袖振り合うも他生の縁

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「袖(そで)振り合うも他生の縁」ということわざがあります。

これは文字通り、たとえば雑踏の中で、

知らない人の袖と自分の袖とがちょっと振り合う(触れ合う)のも、

前世のどこかで何らかの縁(関係性)があったからであって、

どんな出会い、出来事にも、全くの偶然といったものはない。

起こることのすべてに前世(他生)の縁がからんでいる…。

という意味で使われる言葉です。

 

前世(他生&多生)や縁を考えるという意味で、これはとても仏教的な思想です。

「なんの因果か…」と嘆く人々の言葉を、子供のころよく聞いたものでした。

たぶんそういった感覚を子供のころに植え付けられたからでしょうか、

身の回りで起こること、出会う人に、ぼくは「他生の縁」を感じてきました。


それに加えて、これまでの人生でいくつもの偶然的出来事、ハプニングに遭遇し、

そういったものが実は己の人生を組み立ててくれていたことに気づき、

また、一見、ひどく不幸に思えること、正念場的な悲劇が、

実は素晴らしいジャンプの足場になっていたことにも気づかされました。

 

人生にひとつもムダなものはなく、すべてに深い意味がある…。

それはどんな出来事や出会いでもそうであって、

その意味を発見していくのが人生ではないかと思ったりもしています。

 

「他生の縁」に思いを巡らすことを「仏教的」と書きましたが、

その後「量子的世界」のことを知るにつれ、

これは決して仏教的といったものではなく、科学的なものとも知りました。

要するに、すべてがすべてにつながっているのです。

起こること、出会うもの、そのすべてに、

複合的、重層的な、意味ある宇宙的時空が貫いているのです。

 

 ………………………………………………

 

ドームを叩く秋の雨音を聞きながら、そして秋冷を感じながら、

こんなことを書き出してしまいました。

「あること」を書きたいと思いながらも、どんなふうに書いたらいいのか、

そう思っていたときに心に浮かんだのが「他生の縁」だったからです。

 

「あること」とは、あるガン患者さんのことです。

あるガン患者さんが、いま末期の苦しみの中で送ってくれた言葉です。

そのことを書く前に、いろいろ考えました。

 

まず考えたことは、

なぜ、いま、ぼくは大勢のガン患者さんとつながっているのか。

単につながっているだけでなく、その「心の内」も知らされます。

ガン患者さんは、普通の人があまり考えない「人生の意味」を考えています。

そしてその思索の片鱗が、ぼくにも伝わってくるのです。

 

もしもぼくがガンにならなかったら、こうした出会いはまずなかったでしょう。

ところがガンになり、『ガン呪縛を解く』を出版したお陰で、

驚くほど多くのガン患者さん、あるいはそのご家族と知り合いになり、

ガンにまつわるさまざまな症状、思い、その後の経過を知らされてきました。

 

そんななか、ますますはっきりと分かってきたことは、

ガンは決して肉体的.物質的な病気というのではなく、

その背後に感情的、精神的、さらには霊的な作用もまたあるということです。

千島先生的に言えば「気の乱れ」、これが厳然と横たわっています。

しかもその「気」は、患者の単なる生活(人生)レベルに留まらず、

それこそ「他生的」いえ「宇宙的」なレベルにまでつながっているのです。

 

そういったことを徐々に感じ、あるいは理解するにつれ、

一つ一つの出会いの中に、ぼく自身とその患者の「他生の縁」を考えました。

きっとどこかでつながったことがあったからこそ、

いま共にガンになり、それが縁となって再び出会うことになったのでしょう。

となれば、これは決して「他人事」ではありません。

ぼく自身が、その治癒にそれなりに関わっていかなければなりません。

 

当初はそんなふうに考えて「じあいネット」を立ち上げました。

しかし実際にやってみて痛感させられたことは、

とてもぼく個人の手には負えない大変さがあるということでした。

このことを書き出すと、それこそきりがありません。

ということで、それ以降の思索のプロセスは一切省略して、

いま考えていることをシンプルにお伝えしたいと思います。

 

とはいえ、ガンの問題をシンプルに語ることは、これまた大変です。

現代医学はガン細胞を悪魔のように考え、これを殺すことをやっていますが、

ガン細胞を殺しガン腫を消してみても、それで完治というわけではありません。

ガンを発症させた真因「気血動の乱れ」は相変わらずそのままですから、

そのエネルギーが残っている限り、「再発・転移」は避けられません。

 

これに対して千島医学は、ガンは結果であるとし、

ガンの真因は、ガン患者本人の「気血動の乱れ」としました。

ぼくもその通りと思い、自分のガン治療を病院には委ねませんでした。

 

千島学説は、ある意味「自己責任論」に立っています。

自らの内なる「いのちの力」が、ガンを完治に導くというものです。

 

そして、現代医学の怪しさに気づいた多くの方々が、同じように考えています。

「最後は、結局、自分の免疫力、治癒力だよ」と…。

それに気づいて自ら自発的な何かを始めない限り、ガン完治はないと。

 

確かにその通りなのでしょう。

ぼくもまた、いつも、そのように話したりしています。

 

しかしその一方、旧約聖書の「ヨブの苦悶」のことも頭の片隅にあります。

ヨブは「全く人」だったにもかかわらず、ある日突然不幸に見舞われます。

主の恵みを受けて万事幸せだったヨブが、次々と不幸に襲われていくのです。

まず家畜が殺され(財産が消え)、子供たちも次々と死に、

ヨブ自身も全身にひどい腫れ物(ガン?)に襲われ、その痒さ痛さに苦しみます。

 

その上、妻には見放され、親友だった3人からも、

「お前がこんなふうになったのは、罪を犯したからだ」と詰め寄られ、

ヨブは身体の痛み苦しみに加えて、完全な孤独に追いやられました。

そんななか、ヨブは主を呪い、自分が生まれたことを呪詛します。

なぜこんな不幸に見舞われたのか、ヨブにはその理由が全く分からなかったからでした。

 

ガン患者さんの「心の内」を聞かされたぼくは、時々ヨブの懊悩のことを思います。

「罪」に全く心当たりがなく「全き人」だったヨブでさえ、

「不幸の究極」に追いやられたりするのです。

いったい、なぜなんだろう? なぜこんな不幸に襲われるのか?

ヨブの場合もそうでしたが、そこには実は、深い意味が隠されていたのです。

 

話がすっかりおかしな方向に飛んでしまいました。

こういったことを書き出すと、どんどん迷路にはまってしまって、

ぼく自身が、何を書いているのか分からなくなってきます〈笑〉。

 

そうでした。書きたかったことは、あるガン患者さんの「あること」でした。

シンプルに結論だけを申し上げます。

「あるガン患者さん」が、まさに「ヨブのような懊悩状態」にあります。

なぜガンになったのか、そのことを自己責任的に考え尽くし、

「気血動の乱れ」を解決するために、それこそいろんなことをしてきました。

 

にもかかわらず、状態がどんどん悪化して、いま緩和ケア病棟に入院しています。

けなげにも、彼女はそのことを自己責任のように捉えています。

確かにそういった部分もあるかもしれません。

しかし、その姿に、ぼくは「ヨブの人生」を見る思いがしています。

 

「他生の縁」を感じるぼくとしては、

ただ「ホ・オポノポノ」の4つの言葉を贈る以外にありません。

 

 ごめんなさい。ゆるしてください。

 ありがとう! 愛しています…と。

 

と同時に、これまた「他生の縁」があってつながっているみなさまに、

彼女のことを伝え、同じ思いを寄せていただきたいとも思っています。

その「ガン患者さん」彼女のお名前は「河田厚子さん」…。

名古屋市の「南生協病院・緩和ケア病棟」に入院しています。

 

ぼくにはいつも、何人かの重篤なガン患者さんのことが頭にあります。

ガンは結局本人の「いのちの力」の問題なのだから、

何かに依存的であっては完治は無理。そういった思いがありました。

しかしその「いのちの力」は、何かの縁があって爆発的に開花することもあります。

 

以前、奈良の「新川裕美さん」のことを書きましたが、

彼女は、その後病院から退院して、いま自宅で静養しているとのこと。

先日もご主人から、「大阪のセミナーに会いに行けるようにしたい」、

というメールが届きました。

 

もちろん、まだまだ大変な状態にあることだろうとは思います。

しかし、あれだけひどい状態から、多くのみなさまのサポートもあって、

なんとか今に至ることができたのでした。

 

そんな状態にあった新川さんに対して、名古屋の河田さんも激励していました。

河田さんと新川さんは、島根県の美都で開いたぼくの合宿の集いに来てくださり、

それ以来、ずっと交流が続いていたようでした。

 

「究極の悲劇」のど真ん中に置かれていたヨブは、

結局、見事に蘇り、再び至上の幸せを手にすることができました。

数々の苦しみの果てに、深く悟ることがあったからでした。

そのきっかけとなったものは、「主の声」でした。

河田厚子さんにも「その声」が響くよう、

ぜひともみなさま方に「思い=祈りのサポート」をお願いしたいと思います。

 

もう少しうまく書きたいとは思いながらも、なかなかうまく書けません。

いまはまず、河田さんの存在とその状態のことだけを書きながら、

それぞれの「他生の縁」の大シンフォニーをみんなで奏でたいと願っております。

 

稲田芳弘

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