九州の旅から、昨夜帰ってきました。
この4日間の九州での出来事を振り返ってみますと、
まるでゲリラ豪雨のふところに飛び込み、激しい風雨や情報と戯れ、
異常気象と追いかけっこ?をしながら過ごした日々のように思えます。
そしてそういった「非日常的な出来事」の中から、
本当にたくさんの貴重なメッセージを受け止めることができました。
「激しい風雨との戯れ」の予感は、
まず、千歳から福岡空港に飛ぶ飛行機の中で感じられました。
乱気流に巻き込まれてガタガタと揺れる飛行機、
あるいは、突然スゥーっと落下する不気味な感覚…。
こういった感覚はそれまでにも何度か体験してきましたが、
正気、あまり心地よいものではありません〈笑〉。
飛行機は地球の自転と気流の流れに逆らって飛んでいるのですから、
こういうときはやはり「なるようになれ」という覚悟が必要です。
そう思った直後にガタガタが治まりましたから、実際、面白いものです。
午後1時過ぎの福岡空港は、ひどいどしゃぶり状態にありました。
激しい突風にも見舞われていたようです。
その夜のテレビニュースで知ったことですが、
その後福岡空港は記録的な降雨量とひどい風雨に飲み込まれたらしく、
案の定、欠航便が相次いだということでした。
その日(24日)の夜、福岡で「集い」が予定されていました。
この日の福岡は最悪の天候状態にありましたから、
それだけでも「果してみなさん、来れるだろうか」と思っていました。
ところがその悪天候に加え、実はとんでもない問題が重なっていたのです。
「とんでもない問題」というのは、会場案内にミスがあったことでした。
しかもそれが分かったのは「開場時間」の直前のことであり、
実際の「会場」はそこからかなり遠い場所だったのです。
………………………
こんなふうに「福岡の集い」でのハプニングを書き出したものの、
その後外出の用事などが相次いだこともあって、中断の連続。
気がついたら、もう夕方近くになってしまいました。
そこで書き綴ったものを集約し、まずは簡単に報告させていただきます。
いろいろ振り返ってみまするに、福岡の出来事だけをとっても、
一遍の「短編小説」になりそうなほどのスリリングな内容です。
「スリリング」というより、この件では本当にご迷惑おかけしました。
あれだけひどいゲリラ豪雨の中「参加」するだけでも大変なのに、
そのうえ「移動」までさせてしまい、ただただ申し訳なく思っています。
福岡での「不安呪縛を解く」のお話の集いは、
5時開場、5時半スタート、8時までとなっていました。
しかしそこに突然の「移動劇」などが加わったため、
実際には1時間近く遅いスタートになってしまいました。
札幌では3時間半をかけて話してもまだ時間が足りなかった内容を、
2時間半の内容に縮めてパソコン資料を用意していたのでしたが、
それをさらに1時間半ほどに縮めて話さざるをえませんでした。
そんなわけで、はたしてどこまでご理解いただけたものやら心配ですが、
そのうちに30分で、10分で、いや3分で、いなたったの一言で、
すべてが分かる呪文のような伝え方を工夫してみたいと思っています〈笑〉。
こうして8時過ぎに会場を出て、その後懇親会に出向きました。
でも準備してくださった場所はそこからかなり遠いようでしたので、
外に出てどしゃぶりの雨の中でタクシーを探しました。
しかしいくら待ってもタクシーはつかまらず、時間だけが過ぎていきます。
そこで結局は、どしゃぶりの雨の中を歩いて懇親会の場に向かいました。
それくらい過酷な状況だったにもかかわらず、
懇親会の店には、30名近くの方々が歩いて集ってくださいました。
だが…そこまでは何とか無事に運んだものの、
その後に、実は大変なことが待ち受けていたのでした。
「大変なこと」の内容を一言で言いますと、
早い話、帰れなくなった人が続出してしまったのです。
というのも、その日はJRがストップし、道路もあちこちで水びたし。
ビルや店の中ではよく分からなかったものの、
福岡周辺は歴史的なゲリラ豪雨で大混乱状態に置かれていたのです。
そんなわけでホテルもどこも満員で、泊まりたいと思っても宿がない。
あとで聞いた話ですが、知り合いを訪ねて泊めてもらったり、
中にはレンタカーを借りて遠くまで帰った方もおられたようでした。
あるいは朝まで雨の中で夜をお過ごしになった方もおられたかもしれません。
というのも、遠いところから福岡に駆けつけてくれた方も多かったからです。
(これから帰ると言って雨の中を飛び出した、島原のお坊さんたちは、
はたしてどうされたのでしょうか? JRがストップしていたからです)
懇親会が終わったあと、妻とタクシーを探しました。
予約していたホテルまで、それなりの距離があったからです。
しかし、雨の中、いくら待ってもタクシーはつかまりません。
そこでコンビニでカサを買い、どしゃぶりの雨の中を歩きました。
ようやくホテルに着き、テレビを入れたら、
どの局も「福岡のゲリラ豪雨」のニュースでもちきりでした。
ひどいときに「集い」をもったものです。
集まってくださった一人一人の顔がいつまでも頭にチラつきました。
問題は翌日の「熊本での集い」のことです。
深夜までテレビをつけて状況をチェックし続けましたが、
そのときの情報によれば、熊本に行けるかどうか分からない状態でした。
最悪の場合、「中止」も考えざるをえないと一瞬思いました。
妻も、同じことが頭の中にチラついていたようです。
というのも、今回は山口県萩市の「千島セミナー」に便乗したかたちで、
福岡と熊本での集いを企画したものでしたから、
熊本には行ったものの、熊本から山口までの交通が遮断されたら大変です。
そのことを考えると、危なっかしい熊本行きをキャンセルさせていただいて、
早めに山口へ、そして萩市に入っているほうが安全というものでしょう。
深夜のテレビを見ながら、一瞬そんな思いが襲ってきたのでした。
と同時に、「大丈夫!」という強い思いもひらめきました。
それこそ「不安呪縛を解く」ではありませんが、
心配や不安や恐れから行動すると、それが実際に現実化してしまいます。
そんな思いが湧いてきたこともあり、「大丈夫!」と本当に思ったのです。
そしてそのことを、妻に伝えました。
「大丈夫だよ。ぼくが行くところは空だって味方してくれるよ!」
こんな言葉をマジメっ面して言っては、それこそ教祖じみますので〈笑〉、
ぼくは笑いながら茶目っ気をまじえて妻に言いました。
それでも妻はその言葉にぼくの自身過剰・傲慢さ?を感じたのか、
「なんとエラそうに…」と、明日の天気を心配しています。
そんなわけで、眠ったのは深夜3時半過ぎくらいだったと思います。
目を覚まして、さっそくテレビニュースを聞き、
さらにフロントに熊本までの交通状態を聞いてみました。
その結果、JPは動いているもののすべての列車がかなり遅れており、
かつ熊本近くまでは徐行運転をしているということでした。
それに対して高速バスは、一日100本の「福岡ー熊本」間のバスが、
その日もちゃんと運行しているということでした。
そう知らされればやっぱり高速バスを選んでしまいます。
しかし、本当かどうかは自分で確認するしかありません。
そこでまずはJRのみどりの窓口に駆けつけてみると、そこには長い行列。
待っているだけでも時間がかかってしまいますし、
その行列状態を見る限り、とても「正常運行」とは思えません。
そこで次にバスセンターに足を運んで、運行状況を聞いてみました。
すると、ほとんど問題がないような回答でした。
となれば、バスで熊本に向かったほうが良さそうです。
ぼくの最初の直観では「JRのほうが安心だろう」だったのですが、
バスセンターの受付で聞き、運転手に再確認した果てに、
結局は「高速バス」で熊本に向かうことにしたのでした。
ところが、これが大きな間違いだったのです。
博多駅を出発したバスは、たちまち大渋滞に巻き込まれました。
本来の高速入り口で完全に足止めを食らい、
それを諦めて次の高速入り口に向かったのでしたが、
そこまで行くのにまた渋滞に飲み込まれてしまいました。
この調子で行くと、何時に熊本に着けるか分かりません。
そこで高速に入る前に下車してJRに乗り換えようと考え、
運転手さんに「いったい何時くらいに着くのか」と質問をしました。
その回答は「状況しだいです」〈笑〉。
このぶんだと高速を降りる地点でも大渋滞に巻き込まれそうです。
そう思って高速に入る手前の「南福岡駅?」で降ろしてもらったのですが、
結果的には、その判断のほうが正解だったようです。
というのも、JRならわずか10分地点のこの駅まで来るのに、
そのときの高速バスでは1時間40分もかかってしまっていました。
本当なら熊本に到着している時間にやっとこの駅です。
駅員の説明によれば「博多まで戻って特急に乗ったほうがいい」でしたので、
博多までの切符を買ってホームに出たら列車が待っていました。
それに飛び乗って約10分で博多駅に到着。
そしてたまたまそこにいた駅員に「熊本行き」の相談をしたら、
「間もなく発車するので急いで乗って!」ということでしたので、
実にタイミングよく「熊本行き」の特急に乗り込むことができました。
やれやれ、これで何とか熊本に行くことができそうです。
「もっともらしい情報」に振り回されて高速バスを選択し、
結局、ほぼ2時間の時間ロスがありました。
最初からJRを選んでいたら、たぶんわずかの遅れで到着できたでしょう。
高速バスで高速インターの手前で降り、JRで元の博多まで戻るのに約2時間、
しかも「元に戻っただけ」なのに、なんと一人2000円、
二人で4000円の高速バス代を払うはめとなりました〈笑〉。
熊本では、本当は午前10時から午後1時までお話しすることになっていました。
しかしお話を始めたのが12時過ぎでしたから、1時で終わるわけにはいきません。
ぼくとしてはその日のスケジュールを大きく変え、
時間のある限り熊本でお話ししようと心に決めました。
予定では1時まで熊本でお話し、そのあとJRの特急で博多へ。
さらに博多から新幹線で山口に行き、そこでセミナー主催者の車に乗り、
その日の夜の「前夜祭」に参加することになっていました。
しかし「前夜祭」を諦めれば、翌26日の朝までに萩市に着いていればいい。
そう考え、その日の夜は再び博多のホテルに宿泊し、
セミナー当日の朝早く、博多から萩市に向かおうと心に決めました。
セミナーは朝9時半からですから、きっとなんとかなるでしょう。
そう思って念のため、当日博多から萩に車で走るという人に電話してみました。
すると、ありがたいことに朝早くホテルでピックアップしてくれるというのです。
博多のホテルに、朝の4時半に迎えにきてくださるとか。
そんな約束がいただけ、本当にホッとしました。
ということで、熊本では12時過ぎから5時近くまでゆっくりお話しできました。
参加者の中には時間的な都合で途中でお帰りになる方も数名おられましたが、
ほとんどの方が5時近くまで4時間半のお話を聞いてくださいました。
ぼくを待つ2時間の時間も、とても有効に過ごしてくださったようです。
http://sebastyan.sblo.jp/
そのことが、さっき届いたセバスチャンさんの次のメールにも記されていました。
先日はお世話になりました。
大雨と悪天候の中、大変な思いをしながらも来て頂いたこと心から感謝しています。
本当にありがとうございました。
お陰さまで参加の皆さん大満足して、喜んで帰られました。
…………
「簡単な報告を」と思いつつ、ついつい長くなってしまいそうです。
そこでこのあとのことは、簡単にざぁ~っと書かせていただきます。
集いが終わったあと、セバスチャンさんご夫妻にごちそうになり、
熊本からと急に乗ったのは夜9時近かったように思います。
そして熊本から博多に舞い戻って、その夜見たTVニュースは、
「熊本を襲ったゲリラ豪雨」のことで終始していました。
たしかに、稲光と雷鳴、どしゃぶりの雨で、熊本は大変でした。
そんななか、またしても「集い」を持ったのでした〈笑〉。
翌26日はホテルを出るのが4時半ですから、3時半には目を覚ましました。
そして江口さんにピックアップしてもらって途中でさらに高尾先生を拾い、
そのまま山口県の萩市に直行。到着時間は朝の8時半過ぎ。
9時半からのスタートには十分間に合うことができました。
萩市の「健康セミナー」では「千島博士とガストン・ネサン」の話をしました。
今回の九州の旅では、3カ所それぞれのテーマが違っていましたから、
出かける前の準備がけっこう大変で、睡眠不足になりがちでした。
しかも24日は福岡で思いがけないハプニングに見舞われ、
それ以降はゲリラ災害の影響を受け、ゆったりできる間もありませんでした。
なにしろ24~26日は「福岡・熊本・山口県」が災害の渦中にあったからです。
しかし、博多のホテルでぼくが言ったように、
「空」はちゃんと味方してくれました。
いろんなハプニングや予定変更には襲われたものの、
なんとかすべてのスケジュールをそれなりにこなすことができました。
そこには、多くの方々の思いがけないサポートがあり、
それらに助けられてなんとか無事に過ごせたというのが真実です。
本当にありがとうございました。
そしてぼくのミスでご迷惑をおかけした方々もおられたに違いありませんが、
それらの方々には、心からお詫びしたいと思います。
萩市の「健康セミナー」は5時には終わりましたので、
そのあと場所を移して20名近くで打ち上げ会をやりました。
その日は萩市で宿泊し、翌日ゆっくりと帰途に着くことにしたのです。
山口県の萩市といえば、吉田松陰の松下村塾があった町です。
この町から、明治維新の巨大なエネルギーが湧き出したのです。
明治維新は本来アワ型民族の日本人が、サヌキ型に急変した出来事でした。
そこにも歴史の波動が強く作用して、いまの日本が出現しました。
その意味で、萩市は、
歴史歴なエネルギーチャクラになっていたと言っていいでしょう。
その萩市において7月26日、千島セミナーが初めて開催されたのです。
千島喜久男の最後の本=絶筆は、『女性文明待望論』です。
すなわち千島が見ていたものは「アワ型(女性性)の文明への転換」でした。
そしてその萩市に生まれたのが、実はカタカムナの楢崎皐月だったのです。
そんなこともあり、セミナーが終わった翌27日には、
楢崎皐月の祖父(楢崎寛直)が学んだ松下村塾に立ち寄ってみました。
楢崎皐月の祖父楢崎寛直は、伊藤博文や山県有朋らの大先輩に当たり、
高杉晋作と共に上京したのでしたが、
長野県令に任命されて赴任はしたものの「中央集権的な支配」に嫌気がさし、
辞表をたたきつけてその後北海道に渡り、小樽・札幌で大活躍し、
その娘から生まれたのがカタカムナの解明者楢崎皐月だったのです。
楢崎皐月の母は出産を故郷の萩(東萩)に帰ってしましたので、
楢崎皐月は萩で生まれた(萩が出生地)ということになります。
その萩市で、今回の千島健康セミナーは開催されました。
このことにも、あるいは大きな意味があるのかもしれません。
すなわち、かつてはサヌキ型のエネルギーが強烈に渦巻いた場所で、
いま再び、今度は「アワ型のエネルギー」が大きく渦巻こうとしている…。
「アワ型(女性型)文明」を待望した千島喜久男と、
同じく「アワ型文明のカタカムナ」を解明した楢崎皐月…。
両者は同じ1899年生まれで、共に深く共鳴し合っていたことを考えるとき、
福岡で「カタカムナの話」をし、
熊本と萩市で千学説の話をしたぼくとしては、
今回の萩市のセミナーに不思議なエネルギーを感じざるをえませんでした。
(やっぱり長くなってしまいましたので、今回はこの辺で…)
稲田芳弘


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