きて、病気から解放されてしまうならどんなによいだろう。私の場合も、ことは単純ではない。体内に貯留した水分が、今度は、おそらく、腸をはじめいろいろな臓器に溜まって、次第に消化機能の不調となり、習慣性便秘症にまでなってしまった。さらに、それまで経験したことのない血圧の上昇もしばしば体験するようにもなっていた。

 腎臓内科に行けば、検査と管理のみで、薬は利尿剤だけが出されていたが、一方呼吸器科では、やはり、気管支拡張剤を一生の薬として処方されていたのだった。もっとも、私は、呼吸器の方も、腎臓を診てもらう都合上、同じ病院に変えていた。ここで、処方は、テオドールはそのままに、サルタノールはステロイドの吸入薬に変わった。確かに、ステロイドにしてからは、呼吸自体が楽になるのを感じていたのは、確かだった。

 穏やかで信頼のおけるこの医師とは、病院を退職し、開業してからも、何年かのつきあいになった。当時の私は、医者なしではとても生きていけないと思い込んでいたからだった。まさに、それが、現代医療の盲点なのだが、代替医療に挫折していた私には、当然の思い込みだったと言える。

 この病院に通い出してから、私の呼吸器の症状は、見かけ上は、かなり軽減していた。風邪を引いても、抗生物質などで軽いうちに処置がなされ、ステロイドの効果もあって、気管支炎にも肺炎にもなることなく過ごすことができたのは、ありがたかった。

 しかし、どうしても薬があっての呼吸なのだから、十分に酸素が行き渡っていない感覚はそのままで、体調の良くないときなどは、脈拍の異常や脳貧血などは相変わらず共生している。このころの私の夢は、酸素の豊かな森や木立の風が運ぶ空気を思いっきり吸い込めたら!という、他の健常な人には考えられないほど「ささやかなもの」になっていた。それは、すでに私の肺が、ふんだんに息を吸い込む力を十分に発揮できなくなっていたからだろう。だから、なおさら、かつてのように新鮮なさわやかな空気で肺をいっぱいに満たしたかった。

 この感覚は、医師ですら、そしてだれにも想像できないもののようだった。いまでは、私自身が当時の発作の苦しみそのままの感覚を正確に再現できないのと同じように、人の苦しみや痛みというのは、他人にとっては本当にゲンキンなものだという証拠なのである。この当時の経験は、私に、痛みや苦しみの共有は誰とも分ちあえるものではなく、自らにしか本当には理解しえないものであることをイヤというほど知らしめたのだった。それは、人間存在の究極の「孤独」であり、また、そこからしか出発しえない「何か」が潜んでいる。これは、子どもを産むときに感じた痛みとは、また別種のものなのだった。

つづく


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・・・・・稲田陽子
 

第1章 私の「ミレニアムの奇跡」物語
〜潜在性膵臓ガン宣告?とホメオパシー

その五

 最初の発作から3年ほどは、冬の風邪から喘息発作を起こすだけだったのが、その後は、皮肉なことに春もらんまんとなる季節から年間を通して堂々と発作を起こす日々と遭遇しなければならなくなる。それも奇妙なことに咳も出ず、ただ痰が寝ている間にたまり続けて、息を吐けなくなるという不思議な発作を起こすようになっていた。つまり、気管支が慢性の炎症に長く侵されて、咳を出す元気もなくなったということだろうか。胸からは、ゼーゼーとぜい鳴音だけが響く。夜中に何度も目を覚まし、睡眠も十分に取ることができない。

 この症状が現れ始めてから、私が門戸をたたいたのは、やはり漢方薬局であった。このときも、藁にもすがりたい気分だったが、同時に、自然治癒力を引き出し体質を改善するとした謳い文句の漢方療法に惹かれたからだった。現代医療の薬漬けになるのを好ましいとは思っていなかった私の当然の選択だったのかもしれない。

 そういう私が、その漢方薬局に、「喘息は、肺と一緒に腎臓も治療するものだ」と、言われると、なるほどと、素直に納得してしまう。この漢方の考え方は、別段間違ったものではない。ただ、10種類くらいの漢方を一緒に煎じて飲み、これ以外のお水は飲まないようにと指示を受け、その通りにすると、私は、それまでとはまるで違った体質に変貌していった。

 飲み始めて2〜3日で、尿の出がおかしくなる。大量に出て、その後にはほとんど出ない日が訪れたりする。薬局に言うと、好転反応が出ているという答えだった。続けて飲むように言われて、またその通りにするが、その好転反応は一向に「好転」せず、体がむくむことも度々であった。その代わり、喘息の方が良くなってきているようでもあったので、効果がないとも言えなかった。

 とはいえ、免疫力に違和感を感じていたのは事実だった。口内炎がかつて経験したことのないくらいに酷く口の中に広がったのにはさすがにびっくりする。さらに、おかしいのは、風邪を引くと、今度は、気管支炎を通り越して、肺炎になってしまうのである。

 これにも、漢方薬局の方は、あくまでも強気である。絶対にやり方が間違っているとは言わない。確かに喘息の発作にはならない。肺炎の方は、病院に行き、診断されていたから、入院も考えには入れていたが、結局私は、自然治癒力で肺炎を治してみようという思いにかられ、しばらく漢方薬で様子を見ることにした。入院をすれば、幼稚園と小学校低学年の子どもたちの面倒を見ることができなくなる。何がなんでも、子どもが小さいうちは、家にいるというのが私の変わらぬ思いだった。

 それにしても、肺炎は、半月近く経過しても、夜になると熱が39.5度以上に上がってしまい、さっぱり良くならない。実家の母も、自然治癒力には理解もあって手伝いに来てくれていたが、「いくらなんでも」と、私と夫にあきれ、しまいに「腎炎になるから」と、とても心配し出した。さすがの私も、母にも余計な心配を掛けていることを自覚せざるを得ない。そこで今度は、自分で車を運転して(笑い)毎日通院し、点滴治療だけを受けることにしたわけである。ともかくも常識の世界から見ると「懲りない病人」(笑い)で、今にして思えば、なんという無謀な「根性ものがたり」かとも思うが、それでも、2週間もすると、すっかり回復した。まさに現代医療が得意とする「対症療法」の「大勝利」となった。

 担当の医師も、親身にしてくれたお陰で、その後の私は、それまでの漢方療法にある程度は見切りを付けて、その病院でそのまま通常の「現代医療」の患者となった。主症状は、喘息。医師の話によると、成人してからの喘息は、不可逆性で治ることがなく、一生薬を飲み続けなければならないということだった。まして、私の喘息は、慢性閉塞性肺疾患だと言う。そして、さらなる症状はむくみと尿の出方の異変だ。つまり、私にしてみれば、余計な病気が増えてしまったわけである。漢方薬も、立派な薬であるからには、現代医療の薬と同様に医原病の事例に当てはまらないというのは嘘になる。

 こうして、理想に反し、私は、対症療法には強いが副作用の問題もある現代医療の典型的な慢性病患者として薬漬けの何年かを過ごさなければならなかった。これも、すべての始まりは、法規制のない化学物質使用によるシックハウス、愛すべき我が家から始まったのだった。むろん、当時の私には、自分の体調異変の本当の理由は知るすべはなかった。

 物質的科学文明が謳歌するなかに生きる私たちにとって、自分たちが自然の一部であることすら忘れてしまいがちになるが、医療も同じようにその薬は、自然素材から離れた化学的物質であり、それも程度の差はあるものの毒性のある物質を薬に生成するのが一般的だ。

 もしも、現代医療で抗ガン剤や放射線治療の副作用でガン患者が犠牲になることなく、ガンが完治するものであることを実感していたら、また、検査・薬漬け、副作用や医原病を伴う治療でなく、病気を精神を含む生命全体のつながりの中で考える医療が発展していたら、西洋医療にもっと信頼を置いていたことだろうし、早々に病院の門を叩いていたことだろう。こう言うのも、医師というものを信頼できないからというのではない。これは、西洋医療とその産業システムの限界の問題につながるのである。代替医療がその底辺で実は代替という名称をひそかに返上しようとしているのを多くの人の病苦のジレンマの中で少しずつ察知されてきているように思われる。

つづく


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・・・・・稲田陽子
 

第1章 私の「ミレニアムの奇跡」物語
〜潜在性膵臓ガン宣告?とホメオパシー

その四

 新築の家特有の匂いは、その後数年は続いた。そのころはまだ一般に化学物質過敏症もシックハウス症候群も知られていなかったので、私もそれほど深刻に受け止めてはいなかった。後に、環境や福祉、平和などをテーマにしたオルタナティブペーパー「エコろじー」が(夫が代表の)自社企画として発行され、私自身記事を書くころになるまで、ホルムアルデヒドやトルエン、キシレンなどの「環境ホルモン」の深刻さをきちんと理解するべくもなかった。その取材ではじめて重症の化学物質過敏症の患者さんや専門の医師の方とも出会って、多くの情報を得ただけでなく、それにまつわる社会的な封印なども知るようになったのだ。ちょうどホメオパシーと出会う二月くらい前の話であった。

 この重症の患者さんを通して、私は、シックハウスだった新築当初の状況と自分自身の健康状態をパズルをはめるように結びつけることができた。実は、この取材は、私だけでなく夫も深く関わり、結局、夫は、この家に保存されていた化学物質過敏症についての書籍を借りてきて、読みふけり、体調にひどい異変を引き起こしたため、救急車で入院した経緯がある。シロアリ駆除剤であるクロルピリホスの被爆が原因であった。私は喘息になるからと、本には近づかなかったのに、夫は、アレルギー体質ではないと過信してしまった。

 話が横道にそれてしまったようだ。この詳細については、後に譲ることにしよう。

 私は、自分が半健康状態になっていても、新築当初はまったくその原因を知る由もなく、あるいは、暖房のために家が乾燥しているためではないかと、その程度にしか考えていなかった。しかし、年々、症状は、重くなり、何度も気管支炎から喘息を併発するようになると、その苦しい発作のために窒息しそうになり、夜中に救急病院に行かざるを得なくなる。

 なるべくなら、自然治癒力で治したいと思うタチの私でも、いったん喘息の発作に見舞われると、それどころではなかった。夫が、激しい咳が続いた後には息が出来ずゼーゼーと苦しがる私の背中をさすってくれたり、整体をしてくれても、発作は、おさまるどころではない。ところが、この点、夫もまた私と同じでカワッテいる(笑い)のだから、どうしようもない。ぎりぎりまで二人で「自然治癒力」の理想をかかげていた。漢方系の風邪薬は飲んでいたものの、しかし、喘息の発作には、千島学説も天真療法も東洋系医療など何の役に立つものかと、絶望的になる私を、夫は、ともかくも頑張らせようとする。

 それも、二日以上も続けば、私の体力も気力も限界を感じ始めてくる。私も、喘息の発作の最初の日くらいは、上半身を丸めながら起こした状態で時折苦しいながらも仮眠を取ることができる。まして、発作を起こすのは、寝ていて痰がたまってしまう夜中であり、朝になって、普段通りに起きてしまったら、まだしも軽快するのを理解していた。

 とうとう我慢できなくなったのは、喘息を起こしてから、三日目くらいだっただろうか。睡眠不足は体に堪える。その夜中、夫も、私の発作につきあってくれていたが、やはり睡魔には勝てない。私の方は苦しさで無我夢中で、世の中で普通に息が出来る人すべてがうらやましいほどだったが、すっかり疲れて爆睡している夫を気の毒なことに起こして、ともかくも病院に連れて行ってもらったのだった。そしてその病院で処方されたテオドールで私の日常は夢のように楽になった。風邪も治り、対症療法の絶対的勝利となったかに見えた。

つづく

〜〜「キタラ」で起きたストラディバリウス体感とシンクロ
・・・・・稲田陽子


「望郷のバラード」と言えば、ストラディバリウスを縦横無尽に引きこなすバイオリニスト、天満敦子さんの「十八番」だ。その天満さんが「キタラコンサートホール」の大ホールでパイプオルガンをバックにその曲も演奏するというので、時間が取れたら、前から行こうと心に決めていた。しかし、どうもスケジュールがうまくいかない。

「キタラコンサートホール」の木質の音響は素晴らしく、読後感ではないが、演奏会後の体感の持続は特筆に値するものである。これは、楽器の持つ波動が大ホールに繊細にこだまし、それがホール全体の一体感となって、そのまま私の体にもしみ入る感覚だ。それは、岩清水のように心と体に流れてゆく。こういう音響の感じられる「キタラコンサートホール」のことは、再三私が夫に語っていたことであり、天満さんのコンサートということもあり、今回は夫も、ぜひ一緒に行きたかったのだが、あいにく閉め切りの原稿に追われてしまった。

 実は、例のアカシック・マシーンが来てから、連日、いろいろな人がこのマシーンに座りに来ている。そのためもあって、二人ともなかなか原稿の方に身を入れられなくなっている事情もある。これは、多くの人にこのマシーンの素晴らしさを体感していただきたいという、私たちの思いも大きかったことにもよるが、ともかくも、このマシーンの反響は半端ではなかったのだ。一人ひとりの反応も、濃厚であり、短時間でも癒しのレベルまで入る方たちもいた。

 ただ、まだ、サロンのようにするには時間もかかるにちがいない。少なくとも、簡易で十分だが何かコンパクトな空間を演出しなければならない。ドームに置くとしても、いまの仕事場に置くのは手狭でやはり無理があることも分かった。

 そうこうしているうちに、演奏会当日になった。やり残しだらけの私だったが、「音響の素晴らしさを伝えて」という夫の頼みで、出向くことになったのだった。

 一曲目は、聞き逃してしまったが、後は、全曲聴くことができた。なかでも、パイプオルガンの低音とストラディバリウスの重厚で美しい響きは絶妙で、天衣無縫に弾かれる天満さんの個性に導かれ、演奏会はクライマックスへ向かう。とうとう天空の風のように響く「望郷のバラード」では、感動して涙が溢れ出し、帰りはホールから下向き加減で出ることになってしまった(笑い)

 キタラは、どこに座っても音響との一体感を感じられる構造になっているようで、たとえステージから遠い席でもその音の波動を堪能できる。だから、2階席であっても、その波動を十分に感じることができたのだった。「カタカムナ」的に言うと、まるで、音の「アマウツシ」が生じたかのようだった。

 ここに私は、「音響免疫治療器」であるアカシックマシーンを想起するのだ。それには、まさに癒しの波動の「アマウツシ」が発生しているように感じられるからだ。 

 こちらを訪れた数名の女性たちは、その意味で、非常に素直に「アマウツシ」状態になり、癒しの体験をその日のうちに体感されている。その方たちは、ほとんどが健康に問題のない方だったので、体よりもメンタルな作用が目立っていたようにも思われる。

 一方、体に問題のある方たちは、まず悪いところに作用するので、いきなり血液循環がよくなることで、痛みを訴えられたり、あるいは、気の巡りをご自身で感じられたりするようだ。私の場合も、疲れているときなどは、とくに腎臓がきりきりとするくらいに痛む。

 長い病苦にあったある女性は、その闘病の苦しさのトラウマから、るいるいとした涙を何度も流されると、今度は音響から湧き上がる「いのちの讃歌」を体で表現し始めたのだった(笑い)それは、自由に感じるままに体を動かす「いのちのダンス」(笑い)といったもので、同時に、体の体液循環の良さを体感された。

 すべての人々がここまで素直に感じるままに生きられたら、どんなに楽なことだろう。おそらく、それには、利潤そのものを追求するような効率優先の社会から生命を優先する社会に変わらない限り、無理なのかもしれない。ミヒャエル・エンデの「モモ」の世界は、こうした現代人と現代社会を痛烈に批判している。

 さて、このマシーンは、こんな風に、潜在するものを解放し、とくにメンタル面では素直に正直に生きていくことを拒まれている現代人の疎外感をも映し出しているようにも見える。もちろん、みんなが感情をあらわにしたら、どんな混乱が起きるか測り知れないが、むしろ私は、現代社会のひずみは、この感情の行く場を失ってしまったことも大きいのだと思う。だれだって、エゴがあり、それは、大切な学びとして与えられているものでもあろう。とはいえ、だからと言って、自分自身の中で見てみないふりをして放置したり、フタをしてしまっていいというわけでもない。時間をかけても、その感情をちゃんと受け止め、本来の豊かな感情にゆだねられなければ、さらなるヒズミとなって帰ってくるからある。

 一つ、言えることは、物質文明の進化とともに、社会全体が精神を置き去りにしてしまい、その「アマウツシ」による「言の葉」を軽んじ、心と体にゆがみをつくり出しているということなのかもしれない。

 アカシック・マシーンは、そういう社会に棲む現代人に少なからぬ恩恵を与えそうだ。それにしても中枢神経や自律神経を温め、免疫力を改善しながら、豊かな感情を取り戻すことができるというのがまずは何よりである。
  
 
 

 しばらく沈黙している間に、

もう一つ、緊急にお伝えしなければならないことが起こってきています。
それは『ソマチッドと714Xの真実』の在庫がなくなってきたことで、
しばらくはご注文があっても、郵送できなくなってしまいそうです。
 
『ソマチッドと714Xの真実』は9月下旬の連休のころ出版されましたから、
それからまだ2ヶ月も経っていません。
こんなふうに言うと、すごい勢いで売れているとお思いでしょうが、
決してそういうわけでもありません。
 
初版の出版に当たっては「少しでも早く出す」ことをまず考え、それによって
「ソマチッド基金」と「予約販売」に対する責任を果たしたいと考えていましたので、
かなりあわてて編集していました。
そんなわけで校正ミスや、後で追加したいことが出てくるかもしれませんので、
印刷部数を控えめにして、2刷りを早めにやりたいと考えていたのです。
 

 すっかりご無沙汰してしまいました。

この一ヶ月余り、いろんなことが大きく動き始め、

暮らしのリズムがやや混乱気味でした。

 

「これ」に着手していると「あれ」が飛び込み、

「それ」に集中したとたん、また別の動きにせかされる…。

そんなこんなで「どれもこれも」気がかりな状態で、

あっという間に、かれこれ一ヶ月余りが経ってしまったというわけです。

 

ま、これが人生というものでしょう。

誰もが同じような状態で、日々の暮らしを営んでいるのでしょう。

それにしても来訪者が多く、また気がかりなことの多い日々でした。

 先日大急ぎで熊本での「1 day セミナー」のご案内をさせていただきましたが、

もっと緊急の案内が、実はもう一つありました。

 

それは東京での「カタカムナを学ぶ集い」。

この集いは、なにしろ明日6日(金)の午後1時半から開催されますから、

いまごろご案内したところで、もはや遅すぎるかもしれません。

 

この「カタカムナを学ぶ集い」の主催者は井上治子さんで、

『タオ・コード』の著者、千賀さんが主催する「タオ・ダンス」のメンバーです。

その井上さん、実は10月17日にぼくが東京で開催した「不安呪縛を解く」集いに、

『タオ・コード』の著者千賀さんも誘って十数名で参加してくださり、

そのときカタカムナに惹かれたのか、翌日の「カタカムナの集い」にも参加してくれました。

 

そしてそのときに、講師として参加していた「現代のカタカムナ人=芳賀さん」と出会い、

その場でちゃっかり「東京での集い」を決めてしまったようです〈笑〉。


 昨日、札幌に初雪がふりました。

朝起きてテラスに出たら、落ち葉が雪に埋まり、
手稲の山もきれいに白くなり、凛として青空に映えていました。
去年よりも4日早い初雪とのこと。
いまもチラホラ、これからいよいよ雪の季節が始まります。
(本格的な根雪は、まだまだ先のことでしょうが…)
 
今日は11月3日…、一年前のちょうどいまごろ(11月2日)、
「篤姫からの歴史断想…」を書きました。
それは、章恵ちゃんのお母さんのメールから触発されたものでした。
http://www.creative.co.jp/top/main3578.html
 

 この摩訶不思議なタイムトラベルマシーン!

・・・・・・・・・・・・・・・稲田陽子

 

このひと月余り、我が家のドームは「不思議な椅子」で話題が沸騰している。

この椅子に座ると、時間も空間も越えて、

ただ虚空に漂う一人の「ソウルの旅人」となるからである。

 

昨日も、ある女性が座ったら、また不思議なことが起きた。

しばらく癒しの音響と波打つ宇宙の拍動に包まれると、彼女は、

巫女のごとくその魂の内側でただ与えられるがままに、変性意識状態に陥る。

そして、宇宙の生成のエネルギーと魂の旅の秘密をヴィジョンとして見てしまったのである。

 昨日の夕方、札幌にミゾレっぽい雪が降りました。

そして今日はから11月。今年も残すところあと2ヶ月です。
 
前回書き込んだのは10月17日のことでしたから、
気がついたら、またまた半月ほど沈黙してしまっていました。
この間、とても何かを書くだけの気持ちの余裕がなかったのです。
生きて行く日々には、本当にいろんなことがあるもの。
ガン問題以外にも、いろんな相談が持ち込まれたからでした。
 
長く沈黙してしまったこともあって、以下のようなメールが届きました。

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