昨日の夕方、外で妻と珈琲を飲みながら話をしていたとき、
ラジオ放送のパートナー・大潟さんから電話が入りました。
米倉トシコさんが亡くなった...と。
それを聞き、思わず「え~~~っ!」と声を出してしまいました。
米倉さんからは数日前にファックスをいただいたばかりで、
いつも会う米倉さんは、誰よりも元気な笑顔を見せてくれていたからでした。
いったい、なぜ? あの米倉さんが......
彼女は、まさにガン患者の模範生、優等生のような存在で、
かつては余命わずか...という深刻な状態に陥りながらも、
病院にサヨナラしたあとは、みるみる元気になっていきました。
ぼくの不在時にはラジオ放送にも何度か参加してくださり、
いつも多くのガン患者さんに希望と勇気を与えてくれていました。
この前、ご自宅を訪ねたときも元気いっぱいで、
そんな笑顔とお姿に接するだけでも、いつも励まされていました。
その米倉さんが、なんと突然亡くなってしまうとは...。
人生の不可解、不条理を感じさせられてしまいます。
しかし見方を変えて考えてみれば、
米倉さんほど見事な昇天を果たされた方も、そうはいないでしょう。
大潟さんの話によれば、ご主人と食事に出ようとタクシーに乗ったあと、
急に具合が悪くなって家に戻り、
その後救急車で病院に運ばれ、あっという間に亡くなられたとか。
その間、苦しかったのかどうかは分かりませんが、
多くの方々が、長い期間苦しみながら最期を迎えることを考えるとき、
米倉トシコさんは「あっぱれな昇天」をされたと言えるかもしれません。
ただ、若すぎた死が悔やまれます。
たぶん、まだ還暦を迎えていなかったのではないかと思います。
もちろん見た目は「歳相応」でしたが、心はいつも「少女」でした。
庭に花々や野菜を作り、可憐な野花や木の実などを摘み取り、
それらをさりげなくシンプルで清潔な住宅空間に飾っていました。
そこを訪れるたび、わが家もこのようにしたいものだと憧れていました。
これまでにも、いくつもの訃報に接してきたぼくでしたが、
今回ほど「なぜ??」と思ったことはありません。
その分、どんな人も必ず死ぬのだ!という思いを強くしています。
人にはそれぞれ「運命」があり、「寿命」があるということでしょうか。
米倉トシコさんの突然の訃報は、ぼくにさまざまなことを考えさえ、
かつ、頭では分かっていたはずのことに改めて気づかせてくれました。
その米倉さんから届いたファックスが、いま手元にあります。
というより、ここ数日間ずっと手元に置きながら、時々目をやり、
思わずニッコリ微笑んでいたのでした。
そこには次のような言葉が、いつもの可愛い手描き文字で記されていたからです。
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稲田さま
おはようございます。
今日もいい日でございます。
いつもお心のこもった貴重なラジオを聞かせていただきまして、
ありがとう存じます。
しかし、私は、夜にも弱く、
9時のラジオの前でその5分前にダウンということもしばしばです。
昨夜は運良く3週間ぶりで聞かせていただくことができ、
ホッといたしました。
以下のものを予約注文させていただきます。
A. ガストン・ネサンの本、10冊
稲田さんのCD2枚セット、10セット
B. 松野先生の札幌フォーラム
6月13日PM2時~参加申し込み希望。
昼の部が助かります。
27番目になれるでしょうか。
(これは定員27名と放送したためでしょう)
無理であれば夜の部の参加をどうぞよろしくお願い申し上げます。
♪ゆうべは
清志郎さまの音楽を流して下さいまして、心から感謝申し上げます。
清志郎さまは、私の心の宝ものです。
セクシィーで、チャーミー。
あの切ない瞳に出会ってしまったら、
誰だって恋をせずにはいられないでしょう。
♪どうぞ、ますますお元気で、良い季節をお迎えください。
旅の空のご無事を、祈っております。
どうぞ、お気をつけて行ってらっしゃいませ。
ラジオでのおみやげ話を楽しみに、お待ちいたしております。
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このファックスが届いたのは先週の金曜日の朝のことでした。
本当はそのあと、「はい、27番目以内ですから大丈夫。ご安心を!」
と電話して差し上げるべきでしたが、いろいろ野暮用などもあって、
結局、電話もできないまま、昨日の訃報を受けたのでした。
もしも電話をしていたなら、あの明るくてチャーミングな声が聞けたのに...
そう思うと、やはり心が痛みます。
それにしても、
清志郎さまは、私の心の宝ものです。
セクシィーで、チャーミー。
あの切ない瞳に出会ってしまったら、
誰だって恋をせずにはいられないでしょう。
と書いてくるあたりは、さすが米倉さんです〈笑〉。
あるいは、忌野清志郎さんをおっかけて逝ってしまったのかも。
いえいえ、トシコさんはご主人の看病にあれだけ心を尽くしてきたのですから、
ご主人の回復を見届けて、そしてお母さんを娘として最期まで看取って、
安心して「宇宙(天界)のチョウチョ」になったのにちがいありません。
以前ここで「君はもういないけれど...」と書きましたが、
http://www.creative.co.jp/top/main3676.html
米倉さんはもう(この世には)いないけれど、
いつもあちこちで、自由にお茶目に羽ばたいているような気がします。
ガストン・ネサンさんの本も、ぼくのCDも届けることができず、
松野先生のフォーラムにも肉体的に参加することはできませんが、
それらはきっと米倉さんが天界のチョウチョとして他の人につないでくれ、
もっと自由に、大勢のガン患者さんのサポートをしてくれるように思えます。
今晩は6時からお通夜がありますので、
「じあいネット」としても、ぼくら夫婦個人としても、
お花をいっぱい贈って「天界のチョウチョ」に捧げたいと思います。
ガン患者でありながら、いやそれ以上にステキな人間として、
いつも明るく多くのガン患者さんを勇気づけ希望を与えてくださった、
米倉トシコさんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
稲田芳弘


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