7月になりました。
2009年も、すでに半分が過ぎ去ったことになります。
本当に、あっというまに時間が過ぎ去っていきます。
そんななか「解散総選挙」や「麻生降ろし」が話題になり、
秋以降、何か大きな変化が起こるのでは?という期待感も高まっています。
しかし「大きな変化」はかつてのような景気回復といった希望へではなく、
底知れぬ泥沼に吸い込まれる不安と恐れを増す方向へと向かうでしょう。
総選挙の結果、いかに念願の政権交代が起こったとしても、
「崩れ去るべきもの」は崩れ去る以外にありません。
いま世界で起きていることは「人類史的なメタモルフォーゼ」だからです。
完全失業率や有効求人倍率等々の数字が発表され、
仕事がない、お金がない、暮らせない、生きられない...
といった不気味な不安感がますます高まりつつあります。
しかもその不安は決して派遣労働者やフリーターだけのものではなく、
いま働いている人々にも「明日は我が身」の思いを募らせます。
いえ「明日は...」ではなく、「いま」すでにそうかもしれません。
いったい、なぜこんなことが起こっているのでしょうか。
特定の陰謀グループや政治家、悪徳経営者たちの責任なのでしょうか。
もちろんそうした問題もまぎれもなくあるとは思いますが、
いま起こっていることは人類史(文明波動法則)の必然であり、
ちょうどガンが「気血動の乱れ」の結果発生するように、
人類史と宇宙の潜象のハタラキがいま現象しているにすぎません。
多くの人々が注目する「2012年問題」とはいったい何か?
それは、なぜ起こるのか?
そのとき、どうしたらいいのか?
それを解くカギはカタカムナにある、とぼくは考えています。
そんなわけで、7月17日には札幌で、7月24日には福岡で、
「不安呪縛を解く」のお話をすることになりました。
http://www.creative.co.jp/top/main3705.html
これまでは「ガン呪縛」を解くことを話してきたのでしたが、
ガンの背後にも、実は恐るべき不安と恐れの波動が作用しています。
それだけに、問題を単にガンだけに絞るのではなく、
いま社会に湧き起こっているさまざまな不安の正体をあぶり出し、
その「不安呪縛」を解くことにも、大きな意味があると考えるからです。
しかし「不安呪縛」の意味するものを理解し、
そこからそれなりの希望と生き方を感じ取ることができたとしても、
いま直面している目の前の不安と恐れをぬぐい去ることは困難です。
そんななか思うのは、
やっぱり「酒呑童子」的な動きが必要なのかもしれないということです。
酒呑童子のことについては、かつていろいろ書きました。
http://www.creative.co.jp/top/main3570.html
http://www.creative.co.jp/top/main3571.html
http://www.creative.co.jp/top/main3572.html
http://www.creative.co.jp/top/main3573.html
http://www.creative.co.jp/top/main3576.html
http://www.creative.co.jp/top/main3624.html
そしてこの続編、いつか書いてみたいとは思いながらも、
実際にはなかなか実現せず、ついに今日に至ってしまいました。
しかし昨今の政治的混乱や雇用不安、生活不安、人生不安を思うにつけ、
やっぱり「酒呑童子的な視点と行動」が必要であるように思えるのです。
それもたぶん、NHK体がドラマ『天地人』が刺激するからでしょう。
そう、「愛」を掲げて戦国のステージを生きたあの直江兼続。
彼の生き方、考え方、そして数々のその行動の姿の中に、
「酒呑童子」の姿がそのままリアルにダブって見えてくるのです。
実際、京の都で藤原政権に「鬼」と恐れられた酒呑童子は、
断然の「イケメン」であり、その心の芯には「愛」が息づいていました。
だからこそ、京の貧しい民衆から絶大な支持を得ることができたのです。
こうした人物は権力者にとって、まさに「鬼」です。
酒呑童子、茨木童子、寅熊童子ら縄文型・高志民族の若きリーダーたちが、
大江山を拠点に、鉱山技術を駆使してあっという間に経済基盤を固め、
そこにユートピア(愛のコミュニティ)を生み出し始めたからです。
酒呑童子らの行動は平安貴族に対する一種のレジスタンスであり、
それは京の貧者にアナーキーな動きをどんどん拡大していきました。
この時代の京は飢餓に苦しむ浮浪のあふれる都であり、
一方大江山のコミュニティは食うこと・働くことができる理想郷でしたから、
自ら志願してそこに飛び込みたいと願っていました。
もちろん酒呑童子らは富の強奪、誘拐など極悪非道な働きもしましたが、
その根底にはしっかり「愛と平等の精神」が息づいていました。
だからこそ、誘拐された堀江中務卿の娘が源頼光に助け出されようとしたとき、
「お屋形様(酒呑童子)のカタキ!」と頼光に斬りかかったりもしたのです。
誘拐された京の公家の娘が、なぜ助けに来た源頼光に斬りかかったのか。
酒呑童子らのコミュニティに真の自由と愛を感じたからにほかなりません。
こうして大江山のコミュニティには瞬く間に1600名もの人々が集まったのです。
さて、酒呑童子はなぜこのようなレジスタンスをしたのでしょうか。
その出生からして、彼の心の奥底に「蔵王権現」が息づいていたからです。
そして蔵王権現の別の姿が毘沙門天...。
上杉謙信も直江兼続も毘沙門天を心に抱いて生きましたから、
酒呑童子のスピリットが彼らにも引き継がれていたということができるでしょう。
その意味でも、『天地人』を見ていると酒呑童子が彷彿としてきます。
ただ、上杉謙信も直江兼続も越後にユートピアを築くことを夢見てはいましたが、
さすがに酒呑童子のようなアナーキーな活動やレジスタンスはできませんでした。
しかし酒呑童子らは、権力や社会の枠組みを根源からひっくり返し、
「愛と平等」の社会を根本から新しく作り直そうとしたのです。
だからこそ「鬼」として敵対され、ついに殺されてしまったのでした。
いまの世の中を見ていると、最終的には「酒呑童子」的な理想が求められます。
しかしそこまで行くには、やはりそれなりのステップを踏むべきでしょう。
そしてその小さな第一歩を、まもなく始まる総選挙に期待したいもの。
ということで、改めて「ある夢と酒呑童子(2)」をお読みいただければ幸いです。
http://www.creative.co.jp/top/main3571.html
稲田芳弘


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