鳩山「革命政権」の誕生 ?!

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 総選挙の結果「政権交代」が起き、昨日「鳩山政権」が誕生しました。

これは、はっきり言って「革命」です。
「革命が起きた」と考えたほうが、頭がすっきりと整理できると思います。
 
「革命」などと言うと、とかく「暴力革命」を連想してしまいますが、
しかし、「革命」のその本質は、
「主として民衆・被支配階級が、それまでの国家・政府(支配階級)を倒し、
 国家体制を変更させること」…とウィキペディアの説明にもあるとおり、
革命の目指すものは「国家体制の変更」であり、
その「変更=チェンジ」が実現するなら「革命が成功した」と言えるでしょう。
 

また「革命」は英語では「revolution」ですが、

この「revolution」は「re-volution=再回転」という意味であり、

要するに、古き良き本来の姿に回帰するといった意味が秘められています。

 

漢語でも、「革命=命(天命)を革(あらた)める」

すなわち「天命が改まる」ということですから、

今回の「政権交代」では、まさに「革命が始まった」というべきでしょう。

 

実際、鳩山首相は昨日の記者会見で、「脱・官僚依存」を強調しました。

これまでの日本の国家体制は、官僚によって維持管理されてきたわけですが、

その国家体制を「変更」しようというのですから、これまさに「革命」です。

というより、日本の民主主義は、革命が必要なほどにまで歪んでいたわけです。

 

いったい、どこがどう歪んでいたかと申しますと、

日本の憲法では「権力の分立=三権分立」がうたわれています。

これは「立法府・行政府・司法府」の三権が、

お互いに監視しあうことによって抑制均衡(バランス)を図り、

それをもって、「権力の集中・濫用」の危険を防止して、

国民の政治的自由を保障・実現させようとする政治システムです。

 

しかし実際には、行政府の官僚が法案を作成し、それを自民党が国会で議決し、

その法を裁判所(司法府)が「適用・執行」してきたのですから、

「三権分立」とは名ばかりで、文字通り「官僚依存(支配)」が定着していました。

これでは「国民主体」をうたった「民主主義」が機能するはずがありません。

実際、国民は実質的に、長く「国家権力の奴隷」と化していたのです。

 

「国民は国家権力の奴隷だった」などというと「まさか」と思われるでしょうが、

実は、日本の国民は、まさに「奴隷そのもの」だったのです。

もっとも、ここでいう「奴隷」とは、その定義、すなわち、

「人間でありながら所有の客体、すなわち所有物とされる者」という意味ですが、

「奴隷」の悲劇は「人権が蹂躙されている」ということに尽きるでしょう。

 

「人権」とは、すべての人間が生まれながらにして持つ基本的人権のことで、

そこには、生命、財産、名誉の尊重といったものが含まれています。

しかし、本当に私たちの生命、財産、名誉は尊重されているのでしょうか。

あえて言うまでもなく、私たちの人権は蹂躙され続けてきました。

 

だからといって「国民は国家権力の奴隷だった」などと言ってしまっては、

「過激すぎるんじゃないの?」と反論されそうですが、

ところがどっこい、そう過激な表現でもなく、そこに実は真実があるのです。

私たち日本国民は長い歴史的期間において、ずっと奴隷であり続けました。

そのことをご理解いただくために、

ミシェル・フーコーの「パストラルの権力」を考えてみることにしましょう。

 

ミシェル・フーコー(1926〜1984)はフランスの哲学者で、

主な著書に『狂気の歴史』や『監獄の誕生』などがあります。

彼は、近代の権力の本質を「自ら進んでするようにし向ける権力」としています。

つまり近代の権力は実に巧妙で、決して何かを無理強いしたりはせず、

逆に、人々に優しく、厳しく、情愛に満ちて理性的に働きかける。

要するに「踊らせる」のではなく「踊ることを可能にしてあげる」わけです。

 

しかもそのために国民一人一人に注意を払い、一人一人の面倒を見る。

そこには黒々とした権力の影など、ほとんど見えません。

 

戦後の日本の国家権力は、まさに「この手」で国民を管理してきました。

それを実質的に司ったのが自民党政権であり、国家官僚たちでした。

しかもこの国民管理術(支配術)は経済成長時代の中で大きく効を奏し、

国民の多くが「奴隷化されている」とは全く気づきませんでした。

むしろ政治権力に感謝し、政治家や官僚たちをほめ讃えたのです。

 

これはいったい、何を意味するでしょうか。

これまさにミシェル・フーコーの言う「パストラルの権力」の実相です。

「パストラルの権力」とは「牧人・司祭、羊飼いの権力」であり、

早い話、羊飼いはヒツジ一匹一匹に気配りすることで「信」を勝ち取り、

そして羊の群全体を、自ら企図した方向へと巧みに誘導していきます。

その意味で「信」は、パストラルの権力を行使する引き金とも言えます。

 

もしもこの「パストラルの権力」によって国民全体が幸せになれるのなら、

それも決して悪くはないかもしれません。

ところがパストラルの権力は、基本的に「信じる・従う」ことを強要し、

「自由」と「自発性」を発揮して、群れから離れた者たちには罰を与えます。

そこには、人間個人本来の基本的人権はありません。

「パストラルの権力」の本質は「個人の自由と自発性=人権」を奪い取り、

「権力ピラミッド」の中で巧妙に人々を支配管理する術だからです。

 

日本ではこの「パストラルの権力」は官僚たちによって維持されてきました。

成長のある豊かな時代なら「その矛盾・横暴」は目立ちませんでしたが、

税収が減り、借金が莫大に増えたいまでは、

彼らが行使するパストラルの権力の矛盾(限界)と収奪のひどさが際立ちます。

その象徴的な事例が「官僚の天下り」と言えるでしょう。

 

今回の総選挙は「脱・官僚依存」「官僚支配からの脱却」にありましたから、

その意味で、これは「合法的な革命」の旗を掲げて戦った選挙でした。

そしてその結果は、民主党の圧倒的な勝利、自民公明の歴史的惨敗です。

こうしてここに「政権交代」が実現したわけですから、

「鳩山連立政権」の性格はまさに「革命政権」であり、

マスメディアも国民もそうした視点から今後の展開を見守る必要があります。

ここで重要なことは、果して「脱・官僚支配」が実現できるかということです。

 

その意味で、鳩山首相がいみじくも語ったように、

「日本に未曾有の歴史的な第一歩」が踏み出されたことになります。

だからこそ、民主党、社民党、国民新党の3党による政策合意書には、

次のような一文がしたためられていたのです。

 

 小泉内閣が主導した競争至上主義の経済政策をはじめとした、

 相次ぐ自公政権の失政によって、

 国民生活、地域経済は疲弊し、雇用不安が増大し、

 社会保障・教育のセーフティネットはほころびを露呈している。

 国民からの負託は、税金のムダづかいを一掃し、国民生活を支援することを通じ、

 我が国の経済社会の安定と成長を促す政策の実施にある。

 

この一文の背後にあるメッセージが何を意味しているかと言えば、

これまでの「官僚支配(依存)の国家体制」を根本から変更するということです。

というのも、これまでは行政府(官僚機構)が立法権を侵蝕していましたから、

その誤り(危険性)をただして、本来の三権分立の姿を実現する。

早い話、選挙によって国民から選ばれた議員から成る国会が立法権を行使して法を定立し、

行政府(官僚機構)がその法を執行するという、本来の姿に立ち返ろうということです。

 

その姿勢をはっきりと示すかのように、

菅直人氏は選挙で圧勝した直後、国交省の事務次官に次のように言ったそうです。

 

 高速道路無料化に反対する卑劣な情報操作をするのは、断じてやめよ。

 もしこれまでどおりにやりたかったら、自分たちで「国土交通省党」を結成して、

 選挙で国民に訴えて、選挙で勝って国民の信託を得たのちに堂々とやるべきだ。

 あんた方は選挙で国民に選ばれた立場にはない。

 あんた方の仕事は、立法府で通過した法を公務として行使することだ。

 

こうした発言に対して、早くもさまざまな反応が出ているようですが、

これくらいはっきりと「国家体制の変更」を断言しない限り、

政権交代による「革命」は決して実現しないでしょう。

ここであえてぼくが「革命」を強調したのは、

これくらい言わないと「パストラル呪縛」から解放されないからです〈笑〉。

 

巧妙な「パストラルの権力」の意図を見破るのはマスメディアの役割ですが、

残念ながら日本のマスメディアは、むしろこれに加担しています。

その典型的な例が、4年前の「小泉郵政選挙」だったと言えるでしょう。

 

さきほど、妻と息抜きに喫茶店に行ったとき『週刊ポスト』を読みました。

そこには『坂の上の雲と日本人』という特集があり、

その中に映画監督の篠田正浩さんの文章がありました。

 

彼は『坂の上の雲』の著者司馬遼太郎が書いた「あとがき」に触れ、

国家権力による「情報秘匿の危険性」を強調していました。

ぼくもかつて夢中で『坂の上の雲』の全巻を読み、

その「あとがき」での司馬遼太郎の指摘にハタと膝を打った記憶があります。

もしも日露戦争の戦史がまともに綴られていたとしたら、

昭和の悲劇的な戦争は起こらなかったにちがいない…。

司馬遼太郎はそのように書き、隠され歪められた「官修戦史」を批判したのです。

 

権力は、重要な情報を隠します。事実・史実を歪めます。

権力に都合のよい情報しか明らかにせず、都合の悪い情報は秘匿します。

これは長い人類史の真実であり、権力は情報を独占して巧みに利用する。

その結果、多くの人々の人権が蹂躙され、不幸に見舞われるのです。

 

菅直人副総理は「高速道路無料化」での情報操作に関して官僚を叱責しましたが、

その国交省が「高速道路無料化は高い経済効果がある」という資料を、

実はこっそりと秘匿していたという事実が判明してしまいました。

 

岡田克也外務相もまた、日米間の「密約文書」に対して、

11月末までに徹底調査をするようにと外務省の藪中次官に命じました。

こうして「革命政権」は、従来の歪んだ国家体制の大掃除を始めます。

それなくして「日本の蘇生」はありえません。

長く世の中を支配してきた「パストラルの権力呪縛」から解放されたとき、

はじめて歪んだ社会体制が「re-volution=再回転=革命」できるでしょう。

 

ついつい、リキんで書いてしまったようです〈笑〉。

こんな原稿を書いてしまった理由は、メディアの認識におかしさを感じたからです。

だれも長い間「日本の三権分立」が蹂躙されていた違憲的事実に触れず、

「権力による情報秘匿」や巧妙な「情報操作」をあまり重要視していません。

だからこそ「パストラルの権力呪縛」が続いてきたとも言えますが、

これでは鳩山政権の「革命」は途上で挫折してしまうかもしれません。

なにしろマスメディア自体が権力とつながって情報操作に加担してきたのですから、

いくらメディアを批判しても意味がないかもしれません。

 

それに、何かを批判してみても、それが逆効果にすぎないことも分かっています。

批判をすればするほどその波動と共振し、自らの波動までもが乱れます〈笑〉。

いま日本で起こっていることは、

アメリカの「共和党・民主党」の2大政党間の交代劇と同じような、

単なるシーソーゲーム的な政権交代ではないのです。

ただ、そのことが言いたくて、ついついリキんで書いてしまいました。

いま日本で起こっていることは、まさに「革命」です。

140年前の「明治維新」以上の大革命が、いま目の前で始まっています。

これが成功するか否かは、三権分立が可能か否かと同義です。

 

鳩山政権は少なくてもそのことを強く自覚してやっているようですから、

メディアがボケていたとしても、たぶん大丈夫でしょう。

今回の総選挙は、なるほど国民の意識の変化の結果であるわけですが、

その背後には「文明法則の働き」があり、「宇宙波動の作用」もありました。

だから、たとえマスメディアがボケていたとしても「これでいいのだ」〈笑〉。

 

いまのぼくに必要なことは、ホ・オポノポノではありませんが、

「こんな世の中であって、ごめんね。ゆるして。ありがとう! 愛してる!」と、

ただひたすらつぶやくことなのだと思います〈笑〉。

 

稲田芳弘

 

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コメント(1)

マニフェストは何一つ守らない。
選挙前にあわてて引っ込めた、外国人参政権などの裏マニフェストだけは熱心という政権のどこが、革命政権なのでしょう?
国民もいい加減、民主党の危うさに気付いてきて、支持率急落。
そろそろ革命政権という言葉訂正したほうがいいですよ。

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このページは、jiai.netがSeptember 17, 2009 5:57 PMに書いたブログ記事です。

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