落日は輝き続ける原野の画家・佐々木榮松さん

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稲田陽子です。先ほどの記事の続きです。

佐々木画伯は、釧路湿原の大自然が生み出した、

癒しのメッセージを内包する「内なる画家」と言えそうですね。

エピソードなどの余談も含まれますが、以下、どうぞ!

。。。。。。。。。。その2

落日は輝き続ける原野の画家・佐々木榮松さん

2009-09-30

今日まで、釧路JRステーション画廊閉館記念個展

・・・・・稲田陽子

 釧路のJRステーション画廊が今月末で閉鎖されるとあって、月末近くなってやっと佐々木榮松さんの個展に駆けつけることができました。10年前に私自身の創作の取材と先生にお会いするために行ったときと同じように、そこに入るや、画廊全体が、もう一つの大自然の息吹に満ちた「色彩の磁場」となって、私を変わらずに迎え入れてくれました。

 今回は、何日か前のお電話で先生の体調があまり良くないご様子でしたので、先生にはご連絡せずにJRステーション画廊での最後の個展をそっと見届けることにしたのでした。当初は、夫も行く予定でしたが、どうしても時間が取れず、急きょ、私だけ釧路駅の画廊に直行しました。

 JRの方のお話によると、閉鎖は、急に8月に決まり、ゆかりの人々の名簿を先生から渡されて、すぐにその方たちに連絡をしたのだそうです。それにしても、急なご案内で、こちらはびっくりしたのですが、その方は、「先生は、体調を崩されているので、私もめったにお会いできません。ですが、先月にそう決まったときには、大々的な宣伝などせずに、ひっそりと閉じようと、そういう話になったのです。この絵は、すべて先生にお返しすることになりました」と、言われます。

 画廊の閉鎖は、釧路駅の乗降が激減したということが大きな理由だとはいえ、それにしても、佐々木先生の絵は、ふらりと立ち寄る旅人にも感動を与え続けてきただけに、やはり、閉鎖というのはとても残念なことに違いありません。

 我が家の玄関には、その先生からいただいた一枚のサビタの花の絵が飾られています。それは、自然の中で清楚に咲き匂うように、そのままピュアな精気を放っています。花瓶にはまるで溶け込むように二羽の蝶が止まっている。シンプルな色彩構成に独特の赤を効かせているのも、佐々木画伯特有の表現方法で、ほとばしる生命のエネルギーを調和のなかにも強く表象しているかのようです。

 この絵は、私の「世の終わりの贈りもの」の中の「恋うた」に使わせていただいているもので、その昔、佐々木画伯のちょっとした遊び心で私の作品のイメージに合わせて、寄贈してくださったのでした。

 当時は、夫が、先生直々に画集の編集を依頼されていたころで、いつの間にか、小さかった子どもたちも含めて、家族ぐるみで釧路の先生のお宅やステーション画廊を訪ねたり、また先生のガイドでお気に入りの湿原や原野の湖沼などを巡ったりしたものでした。もちろん、先生も、齢80を過ぎても、はるばる釧路から我が家に立ち寄られ、楽しいひとときを過ごしたりもしました。

 そんな親しい交流のうちに、なぜか、先生が私が童話の会をしていることを耳にされると、我が家に来られたその帰り際に、茶目っ気たっぷりにそしてとても普通の80代の方とは思えないくらいはつらつと「ぼくも入れてください」と、おっしゃったのです。そのときは、本気か冗談なのかはっきりと区別がつかないような雰囲気でしたので、そのままになってしまいましたが、それは、いま思えば、少しは本気だったのかもしれないと、微笑ましくもなつかしく思い出しています。

 しかし、その後、「私のファンタジー短編と先生の絵とのコラボはできないでしょうか」と、図々しくも先生にお話を持ちかけたところ、意外にもとても良いお返事をいただいたのでした。もっとも、私の創作活動は、非日常的な意識の中でしか熟成しないものなので、日常の生活のほんの合間にしか実際には出来ず、私がひそかに目標にした100もの物語を作るのは至難の技となってしまいました。そこで、コラボの話は実際には不可能に近くなり、断ち消えになりそうな気配でした。  

 そのうちに、夫と私の間で、環境・福祉・平和のクオリティーペーパー「エコろじー」の発行を会社の企画として出す話が加熱して、ル・モンドをイメージして企画した夫が発行人、私が編集人となって、二人で書きたいことを書こうということになりました。結局私は「ライター」というもとのサヤにおさまってしまいました。

 この「エコろじー」が発刊された年の秋、私は、同時に自分の創作活動もきちんとしたいと思い、そのために釧路の佐々木先生を訪ね、また湿原も巡り、画廊の絵も再確認させていただきました。その後、「恋うた」を習作したものの、佐々木先生の絵にも生き生きとつながるような「神話的作品」にするために、またそれを別のイメージで創り直したり、錬金術のように何度も修正を加えました。

 しかも、佐々木作品から全く自立した作品にしなければ、コラボにもなりませんから、私は、札幌に帰ってくると、わざわざ釧路のイメージから解放されるために石狩の浜で創作イメージのコンディション作りをしたりしました。「長いものよりも、短編がいい」と、おっしゃった先生のご助言も大事にしながら、自分独自のひらめきを取り出しつつ、以前に感銘を受けたエドガー・アラン・ポーの短編の技法イメージや美学などを潜在的に享受したりもしました。<このポーの研究は、私が大学時代に英米文学科の卒論(テーマにしたのは、ミステリではなく、グロテスクとアラベスクの物語)に選び、締め切りギリギリ(笑い)に出した思い出深い英文の初めての「労作」!どこでどう役に立つのかわからないものです(笑い)>

 さて、佐々木画伯は、「人の評価など関係なく、自分が一番書きたいことを自由に書くように」と、アドバイスをしてくださいました。それは、まさに佐々木画伯の作品のベースにあるものそのもののように思われます。芸術の世界は、実にその独自性に始まり、そこに完結しながら、何かワンダーを秘めているものなのかもしれません。

 画伯からは、私の作品イメージから何と三点も絵を寄贈してくださったのでした。この三枚の絵は、エコろじーやその他もろもろの雑事に追い回される私にある励みと目標をもたらし続けました。しかし、夫がガン宣告を受けたころは、夫のガンが最優先課題になり、さすがに自分の創作どころではなかったのですが、そのときは、環境問題にとても熱心なある「高校生記者」がボランティア参加した「エコろじー」も止めて久しく、夫が「ガン呪縛を解く」を出した後は、私も一気に、「恋うた」を含む「世の終わりの贈りもの」を書き上げることができました。佐々木画伯を訪ねたあの年から、何とすでに7年の歳月が流れたことになります。

 そして、2年。釧路川の護岸工事で新たな環境問題が生じている釧路湿原の危機を、湿原を愛した画家はご存知だろうか。それは、定かではなくとも、また、たとえ、湿原が様変わりし、画廊が閉鎖されても、画伯が旅したこころの湿原は、いまだにその地平線に落日が輝き続け、大自然の悠久の煌めきをいつまでもときめかせるに違いありません。

http://www.creative.co.jp/top/main3744.html
http://www.lph.bne.jp/top/main3402.html

 


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このページは、jiai.netがOctober 1, 2009 8:13 PMに書いたブログ記事です。

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