7月3日に、妻といっしょに札幌を離れて以来、早くも1ヶ月あまりとなりました。

翌4日には大阪で講演し、その足で和歌山県新宮市の要医院に直行。

しばらく要医院で治療と静養をして14日に帰る予定でしたが、さまざまなハプニンングに見舞われたこともあり、いまもまだ新宮市に滞在しております。

 こんばんは。

思いもかけず、新宮というところで夫の療養をサポートすることになってしまいました。

何故ここなのか?本当に二人で悩んでしまいましたが、夫には、いまはしっかりと元の気を回復してほしいと、切に願っております。

・・・・・稲田陽子

 さて、要先生は、すでに統合医療をご自身の診療に取り入れられており、このホリスティックスペースは、さらにその理念を深めたカタチで実践されるという。

 通常医療では、人の病は、単なる身体の病気だとしているが、ホリスティック医療では、さらに、その人の精神性や霊性に及ぶ範疇までケアの対象としている。真の健康は、スピリチュアリティー(霊性)のあり方を抜きにしては考えられないものだと思われるからである。

 アンドリュー・ワイル博士は、その霊性については、生死を超えて存在し続けているものと述べているように、要先生も、同様に存在(魂)の永遠不滅性に着目し、医療は、その人間の根幹である魂の治癒まで視野に入れ、サポートすべきではないかと考えられている。

 それには、何よりも患者が自ら治ろうとする自然治癒力を引き出し、尊重することが大きな目的となる。その意味で、治癒は、患者自身のイノチの力によるものであるから、その力をサポートするのが、医療従事者の役割だということになる。

 つまり、医療従事者の側にもスピリチュアルなイノチの力が必要だということでもある。そもそも、肉体は、大自然の一部であり、それは、また大宇宙の一部である。甲状腺を専門とする外科医の経験を通して、要先生ご自身は、その大きな相似象の中で医療従事者も自然に対する畏敬の念や「サムシンググレート(大いなる存在)」への気づきを持つことができれば、その医療は患者への自然な祈りに回帰して、どんなに困難な手術にも奇跡を生み出す力と恵みを与えられるように感じられるのだという。さらには患者との良好な「つながり」(縁)を得て全人的な治癒にも良い効果を上げることができる。

 まさに、イノチの通った全人的ケアの実現を代替医療を取り入れながら、ホリスティックな統合医療というカタチでめざしているのが、ホリスティック・スペースなのである。

 訪問中に、この「要外科・内科」に入院しているあるガン患者さんを見舞った。その方は、通常医療をやり尽くした末期ガン患者で、腹水が溜まりもはや歩くこともままならないほど衰弱していたが、要先生が実践されている代替医療「O-Zone療法」を受け、余命宣告を見事に覆した。それから1年半が経ち、現在は、世界遺産で知られる熊野近辺を楽しみながら散策できるほどに回復してきているそうだ。

 「O-Zone療法」は、血液を採血した中にオゾンガスを混ぜて、再び点滴で血液に戻していくもので、ドイツなどでは、代替医療として広く知られ、保健医療の対象になっている。これは、末期ガンの痛みの緩和ケアに最適で、モルヒネのような副作用もなく、ドイツでの臨床データによると、むしろ、回復してしまうガン患者の事例も数多くある。オゾン療法には痛みの緩和、抗炎症、抗腫瘍効果があると報告されている。しかし、残念ながら、日本では、まだ一般に普及しておらず、全国でも30人ほどの医師が実践している程度だ。

 その昔、夫は、野戦病院にいたという看護婦さんにオゾン注射ケアを受けたことがある。今回の訪問の目的の一つに、このオゾン療法を体験することがあったので、取材が終わったところで、夫は、早速オゾン点滴を受けさせていただいた。すると、ガンの患部のみならず、体全体が楽になったらしい。私も体験させていただいたが、確かに翌日は疲れた腎臓が動き出したような、よい感触である。ともに病院経営を支える先生の奥様も、疲労の回復などに効果を上げているそうだ。

 この療法なら、副作用がないので、末期ガンであっても、体力を失うことなく、治癒の可能性を引き出すことができそうだというのが、私の印象である。いったんこの療法を始めたら、後は、慢性炎症であるガンの本質や治療への知的理解、そして自身の精神性や霊性の安定を図りながら、「ガン呪縛」から解放されて自然治癒力にスイッチが入るのを辛抱強く、楽天的に待つだけである。これが、全人的治癒法の極意なのだから。

 そういえば、各地から10数名ほどの参加のあった現地の散策では、広い緑の原を歩き、ふと天を見上げると、そこには不思議な虹が光差す太陽の周りに弧を描くように現れていた。初めは、まるで、天空が微笑んでいるようだったが、それは、次第に小舟から大きな船になるようにたなびいていく。実は、その内側には先に円い虹がぼんやりと出ていたのであり、私たちは、新緑の天空に二つの虹を見つけたのだった。

 これは、一種の天体現象だと言えば、それまでのことだが、素敵な虹に出会えて、思わず皆の歓声が上がった。
 

 

・・・・・稲田陽子

 日本にフィンドフォーンのような癒しのスペース、それも、全人的な観点を重視するホリスティック医療の場が完成したら、ガン患者にかぎらず、その家族にとっても、さぞかし心強いかものになるにちがいない。

 ゴールデンウイークが始まる少し前に、私は、夫に同行し、ある建築家を交えて、和歌山県新宮市で統合医療を実践されている要医師をお訪ねした。先生が長年温めてこられたホリスティックスペース構想への夢に向かって、私たちも少しでもその夢の実現のお手伝いが出来たら、という思いがあったからである。それはまた、その構想が本物の代替医療を求める人々への素晴らしい福音となるようなイノチの力が込められているのではないかと直感させるものがあった。

 要先生にお会いすると、人が老いることも素晴らしい恩恵の一つだというひらめきを与えられるのはもちろん、人が理想や信念、希望を持てば、78歳などという年齢すら世間一般の意味を超えてしまい、その魂に老いはないということを実感させられる。若輩者の私が学ぶところは大きい。そういえば、私が先生にお会いした時の印象年齢といえば、70歳前後であるが、それほどに先生の思考や思念には良い意味で年齢を超えたものがおありだった。

 そういう方だからこそ、未来に向けたホリスティックな統合医療施設づくりに大きな夢を託すことができるのだろう。しかも、その構想の大きさを象徴するかのように、舞台となるのは、国立公園の豊かな自然に育まれている一角である。眼下には、太平洋が白い波しぶきをあげながら、どこまでも海原を広げている。まさに、森の響きと潮騒の音に包まれた癒しのスペースである。

 夫は、要先生からこの壮大な構想の相談を受け、即座に「日本のフィンドフォーン」のイメージが湧いたらしい。

 確かに実際に現地を散策すると、岩や石の多い海岸には、名も知れぬ地場の可憐な花が咲き、このたくましい生命力を秘めているらしい海辺の小花から思わぬフラワーエッセンスの恵みがあるのかもしれないなどと脳裏をかすめる。要先生のお嬢さんは、いま、私が何気なく伝えたこのフラワーエッセンスの勉強に励んでいる。

 白樺派の文豪、武者小路実篤がかつて実践した「新しき村」のように、自然農業による自給自足型コミュニティー構想も夫の中にはあり、そうした食づくりを含めた体験型滞在を楽しめるホリスティックな癒しのスペースになることも願っているようである。そうなれば、こちらのじあいネットを通してご紹介するガンの患者さんやそのご家族の方にも、さらにユニークなスペースとして感じられるのではないだろうか。

つづく

 


 先日書いた大阪報告(偲ぶ会から1週間…)に引き続いて、

そのあとすぐに「京都レポート」を書くつもりだったのですが、
いつものように、次々と野暮用や来客等々が相次いでしまったため、
結局、またもや長い沈黙状態に陥ってしまいました。
 
この間は気候異変も影響してか、体調もあまり思わしくなく、
加えてすっかり「なまけグセ?」がついてしまったためか、
書きたいことあまたあれど、ついに今日に至ってしまいました。

 大阪で開かれた「忰山さんを偲ぶ会」から早くも1週間が経ちました。

「偲ぶ会」に集ったのは、九州、北海道を含めた全国各地の同人たちで、
枚方市の田舎の古い木造家屋に、20名近くが集ってきました。
 
忰山さんは自然に包まれたこの建物をとても気に入っていたようです。
季節はちょうど桜満開のころ、そこはまるで「桃源郷」のようでした。
 
「偲ぶ会」ではこれからの「千島学説研究会」のあり方なども検討されました。
これまでの会は「忰山ネットワーク」でなんとか維持されてきましたが、
忰山さん亡き今後は、やはりそれなりのシステムとルールが必要になるでしょう。
というわけで、参加者それぞれが忌憚のない意見を述べ合いました。

 今日からもう4月、時の経つのは本当に速いものです。

振り返ってみると、3月はほとんどあまり書き込めませんでした。

頭の中には書きたいものがいろいろ浮かび上がってくるのに、

それをかたちにする時間と心の余裕がありませんでした。

 

目の前の雑事に追われたり、これからのことをあれこれ考えたり、

次々とやってくる来訪者に対応したりで、

あっというまに3月が過ぎ去ってしまった感じでした。

 

それに、「怠けグセ?」もついてしまったかもしれません〈笑〉。

さらに加えて「これでいいのだ」と開き直ったり、

無性に読みたい本が出て来て、つい読みふけったり…。

とにかく3月はなんとも不思議な感覚で過ごしてしまいました。

ま、こんな人生のひとときがあってもいいのかもしれません。

 ずっと前から「言っておかなければならい」と思いながらも、

ついついそのままになってしまっていたことがあります。

 

それは、五木寛之・帯津良一対談集『養生問答』の中で、

帯津医師が語っている発言に関してです。

 

実は、この本のこと、ぼくは全く知りませんでした。

作家の五木寛之さんも、帯津医師も非常に知名度の高い人ですから、

その二人の『養生対談』ともなれば、当然多くの方に読まれます。

その意味で、この本の影響力には絶大なものがあるようです。

 

実際、たしか1ヶ月以上前だったと思いますが、

(つまり、この本が出版された直後のこと)、

ある方から、次のようにぼくに電話が入りました。

 いろんなことを思い、そのたびにうなづきます。

「うん、そうなんだよね」と。

そして、心から納得できたことだけをやっていく。

それが必要なんだろうと、つくづく思います。

 

先日(10日)、久しぶりに書き込みました。

最近の世相の動き(空気)に対して「感じる」ことを…です。

 

その日は、妹の命日でした。

http://www.creative.co.jp/top/main3643.html

http://www.creative.co.jp/top/main3232.html

だから本当は、続けて「妹のこと」も書くつもりでいたのですが、

結局は果たせず、そのまま今日に至ってしまいました。

 〜講演会からのメッセージ 

・・・・・稲田陽子

 この岡野さんの話を受けるように、柴田久美子さんは、介護施設で働きながら、病院で望まないチューブにつながれてその最後を終える高齢者たちの姿を目の当りにし、生命の尊さや愛が失われているのではないかと大きな疑問を感じてきたと言う。 

 そのため、柴田さんは、高齢者を「幸齢者」と呼んで、在宅で看取りをする大切さを訴え、自らは「知夫里島」という島根県の離島に高齢者の介護施設であるNPO法人「なごみの里」を開設した。その講演の中で、「死とは、体が見えなくなるだけ。魂は永遠にあるもの。それなのに日本社会ではどうして死を忌み嫌い、排除するのでしょうか」と、切々と語った。 

 確かに「死」は、日常から切り離され、病院の中の出来事になっている。柴田さんは、有料介護施設で働いていたころの経験から「たとえ介護条件の整った高額な介護ホームなどの個室に入所して望み通りの老後を送ることができても、いったん病気になってしまえば、病院と同様共同部屋に『隔離』され、最後は、どの介護施設も同じだが病院に移されて過剰な医療管理の中で亡くなるケースが一般的だ」と、話す。 

 そうした高齢者の一人で、柴田さんがケアをしたある元弁護士は、「病院で延命の管につながれて死にたくない」「柴田さんのいるホームに帰りたい」と見舞うたびに柴田さんに訴えた。柴田さんは、心の中で謝りながらどうすることもできず、毎日その高齢者を見舞いに病院に通った。結局、病院での死を心に焼き付けることになり、そのとき、「ここは私のいる世界ではない」と悟った。 

 人生の最後の大切なイベントは、こんなはずではなかった。柴田さんは、「人生の99%が不幸でも、最後の1%が幸せなら、人は幸せなのだ」というマザー・テレサの言葉を胸に、とうとう無医村の離島「知夫里島」に渡った。 

 そこでは、高齢者たちは、医療を求めて、泣く泣く島を離れなければならなかった。 

 そんな医療のない離島だが、柴田さんの「なごみの里」の高齢者は、最後まで島を離れずに、自由に暮らしを楽しみながら、柴田さんら介護者のケアを受ける。その「死」は、看取師・柴田さんの愛に満ちた看取りのなか、本来の尊い自然がもたらすものとなった。それは、まさに、人々の「死」に仏性を取り戻す行為であった。 

 柴田さんがこの世界に飛び込んだのも、ご自身の辛い体験があってこそだ。年収2000万円のキャリアウーマンだった柴田さんは、家、車、別荘と、経済的には何不自由もなかったが、幸せは、お金では買えるものではなく、「睡眠薬を飲んだ」こともあったという。その辛い日々のある一瞬に、「愛こそが生きる意味だ」と、天の声を聞いた。それが、すべての始まりだった。 

 こうして介護の世界に入り、さまざまな学びをしながら、柴田さんは、思う。「人は、互いに支え合って生き、支え合って死んでいける社会こそが必要だ。看取りは、永遠の命に帰っていく人々から愛のエネルギーを受け取る命のリレー。そんな幸せに死んでいける社会をつくりたい」 

 「幸齢者さん」の魂が永遠の世界に帰った「その辛い日」は、「ありがとうございます」を100回唱えるのだという。看取りのときは、「柴田久美子」個人を最大限にけずり、ただあたたかい春風のような存在になって、「幸齢者さん」の魂に寄り添うのだという。まさに、柴田さんは、「天使」的な役割を担っているのかもしれない。 

 この姿勢も、自らの体験が生み出したものだ。それは、柴田さんが子どものころに遡る。小児喘息で死にかけた娘の自分を母親が一晩中一睡もせずに看病し、ずっと抱きしめていた様子を天井からすべて見ていたのだという。これは、「臨死体験」とも言えるものだが、そのとき、柴田さんは、一生懸命母親に向かって、「大丈夫、私は、大丈夫。苦しくないよ」と、呼びかけ続けていた。その体験が、死は恐いものでも苦しいものでもなく、体から離れるだけのことであり、魂は永遠のものだということを実感として感受させることになった。 

 「幸齢者さん」を「抱きしめて、その人の魂に寄り添って送りたい」と思い、実践するようになったのは、この原体験があってこそだった。 

 尊い自然の力にゆだねたその「幸齢者さん」からメッセージを受け取ることもある。それは、「死は解放であり、魂は永遠に生きている」というものだそうだ。 

 そうした死を嫌う日本でみながともに「生きる」ための「命のリレー」を行うのは、人として最も尊い使命なのだと、柴田さんは考え、現在、とくに在宅での看取りを勧め、実践している。 
  
「なごみの里」は、離島を離れ、島根県出雲市や江津市で模索しながら活動をしている。

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