~~~~~「自然との共生塾」秋期特別講演会の最終ご案内
稲田陽子

 いよいよ12月4日に「自然との共生塾」(塾長/舟橋慶一さん・
元テレビ朝日アナウンサー)が、生命の神髄に迫る千島学説の本質を
問うべく、千島喜久男博士のご子息である千島明さんをはじめ、
医師、学者、研究家などの講師陣を招いて、東京大学本郷山上会館で
「秋期特別講演会」を開催する。

 「隠された造血の秘密」(Eco・クリエイティブ刊)の著者で医師の
酒向猛さんが、「遅れている日本の癌対策をどうするか」という講演を
行うが、その演目は「幹細胞の可塑性とiPS細胞発見の衝撃」
「赤血球と組織の可逆的分化説と造血肝細胞」「癌の標準治療の限界」。

 酒向猛さんは、千島学説を追試する数少ない医学者であるだけに
千島学説を視点にしたガンの話は、ガン患者の方だけでなく、
医師の方にも興味深いものと言えるだろう。

 また、舟橋慶一さんも、「レオナルド・ガレンテ博士の長寿遺伝子の発見と千島博士の気・血・動の調和」について語り、「宇宙生命三都物語」(Eco・クリエイティブ)の著者・高尾征治さんは「生体内原子転換と千島学説」と題して、講演する。

 ここにすべてをご紹介するのはムリとしても、ご関心のある方は、
12月4日にたっぷりと講演を堪能できる。ぜひ、ご参加をおすすめしたい。

 

 ~~~~~~~放射能汚染と「金色の星と青い星」

稲田陽子

 人の人生は、たかだか多くても100年。地球の生命は、億単位であり、これすら宇宙の生命の持つ気の遠くなるような時の単位とは比べるべくもない。いったいいつ私たちの魂は生まれたのか。その話になると、もはやファンタジーの世界であろうか。

 何のために魂が生まれ、宇宙が生まれ、地球が生まれ、人や動植物などの
生命が生まれたのか。どんなものも、すべては繋がり合って、共存していく
ように神様が取り計らっているようにもみえる。人は、目先のことしか見ようとしていないから、神様なんて、フィクションだと思っている人もいることだろう。最近騒がれている概念となっている「宇宙人」も、本当にSFの産物なのだろうか。
 
 むろん魂も、脳の機能の一つだと思い、この世界から「不思議」を追放しすべての支配者であろうとする時代錯誤の科学者の方が何事にも表立っている。つまり、脳が人類史上蓄積してきた範囲内で捉えられるものしか信頼できない狭い意味での「合理主義者」がいまだに幅をきかせている。

 だから、千島学説は否定され、ガストン・ネサーンの研究も軽視される。
いや、話がずれてくるので、本題に入ろう。つまり、原子力発電の「想定外」の事故がもたらした未曾有の放射能汚染にも、日本の政府や大手マスメディアは、本当の事実とその前代未聞の影響を伝えようとしていない。あまりに深刻だから、伝えないのか。経済への大打撃を想定して伝えないのか。しかも、「原発は安全だ」といまだに思わせたいという意図には、「合理主義者」が作り出した科学万能思想への楽天的信仰もからんでいるのかもしれない。

 ここで、現代の科学のイメージを思い浮かべてみよう。例えば、こんなイメージだ。従来の学説に寸分の疑いを持たず、自然(現象)すら「教科書で習った教義(定説)」に当てはめてしまおうとする「学習エリート」たちが潜在化し、思い込んでいる「科学」。そして、また数値を絶対化してしまったり、全体をなす有機的なつながりを分断してしまうなどの唯物論的思考が思い浮かぶ。言い換えると、すべてが想定できなければならず、想定できないことは排除してもよいような錯誤を抱えている。これは、また、これを基にして、いまの科学万能信仰も安心して居座れる。ここには「想定外」は存在しなくなるからである。

 しかし、こうした頑固な岩山のように君臨し、それゆえに信仰される
「科学」とは、「机上の科学」であり、ときに「権力の科学」ともなり得る。そのためか、自然な眼差しで自然現象界をありのままに受け入れるという謙虚さを許さない絶対主義的なものにいつのまにか変容してしまうこともある。しかも、経済産業界にまで影響を及ぼす「研究発見」となると、定説に違反するしないは別にして「支配層」から閉め出しを喰うのも、あり得ることだろう。

 「原発」なら歓迎されるということであろうが、多くの人々には、この見えない「絶対主義者」たちの思想的暴走は見抜けない。あるいは、所詮、見抜いたところで同様の閉め出しを食らうだけ損だと思うから見て見ぬ振りをする。つまり、「絶対主義者」たちが思うことは間違いがないという空気呪縛の世界で安逸をむさぼるか、この絶対的な神様のような「科学」を、無批判に思考停止したまま楽天的信仰の対象としてしまうのかもしれない。

 原発の安全性は、気づかずに育ってしまったこの類いの「科学」への漠然とした信仰に支えられてきているようにも思われる。原発に「想定外の事態が起きる」という可能性が常にあったなど、市民には考えさせてはいけないことだったのだ。こうしたこれまでの時代の意識は、科学技術の力で危険なものが安全な便利なものに変わるのだという科学万能主義の「空気」を支え、それは表面的でも世間には浸透している。だから、「安全」という言葉だけが一人歩きをして、それがレッキとした「安全神話」という空気呪縛を生み出すことになる。そこで、原発にまつわる環境問題も、一部の「敏感な人々」の問題に過ぎないかのような印象にすり替えられるわけである。

 もっとも、すでに書いているように、元GEの技術者によれば、福島の原発施設がもともと地震に弱い欠陥商品(MARK1)であったというから、こと

に日本のように地震多発国では、実際に現在見舞われている大変深刻な事態を、「想定外」のことだったとは言いきれないのではないだろうか。

 まして、日本では、確率的に安全というものを評価していたというから、
これは、驚きである。数値の世界に置き換えることは確かに客観化されているように見えるものだが、そこには大きな落とし穴があったと言わねばならない。「科学的論拠」がこうした唯物的な数値のみに依存しているのがいまの科学の限界的な見方だという気がする。これは、物差しとしては、理解できるが、まさにそこに生まれてくるのが、本来発展進化の宿命を背負っているはずの「科学」への楽天的信仰だとも言えなくもない。

 その確率論的数値を見て、人は、生命的な直感力を働かせるのを怠け出すのだ。欠陥商品に対して、確率論的安全評価が打ち出す数値とは、いったい何ものなのであろうか。考えたら、分かりそうなものだ、というのは、言ってみれば、生命論的思考(有機的思考)である。一方、唯物論的科学思考は、数値だけが真実を告げるかのように錯誤され、人々は、それに対し知らず知らずに「呪縛」されて、思考停止に追いやられるわけである。

 現代科学は、そうした権威的な唯物思考に根ざしている「合理主義者」が
支配的である限り、現象界を巨察する全体思考からは遠のいてしまうように
思われる。それは、安易な科学信仰や唯物主義を生み出し、この世界から
「本当の事実」「ものごとの本質」を追放してしまうパラドックスを生み出してはいないだろうか。


 こうした世界観からの出口はあるのだろうか。とかく本質というのは、
価値判断との関連が想起され、証明が難しいものだという観念を抱きがちである。ところが、唯物的な科学思考では、絶対にこの生命論的な思考を導くことはできないように思われる。つまり、機械論的存在の象徴であるロボットにはできない思考なのだとも言える。

 話題の映画「アバター」ではないが、本質世界の深層に触れることができるものなら、その世界からのメッセージに気づきたいと願う人も実はたくさんいるのではないだろうか。「NO MORE ヒロシマ、長崎」「NO MORE 侵略、戦争」「NO MORE 放射能、原発、核兵器」「NO MORE カタストロフィー」「NO MORE …」といった世界とは、果たして実現可能なのだろうか。

 そんな思いを込め、私は、拙著「世の終わりの贈りもの」というスピリチュアルなファンタジー短編集を書いた。それは、顕在意識の私が書いたものではあるが、やはり瞑想を通して生まれたものであり、いわば、深層心理(神話)からの「贈りもの」なのかもしれないと、最近そんな思いにとらわれる。

 その中で、「金色の星と青い星」の物語は、まるでいまの日本の原発汚染を想起させてしまうのが、何とも皮肉なことになってしまった。実は、この物語の原型イメージは、1991年当時TVのニュースで見た「湾岸戦争」の衝撃的な空爆映像から始まったものである。それは、非人間的であり、まさに科学技術万能主義、唯物的な合理主義思考が結実したかのように見えるものだった。

 物質主義万能、唯物論的科学万能の時代には、人は、なぜ生まれてきたのかすら、内省しずらくなるのも、空爆の瞬間の映像を見れば、必然的に実感を伴うものだ。しかし、想像力を失い、人の痛みが遠くなり、唯物的な科学技術や経済の力を賛美する支配層の空気に汚染されてしまっては元も子もない。

 もちろん科学に夢を託し、力を注ぐことは別に悪いことでもなんでもない。すべてが繋がっていることを基とするならば、物質主義はいずれ淘汰され、量子力学の分野のように「見えない世界」の謎にどんどん科学は進展発展していくわけだから。目にみえないエネルギー場の研究や波動の世界の
真相にも、大いなる進展も期待できるというものである。もしも、気や意識場にいたるまで科学が踏み込むことができれば、物質世界とのつながりが
理解され、「いまの科学が不思議だと思う領域」にまで足を踏み込み、生命体の本質がいっそう深く理解されるようになるに違いない。

 いまの地球上の科学は、おそらく、地球外宇宙のどこかで発展している
(と推定される)科学に比べたら、非常に幼いものなのかもしれないのである。少なくとも、そういう段階で、原発をコントロールしようなどという世界観には誰が納得がゆくというのだろうか。まして、地球を滅ぼしかねないほど危険な物質エネルギーをいまだに選択し続ける理由は何であろうか。

 それ以上に「世の終わりの贈りもの」(短編集)からは、いったい
どんな深層世界が届けられていることだろう。





改訂版『ガン呪縛を解く~千島学説パワー 第5版』
http://books.creative.co.jp/book_detail.php?id=25

改訂版『ソマチッドと714Xの真実 第3版』
http://books.creative.co.jp/book_detail.php?id=12

『世の終わりの贈りもの』(スピリチュアル・ファンタジー短編集)
http://books.creative.co.jp/book_detail.php?id=14

『世の終わりの贈りもの』(アマゾン) 
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 ~~~~~~冒険を終え、陽の当たる国で夫は、読書する?

 

稲田陽子

 

 昨年の夏のことを思うと、やはり胸が痛むものだ。できれば、思い出したくないのというのが本音である。その不可解な運命的な日々にあって、いま時分は、ちょうど夫の骨折の手術が成功して、迷い込んだ「千と千尋の神隠し」の世界からようやく「生還」しようとしていたころである。確かに重傷の大腿骨骨折の手術は、体に大きな負荷を与えることになったが、それでも、夫は、辛い体にもかかわらず、短時間でもリハビリに一生懸命賭けて、必ず元気を取り戻すという気持をしっかりと持っていた。

 

 そんな中、8月12日は、伝説の人物、徐福を供養する万燈祭が徐福公園で行なわれた。夫は、たくさんの徐福に関する書籍を読みあさっていたため、どうしても行ってみたいという。私は、介護タクシーを手配し、車椅子の夫と徐福公園まで出向いた。夫は、徐福を通して、今度は歴史の真実にでも挑もうとしていたのか、諸説紛々の謎の人物にとても関心を抱いていたのだった。夫は、『ガン呪縛を解く』を出版した直後に、チャングムと千島博士、徐福のロマンあふれる対談を可能にしたフィクションを書き始めたことがあっただけに、徐福その人物への思い入れは確かに強いものがあったのだろう。

 

 運命を分つハプニングに見舞われ、また、まさに炎熱地獄のような酷暑にも遭遇していたあの日々にも、二人で徐福公園に出向こうというのはささやかなわくわく感があった。ただ、私たちは、自分たちだけで、何もかも夢中で受容するしかない状況下にあったのは事実だった。しかし、この大変な境遇にあっても、夫は、生きる希望を失ってはいなかったのだ。だから、今度は、夫は、徐福のことを新たな時代の視点にまで止揚させ、独特の論を展開させるはずだったのではないか。

 

 その夫は、いまは、多次元潜象宇宙のどこかに憩って、私たちを見守っているにちがいない。だから、その意味で「死んではいない」。新盆という言葉があるが、私は、この言葉で胸が痛くなる。それは、「死んでいない」のに、「死んでしまった」ことに無理矢理させられるような感があるからだ。正確に言えば、「肉体が無くなるだけ」ということではないだろうか。言い換えると、肉体が無くなったからと言って、魂が無くなったわけではない。そんなことを思い、私は、その言葉に違和感を感じてしまう。それは、いつまで経っても、私に同じ胸の痛みを呼び起こすことになるだろう。

 

 「死」というのは、思えば、不思議なものである。こちらが「死」と呼んでいる世界は、実は、実在の世界で、逆に「生」と呼んでいるここ物質世界は、実在の影なのではないか。しかも、その影の世界こそが来るべき実在の次元を決めてしまうほど、重要な意味を持っているという考えも、古来珍しくなく存在しているのは、何故だろう。

 

 私は、夫の回帰後に願ってみたことがある。「もしも、芳弘が、良い世界に行っていたら、私に映像でひらめかせて!」と。私は、約束のCDの合図だけでは物足りずに、そんなことを夫に頼んでしまったのだった。そうして、いつものように日々を過ごしていると、明るい家具調のお仏壇の真中でほんの一瞬だけ、夫との面会が許された。次元が違うのだから、そう長いこと会うことはできないが、突然異次元の空間が破かれたように夫の顔が私の第三の目を介して現れた。まるでテレビの映像のように鮮明である。夫は、少し心配そうに私を見ている。背景は明るく、朝か昼のような世界の光を感じる。

 

 夫のオーラの色もはっきりと見えた。くすんでいる色は皆無である。黄色い光の色に少しピンクがかった色調やきれいな薄いブルー(空色)が混じっている。あちらの世界では、すべてが実体であり、その心が光の色で表現されるのにちがいない。ともかくも、夫があちらの世界で元気であり、私は、ほっとした。それに、夫は、心なしか若くなっているような気がした。年齢は変わらないのかもしれないが、なぜか夫の肌も、顔も青年のような若々しい感じなのだ。

 

 夫は、たくさんの方々に見送られ、また近くからも遠くからもお参りに来ていただき、幸せであった。そうした人々に、夫は、あちらの世界から青年のように若々しい感性で感謝の心を送り続けていることだろう。

 

 すでに回帰されているガンの患者さんたちも、実体に戻られた後は、異次元で思い思いの安らぎと憩いの時にあるのかもしれない。

 

 千島学説の「気血動の調和」やカタカムナ、そして、ガン呪縛を解くメッセージに熱心に耳を傾けたというガンの方から、時折、良くなったと嬉しそうなご報告をいただくことがある。こんなときは、夫も、私も、無条件にうれしいものである。また、亡くなられた場合にも、ご家族から「ガン呪縛を解く」を読んで、本当に良かったと思わぬお心をいただくこともある。そんなときは、言ってくださった言葉にかえって励まされるのである。先月夫のお参りにはるばる奈良からご主人と来られた方も、「和歌山で末期ガンの母のことで力づけられた」と、おっしゃてくださった。私たちと会ってほどなく残念ながらお母様は亡くなられたそうだが、娘さんは十分看病をつくされたお母様に「定命」を感じたそうである。同様に、5年程前にご主人の末期ガンを看取られた方も懐かしくも大阪から来られたものである。

 

 このほかにも、三大治療の末、末期となったガンの方々ですでに亡くなった方も少なくない。夫は、自分自身もシンドイ状況であっても、できるだけそういう人たちの悲鳴に似た思いを受け止め、夫独特の「温かさ」という「気」で励ましていた。しかし、そんな夫も、なかには、はっきりと「呪縛の事実」を見据えて、ものを言っていることもあった。度重なる夜中の電話には、さすがに止めてほしいと思ったりもした。とはいえ、いまでは、その人はどうなったものかと、ふと脳裏に浮かぶ。

 

 年老いた母しか身内になく、病院でひっそりと亡くなった女性のことも、いまでも、切ない気持で思い起こされる。この方は、私のファンタジー童話「世の終わりの贈りもの」を涙を流して読んだのだとメールをくださった。私の思いも、こういう世を去ろうとしている方であればこそよく伝わり、より多くの感受性を揺り動かしてしまったのかもしれないと、私の心も思わず震えた。

 

 さて、夫も、凝縮された生をこちらの世界で十分に体験し、いまは、実在世界で安らいでいるようである。今日も、ふと、夫のイメージが映像で第三の目の中に現れた。もっとも、こちらの方は、先述と違い、私の想像の領域かもしれない。夫は、ぱりっとした真っ白いワイシャツにグレーのズボンという出で立ちで、これもシミ一つない真っ白い広いベッドに心地良さそうな真っ白い大きなクッションを枕にくつろぎ、こちらの世界でよくそうしていたように、右手に本を持ち、読んでいるのだった。そうだ。夫は、生前と同じように、好きなことをして生きている(にちがいない)!

 

 はたして、その本には、何が書かれてあるのだろう。そのうち、私にその本のメッセージがギフトで届くのかもしれない。天からの宅急便、それがとても楽しみである。

 

 

 

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 最近、つとに思うこと

 

 

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ミステリアスなことだらけ ?!!

 

 

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芳弘の11日。美しい雪の朝に

 

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さようなら、芳弘!たくさんのありがとうを!


 

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改訂版『ガン呪縛を解く~千島学説的パワー』

30Pに及ぶエピローグにミステリーツアーの真相も

「呪縛?とんでもない~その熱き、深き生き様。 

~~~10年!この希望と沈黙の生命力」 

 

世の終わりの贈りもの

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 ~~~~~ウイキペディアの中の「ガストン・ネサン」と「ソマチット」
(本来はソマチッドが正しい)

稲田陽子

 久しぶりに、ガストン・ネサーンをウイキペディアで読んだ。
そこに書かれてあることは、ガストン・ネサーンご本人が読んだら、
その偏向ぶり、そのデタラメぶりに、おそらくご自身の人間像や
ご自分の研究とは完全に無縁だと断言することだろう。それくらい、
ウイキペディアの中では、ネサーンのソマチッドも、714Xも、また、
ネサーン自身も、似て非なるものに変貌している。何パーセントかの
事実はあっても、そうした変貌が認められるとしたら、これはご本人に
訴訟の権利すら与えられるのではないだろうか。第一、「ソマチッド」が
「ソマチット」になっている!

 実際にネサーンに会い、ご本人直々のセミナーを受けた者なら、
ウイキペディアに書かれてあることがいかに偽物であり、偽情報で
あるのかをすぐに見抜くことだろう。どこかの国で盛んに行なっている
「ネサーン降ろし空気呪縛」にかかっているとしか思われない。
この「ガストン・ネサン」の項目は、もともと、「権威」「多数決」
「有名」「肩書き」「大衆受け」などをガイドライン(安全指標)に標榜
しているウイキペディアの本質が露になっている最も良い事例と言える
にちがいない。
 
 要するに、ウイキペディアでは、「真実かどうか」ではなく、
「検証可能かどうか」が問題になる。これについては、ウイキペディアの
ガイドラインにもはっきりと書かれているわけだが、ところが、この
「検証可能かどうか」というのが、まったくの曲者なのである。
この検証する材料に、それこそ、日本を代表する有名新聞、有名出版社、
世界を代表する有名科学情報誌etc.というものを利用すればするほど有利になる
仕組みなのだ。「こういうところに出た情報なので、信用できる」という
具合に判断されるからだ。いかにも、成功神話、強者(英雄)神話の好きな
アメリカの基準である。

だから、千島学説の千島喜久男博士しかり、ガストン・ネサーンしかり。
「既存の科学」社会を逸脱した研究者がどのような扱われ方をされているのか。
あとは、ご想像あれ!(ウイキペディアのガストン・ネサーンは、
大学も出ていないこと、医師でもないことなどが、その主な経歴として
書かれているが、これが百科事典風の書き方だと「書いた人」が勝手に
思い込んでいるのが伝わる。そこに「信用できない」というシグナルを
埋めこみながら。)

みなさんは、この呪縛から逃れたくはないだろうか。

 私も、夫も、それは例外ではない。夫は、あちらの世界から呆れて
見ていることだろう。あまりの酷さに言葉もないが、敢えて言うなら、
あの記事を書いた人は、少なくとも、実際にネサーンに取材をしたり、
セミナーに参加した人に謙虚に確認を取るか、あるいは、現場に
自分で馳せ参じ取材をすることが最重要課題である。これほど、
情報化が進んでいるのにもかかわらず、あれほどのデタラメを堂々と
書いているのに、私は、あきれ果て、もはや言葉もないくらいだ。
そこに書く人は、偏向した意識を持たずに、幅広い洞察力を持ち、
事実を確認、立証できなければ、書く資格はないと思われる。
いや、少なくとも、自分が書いていることが真実なのかどうかを本当に
確信しているのかどうかを問いたい。偏向情報を寄せ集めただけでは
ないかという印象すらある。

 そもそも「ソマチッド」と命名したのは、ガストン・ネサーンであるが、
ウイキペディアではソマチッドとソマチットを同列に並べて、それを
一括りに日本の誰かが勝手に名前を命名し直した「ソマチット」を
採用している。しかも、ネサーンの「ソマチッド」研究を応酬しながら、
ドをトに変えて、ネサーンのソマチッドよりも発展した内容だと
いわんばかりに内容を付け加えているのが、「ソマチット」なのである。
これが、ネサーン氏ご夫妻がその根拠を疑っている「ソマチット」製品と
つながっているのだという。後述のネサーン氏のメールにも明かされている
ように、ネサーン氏ご本人の知らぬ間に日本に「ソマチット」製品なる
ものが誕生し、そのために「ネサーンさんの後光」も一時利用されて
いたと聞く。

 この「ソマチット」の根拠は、あくまでもガストン・ネサーンが
ソマトスコープで発見した「ソマチッド」を基にしているから、
話はややこしい。だからか、ウイキペディアでは、「日本におけるソマチット」
として、まことしやかに、およそガストン・ネサーンの「ソマチッド」研究を
発展させたものであるかのように、錯覚を与えている。ソマチッドと似ても
似つかない解釈である「ソマチット」をまるでネサーンの「ソマチッド」と
同種のものであるかのような誤った連想を与えながら、ネサーンの
新生物学「ソマチッド」をファンタジーの生き物「ソマチット」(笑)に
変貌させてしまっている。もっとも、記事を書いている人は、ネサーンを
ハナから軽視しているがためか、「日本のソマチット」の誤った情報を
中心に根拠も示さずに作成しているのが読み取れる。

例えば、「ソマチット」が「DNAの前駆物質である。」と書かれてあることの
根拠は、ネサーンのソマチッドについて、クリストファー・バードの
「完全なる治癒」に書かれている情報によっているとみられる。しかし、
これは、バード氏の解釈であり、「研究として確認されていない」と、
ネサーン氏は語っている。

 さらに、ウイキペディアの「ソマチット」について言及すると、
次の項目はネサーンさんの「ソマチッド」観察では完全に否定されて
いることである。

※ソマチットは癌患者の血液中にはまったく存在しない。

理論的にも、おかしなことだが、夫も私も、また一緒に行った同胞団も、
夫自身の血液中を動き回るソマチッドやソマチッドの抜け殻である
16番目の葉状体をいくつも確認している。
(「ソマチッドと714Xの真実」にも詳細が書かれている)

 こうした一連のことについては、ネサーン氏本人に会い、セミナーを受け、
取材もしている著者の稲田芳弘が「ソマチッドと714Xの真実」第6章
「日本のソマチッド事情」で詳細を伝えているので、ぜひご高覧いただければ、
と思う。
http://books.creative.co.jp/
http://books.creative.co.jp/book_detail.php?id=12

以下のウイキペディアの記述とぜひ読み比べてみることをお勧めしたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ソマチット
http://ja.wikipedia.org/wiki/ガストン・ネサン

さて、果たして、ネサーン氏は、この日本での動きを知っているのか
と言えば、もちろん薄々ご存知である。これに対しては、ガストン・ネサーン・
アカデミーに2年ほど前にメールで知らせてきている。

 その中で印象深いのは、「自社製品に『ソマチッド』という名称を
使うことはない」という下りであろう。なぜなら、ソマチッドは、
どんな生き物にも存在している生命の最小単位だからである。つまり、
「別の言い方をすれば、全てがソマチッドです!新鮮なニンジン、
ヤグルマギクの搾り汁・・・それから庭の黒い土もです!」ということになる。

 ソマチッドとは何かを理解する人こそ、きちんとした記事を書ける
人材なのではないだろうか。その意味でも、現在のウイキペディアに
見られる記述は、疑問だらけである。
 
 最後に、ネサーン氏ご夫妻からのメールをご紹介させていただくので、
ぜひともお読みいただきたい。(改訂版「ソマチッドと714Xの真実」
第6章「日本のソマチッド事情」及び第7章「セミナーに参加して」の
中の「ネサーン氏ご夫妻の人間的魅力(萩原優)」に詳しい)
 
「この意図的な混迷の中で、私たちは皆様方を使者とし、誰に対して
であれ、戦いを挑むようなことを望んではおりません。私たちのやり方は、
全く別なのです。どうぞ、そのことをご理解ください。私たちは、
生物学における新しい考え方を推し進めるためではなく、商業上の目的から
「ソマチッド」という言葉を横取りし、平気で使用する(製品にソマチッドと
いう名を付け)不誠実な人々に対し、いかなる訴えも強制も監視も行わない
ということをお分かりください。

 私たちのために、あるいは私たちを守るために行動しなくてはならない
などと、お思いにならないでください。皆様方には、この不正を正すという
任務は一切ありません。

このようなペテンは、時間の働きによって、すぐに解決するでしょう。
私たちは、経験から、このような状態は直に鎮まるものと考えます。
しかしながら、そちらのネットワークに属する全医師とともに立ち上げた
事業において、AIOSグループとして前進するために、この状況をはっきり
させる必要があるとしたら、その場合には、それを一つの決定として、
私たちは尊重いたします。このような状況がそちらの業務上の
ネットワークに害を及ぼすことのないようにするためにどのような行動を
取るべきか、私たちより皆様方の方がよくご存知でしょう。(中略)

結論 
 私たちは、このような争いを続けることは無益だと思っております。
なぜなら、却ってこのグループを重要視することになるからです。
このグループは重要視されるに値しません。あちらから話し合いを
再開するよう何度か働きかけがありましたが、2008年8月以来、
私たちからは連絡を取っておりません。あちらのグループにネサンの
名前を付けようという誘いもありました。

 もし皆様がこのグループに対して行動を起こすことが有用と
考えられるのでしたら、何に捕らわれることなく、ご自身の流儀で、
しかるべく方法により、立ち止まることなく行っていただければと思います。
(中略)

 私たちでさえ、「ソマチッド」という言葉を自社製品の名称に
使うことはありません。それを使っても無意味です。それこそが、
彼らが何も理解しておらず、不正を続け自分たちの製品を売る
ためには(もしかしたら素晴らしいものかもしれませんが、
ソマチッドとは何の関係もありません)、その重要性を知ろうとも
しないということを裏付ける何よりの証拠です。別の言い方をすれば、
全てがソマチッドです!新鮮なニンジン、ヤグルマギクの搾り汁・・・
それから庭の黒い土もです!」(以上、ネサーンご夫妻のメールより抜粋)

このメールを読み、どのように感じられるだろうか。おそらく、
稲田も、ネサーンさんご夫妻同様に感じていることだろう。

 少なくとも、「ウイキペディア」は、その記述の内容によって、その
「記事価値」に疑問が持たれ、変更や書き換えが発生することも珍しくない。
「千島学説」にしても、いまだに、事実と違うことが書かれ、同様の印象を
受ける。その意味でも、ネサーンさん流のお言葉を借りれば、それほど
重要視するものでもないのかもしれないが、それにしても今回のネサーン氏の
情報が偏り過ぎているのは、正真正銘の事実と言わなければならない。

改訂版「ソマチッドと714Xの真実」
http://books.creative.co.jp/book_detail.php?id=12

 

 〜〜〜〜〜〜自然ガイドと宮丘公園散歩の集い(6/26)

稲田陽子

 熊の姿は、見掛けなかったけれど、熊がやってくるほどに、
自然の豊かな公園なのが、宮丘公園である。以前、自然ガイドの
矢島慶子さんが、熊と鉢合わせして、動じることなく無事熊の前を
通り過ぎたという経験をお持ちだが、さすがにこの日は、熊が歩く
ことで定評のある「市民の森」には足を踏み入れる予定はなかった。

 午前10時を回ると、早速、ガイドの矢島さんの引率で、その小さな
「大自然」のそばの芝生広場に到着。そこで、響きの杜クリニックの
西谷先生、気功操の関映子さんのお手本を見よう見まねで、皆で、
心地よい気の体操に挑んだ。身振り手振りを合わせるのは、大河の
ゆったりとした流れを思わせる中国の音楽である。空は晴れ渡る
初夏日和、白い雲が穏やかに流れていくなか、いかにも広々とした
空間で気の流れを呼吸とともにゆっくりと体感してゆくのだ。
西谷先生も関さんも、実際に中国まで行って、この独特の「気功操」を
習い、帰国後は、ガンの患者さんにも一般の人にもぜひ広めて、
日々実践してもらいたいと、円山公園で毎朝この気功の指導を
行なっている。

 ひとしきり身体を緩めた後は、いよいよ矢島流自然観察のひととき
である。人間も呼吸が大事だが、地球の生物は、みな呼吸をしている。
矢島さんが35億年以上前から存在するシアノバクテリアという藻類を
新川の土手で採取してきたというので、まずは、「酸素呼吸の立役者」
であるというその生物を見せてもらう。これを皮切りに、私たちがみな
生物という自然な生き物であり、進化の過程にいるのだということが心に
想起されつつ、次第に自然界の雌雄の話に矢島さんの話題が移ってゆく。

 松の木を観察すると、にぎにぎしく花粉を付けた雄と「若い淑女から
ほっちゃれ」(笑)まで、いのちの讃歌をうたっている。そこにあるのは、
まさに千賀一生さんのタオコードの世界。いのちの祝祭に沸き立つのは
晴れやかにさえずる小鳥たちだけではない。それにしても、いのちの
営みはシンプルで美しい秩序に根ざしているからこそ、「讃歌」になって
いくのだろう。

 この讃歌は、矢島さんが言っていた「fate is kind」と相似でもある。
運命は、願いをかなえる方向にいのちの意志をサバイバルの方向に
向かわせるからだ。

 葉にできる虫こぶという現象にもそんなことを感じさせられた。
緑豊かな若葉に大豆大の虫こぶが出来ている。一目見てこぶが出来ている
という印象であり、病気だとも思ってしまうように、これは、まさに、
植物のガンのようなものだという。しかし、ここで言う「ガン」は、
生命の共生という視点から考えてみるべきなのだと思う。 

 春は、いのちの祭典の季節である。虫たちは、産卵管をちょうどよく
若葉となり生命力の湧き出ている葉に差し込み、卵を産みつける。
すると、どうだろう。葉は、異物を認知しながら、細胞を増殖させて
こぶ状のものを作るのである。卵は、その中で保護され幼虫に成長していく。
そこにはいのちが共生していく姿がある。ここで面白いのは、
葉の細胞が増殖して変形してでも、葉全体が生き延びることだ。

 人間がガンになった場合を思い起こしてみると、わかりやすい。
つまり、ガンは、全体の血液を浄化させるために体の毒素を自ら集めて
出来るとも考えられる。このふたつの事例の共通点は、体の一部を
ガン化させることで、全体が生き延びるということだろう。

 虫こぶは、この意味で、葉が生き延びるための「意志」の姿であり、
運命のサポートでもあるわけだ。

 そうこうしているうちに、ウォーキングが始まった。手つかずの自然が
道の両脇に迫り、自然観察にはもってこいの道が続く。笹の若い茎から
飛び出す黄緑色の小さな葉を引っ張ると、その茎がすっと抜ける。
矢島さんによると、それは、栄養があって空腹を満たすのに良いそうだ。
そこで、好奇心の強い参加者のみなさんが、かわるがわるその自然の滋養を
味わった。「大自然」の空気を一杯に吸いながら、食する笹の茎は、
また格別な味わいとなった。みなで、パンダの気持がわかると、ヘンに
納得するのだった。

 芝生広場から山側の宮丘公園の裏の入り口までの間の往復コースという
ウォーキングも、初夏の日差しのなか、心身に快く、あっという間に
時間が経ってしまい、気づくと、予定時間をかなりオーバーしてしまった。
もっとも、それもよいもので、時間を忘れて楽しんだひとときとなった。

 今回は、入院中を抜け出して参加されたガンの患者さんや江別という
ちょっぴり遠距離からも参加された方もおられた。少人数でゆったりとした
ひとときを過ごしていただけたなら、幸いである。

 


 

 

 〜〜〜〜緑と癒しの宮丘公園。自然が呼んでいる!

昨日のブログでも少し書きましたが、
26日(日)に、豊かな自然を残す山の公園である
「宮丘公園」で散歩の集いを開催することになりました。

爽やかな初夏の息吹の中、自然ガイドの矢島さんと
軽いウォーキングをしながら、自然の不思議さ、
豊かさに触れてみませんか。
そこは、いのちの力をたたえる緑の宝庫、
自然が呼んでいます!
ガン患者の方だけでなく、自然を愛するあなたも、
ご一緒にどうぞ!

当日は、身体をゆるめる気功操の体験もあります。
覚えておくと便利ですよ。
響きの杜クリニックの西谷先生と関さんが
楽しくご指導くださるそうです。


日時 6月26日(日) 午前10時〜2時間程度(多少の延長も)
集合場所 宮丘公園入り口駐車場、階段下。水道局の配水池のあるところ。
持ち物 水分補給のための飲み物など。
服装 歩きやすい格好で。とくに制限はありません。
問い合わせ・申し込みは、011-671-7880(稲田)
inada@creative.co.jp 
主催 じあいネット


 〜〜〜〜〜その熱き、深き生き様。10年!この希望と沈黙の生命力

稲田陽子

 それにしても、夫の生き様は、「ガン呪縛」からも「不安呪縛」
からもほど遠いところにあったが、とくにこの10年は、
最後の最後まで濃厚な体験に満ちており、
それは、まるで、私に謎掛けのように日々問いかけてくる。 

「 呪縛?とんでもない。その熱き、深き生き様。
〜10年!この希望と沈黙の生命力」は、
改訂版「ガン呪縛を解く〜千島学説パワー」に30ページにも
わたったエピローグのタイトルである。私は、これを書くにあたり、
多くの辛いことに思いを馳せながらも、夫のもっとも大切だと
思っていることを私の中に呼び覚ますことに務めた。

これまでも書いてきているように、夫は、
「起きることすべてに意味がある」という学びから逃げることなく、
むしろ、そこに自身のジャーナリストの位置づけを行なっていた
ように思う。これこそが、小我を超え、大我を求める道として、
夫が選んだ「Calling(天職)」だったとも考えられる。

 スピリチュアルな着地点から書くと、おそらく夫は、
生まれてくる前から、この摂理を計画してこの世界にやって
きたのだろう。N.I.くんが飛び込んできた一時期の関わり合いも、
(中間生などで)お互いに納得の上、仕組んだものにちがいない。

 「エコろじー」は、いのち全体の生態系を扱う非常に広義な
ポリシーを有していたものだった。だから、地球に生きる私たちの
問題をともに共有することにも視点があった。
すでにエコろじーは廃刊にしてしまったが、
「地球のカタストロフィー」が私たちのくらしにまで入り込んできている
いまの時代でこそ、そうした視点は容易に理解され、共有され始めている
のではないだろうか。まさに夫が発展させようとしていた「愛と共有」
こそが最終的に「エコろじー」のテーマだったのだと思う。

 夫のラジオ番組「ガン呪縛を解く時間」でオープニング曲
「星に願いを」とともに夫が朗読する宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の
詩に次の下りがある

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ

東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニワタシハナリタイ


 夫がこの詩にたくしたものは、何だったのか。
ただ小我の世界ではなく、大我の世界にすべての存在が飛翔する理想を
イメージしていたのか。夫は、その秘めたる激しさは原動力として
蓄えていたものの、戦いを好まず、「運動」という「運動」、
「組織」という「組織」には基本的には決して加わろうとしなかった。
あくまでも「個」であることを原点とした「ジャーナリスト」
「自由な思索クリエーター」として、その言論は次第に「沈黙」の中から
言葉を捜し始めていったように思われる。

さて、私は、この改訂版のエピローグに、「夫のガン」を通して
ぜひ解決が必要な問題や課題も取り上げた。例えば、ガンの三大医療を
拒絶した場合の「主治医(拠点医療機関)なきガン難民」問題、
それに関連して代替医療を選んだガン患者の合併症の問題と緊急医療、
現実の統合医療の矛盾と課題などについても言及させていただいる。

改訂版の詳細は以下をどうぞ。
http://books.creative.co.jp/
http://www.creative.co.jp/top/main3918.html

 

 〜〜〜〜〜その熱き、深き生き様。10年!この希望と沈黙の生命力

稲田陽子

 夫は、ガンの検査の一年前だったものの、このときすでに
ガンを発症していたわけであり、こうした「ネット村社会」
という新たな現象が押し寄せ、さらに大きなストレスを受ける
ことになった。当時は、ネットには成熟した言論がなく、
右か左かの極端な反応が「狂乱状態」のまま「ネット村社会」
に露出し、「事実、真実」はその声高なきょう声にかき消されて、
日本全部が「自己責任論」という一つの「空気」に呪縛されて
いたかの感があった。私たちは、それはおかしいと言っていた。
そこには、愛も人道的視点もまったく欠落していたからだった。
実際、私たちは、このN.I.くんしか知らず、ほかのお二人とは
面識もなく全く無縁だった方たちだが、そんなことはおかまいなしに
ぶしつけな人々の「舌禍の罪」は止まなかった。

 当時のこちらのHPの一日のヒット数は、199万にもなるほどの
「狂乱」ぶりだった。もちろん、ご支援くださる方もそれだけ
多かったということでもある。一方、夫は、「逃げない」で、
日本の大手メディアに丁寧に対応し、情報ツーという番組にも
出演するほどだったから、かなり注目されていたと言えるらしい。
もっとも、私も夫も連日どんなに多くの報道陣が我が家を取り巻こうとも、
締め切りのある月刊誌の制作や当社の「エコろじー」の執筆制作が
あったので、朝からワイドショーなど見ている暇もなかった。
だから、どういう視点で取り扱っていたのかも詳細は不明であった。
日々の仕事があり、そんなことに関心を持つほどヒマではありえなかったのだ。

掲示板に実名で書かれる「悪口」にも、夫はいっさい
かかわらなかった。それは、おそらく夫の内面深く見えない葛藤を
内在させていたのかもしれなかった。私の方は、その匿名の仮面を
つけた非礼な投稿者たちに「事実」に目覚めてもらいたく、
投稿をした覚えもある。当時、夫への人権侵害と名誉毀損
(私にたいしても、だが)をした投稿者は、いまどんな
「カルマ」を背負ってしまったことか。

 確かに当時の「ネット村社会」での狂乱ぶりは、「事実」とかけ離れ、
すざまじいものだったが、多くのメディアが取材にきた後は、
こちらに向けられていた関心は次第に引いていった。それは、
実際の事実が彼らの想像と意に反して、こちらには話題にもならない
くらい当たり前の日常があるだけだったからである。

 夫は、「日本に真のジャーナリズムはない。いかに日本社会が
単一の空気に弱く、その空気に呪縛されているのか」と私に
語ったものだった。まさに山本七平が著した「空気の研究」にある
「空気(アニマ)」が日本全国を渦巻いた事例であろう。
高校生のN.I.くんは、皮肉なことに、実際のイラクの経験よりも
「日本のイラク問題」に巻き込まれたことの方が、ショックが大きく、
精神的に立ち直るまでかなりの時間がかかったというのを後日
何かで読んだが、一度お見舞いにお宅を訪問以来、我が家へは
全く彼自身からの音沙汰がなくなった。後は、「ネット村社会」の
怪しげな言葉がいつまでもその心を反映するようにネットに醜く
残っているだけだった。そうしたなかで、地元紙などは、
事実を整理しており、N.Iくんに好意的な取材をしていたのを
書き添えるべきかと思う。

 夫は、自らもフリーランス時代に「冤罪事件」(幸い記事には
ならなかった!しかし、こちらの方からも謝罪はない)に巻き込まれて
いるだけに、どこかしこの権威筋のリークをそのままにまるで広報記事を
流すように報道してしまうような日本のメジャーなジャーナリズムに
大きな疑問を抱いていた。

最近つとに思うこと(2010年の9/26 夫のブログの中に冤罪事件の詳細)
http://www.creative.co.jp/top/main3870.html
★冤罪の寸前で脱出できた「クーデター首謀者?」の体験記
http://www.asyura2.com/10/senkyo95/msg/801.html

いつも、言っていたのは、生涯ジャーナリストであることを貫いた
ル・モンドの創設者であるロベール・ギランのことである。
彼は、若き日々に出会った尊敬すべきジャーナリストであるという。
ロベール・ギランは、いわゆるCEOという立場であっても、
一人のジャーナリストであり続けた。だから、この「ジャーナリスト」は、
それ以上でも以下でもない。日本のように、「偉くなって」「管理職」に
なると、「記者職」を引退するような「サラリーマン」体質とはどうやら
違うらしかった。そのため、記事には責任を持つために署名入りに
するのは向こうでは常識であるというのも、私は、夫から教えられた。
匿名で書くこと自体が、自分の記事への責任がないということと
同義になる。

 そうした本当のジャーナリズムを求める思いが、「エコろじー」の
発行につながっていったのだった。いまにして思うのは、
夫がバランス感覚に優れた「言論のル・モンド」を念頭に置いた
だけあって、発刊を停止したのは本当にもったいないことであった。
 話が横道にそれてしまったが、比較的長期に渡った当時の
非日常的なストレスもガンの経過に相当な影響を与えた大きな
出来事であったのは、いうまでもないことであろう。

 実はこんな話題を書く気はなかったのに、なぜかこの出来事を
ここまで書くはめになってしまった。というのも、それだけ潜在的にも
深い衝撃を私自身も受けていたからなのだ。私がこれほど忘れられない
ことであるなら、夫は、本質の熱く激しい、正義感の強い気質を
ことさら平気を装って沈め、表面には出さなかっただけに、
逆にさらに強い衝撃と憤りを抑圧させたのにちがいなかった。
それも、かつての冤罪事件の相似ともとらえられるからである。

 夫の人生は、決して長いとは言えない時間に多くのものを
ぎゅうぎゅうと凝縮した非常に濃厚なものだったように思う。
無理も重ね、それでも「起きることはすべて意味がある」として、
まずは受け止めることを主義としていた。何が起きようとも、
それに対し果敢に「受容」し、そこから洞察していく、
そういう人だった。

 思えば、夫のガン発症の少なからぬ原因となったと思われる
「有機リン中毒」にしても、普通の人なら遭遇しないことであろう。
これは、エコろじーを発行した当初、隣家の工事ミスで
シロアリ駆除剤の被曝をしたある家に私たちが取材をし、持ち帰った
書物を読みふけった夫がその本から立ち上る「ガス」を吸い込んだ
ために罹患したものである。

 この家は、裁判で負けてしまったために、それまで関心を
寄せられていたマスコミからも見放されていた。そこで、
その事件のために重症の化学物質過敏症にみまわれた親子が
朝日新聞に折り込まれていた「エコろじー」を読み、いわば
救いを求めて必死のSOSを発信してきていたのだった。
 夫は、この尋常でない事件の後遺症をまさに身体ごと担って
しまったわけであり、これがまた、夫の人生を左右するものに
なってしまっていた。

 おそらく、このころから夫は、本来の目的に向かって歩み出して
いたとも思われる。つまり、「起きることにはすべて意味がある」
という信念に従い、自ら決めてきた課題をこなすために舵を
取り始めたのだ。だから、決してガンを治すことに集約した人生とは
ならなかった。基本的には、摂理とともに「メビウスの輪」を共有し、
十分に運命に救われながら、ガンと共存してきたと、
言ったらよいのだろうか。

 夫にも、夫のガン細胞にも「fate is kind」は、十分に当てはまっていた
のは言うまでもないことだろう。夫は、あれほどの過酷な摂理を共有
しながら、そこに巻き込まれることなく、怜悧な洞察力を有しつつ
もっと大きなものにすべてを包括しようとしていたように思う。それは、
最後の試練であった昨年の夏の出来事に対しても、本質的には変わらず、
最後にはいっそうゆるぎないものになった。
 
 さて、矢島さんと私は、肌寒い風に揺れる緑の狭間からしばし温かい
日差しに恵まれた公園で、当日の打ち合わせに加え雑談などをした
のだったが、夫の話になると、矢島さんは、「つまり、芳弘さんは、
過労死だったのでしょう?」と、当たり前のように独特の言葉を添える
のだった。

 その通り、ガンとは本来は治る病なのであり、それが本人の
選択と摂理の影響を受けるというのは、他の病と変わらない
ということでもあろう。

改訂版「ガン呪縛を解く」
http://books.creative.co.jp/

 


 

 

 〜〜〜〜〜その熱き、深き生き様。10年!この希望と沈黙の生命力

稲田陽子


 先日、自然ガイドの矢島さんが、26日のじあいネット主催
「宮の丘公園ウォーキング」の下見に我が家のすぐ裏にある
「宮の丘公園」を訪れた。
 一月程前には明るい黄緑の葉が芽吹いて茂り出し、
冬が去ったあとの公園に明るい彩りを蘇られていたころだった。
遅い春のサクラが小さな葉を携えて、見事に咲き誇っていた。
そのころは、まだ、改訂版の編集作業に追われており、
5月11日という発行日だけがすでに決められたまま、私の中で
ただただ一人歩きをしている。実は、この11日にこだわったのにも、
理由があった。初版「ガン呪縛を解く〜千島学説パワー」の
発行日は6月14日だが、それ以後の改訂版の発行日は、
本の奥付にある通り、すべて11日と夫が決めているのがわかる。
しかも、夫の誕生日も11日であり、夫が旅立ったのも、11日だった。
だから、私は、何が何でも、改訂版の発行日を11にしようと思い、
短期間に仕上げようとかなり焦っていたことを思い出す。

 それから一月、若葉は少しずつ色濃くなり、キャンバスに色を
重ね始めようとしている。矢島さんが来られた日は、多少肌寒く、
春の始めに舞い戻っていた。
 クマザサが、サクラの木々の傍らに、その越冬の衣をつけたまま、
一方で生まれたての小さな綺麗な黄緑の手を出している。
 「クマザサは、元々は竹の仲間。これが寒いところに生息する
fate(運命)に適応するには、保温の衣を着ようと進化していく」と、
矢島さんが、夫のラジオ(FM)番組「ガン呪縛を解く時間」の
オープニング曲「星に願いを」の英語版にある「fate is kind」に
ひっかけて解説してくれる。

 こうした現象がいのち本来の原理であり、姿であるのは、
「千島学説」でも言われていることである。つまり、自然界の
すべてのいのちの運命は、その生命の生きのびようとするちからを
常にサポートしている希望に満ちたものなのである。

 そんな早春のような息吹のなか、いのちの復活を思わせる
自然界の働きに目をむけながら、ガンという現象のことも
考えさせられていた。おそらく、ガンも自然界の生態系の
一つの異変であるが、この宿主が運命から見放されるということを
意味しているわけではない。宿主の生態環境に異変が起きるのも、
その全体性がそこなわれたためにほかならない。全体性とは、
精神と肉体、そして宿主の生きる環境全体を指している。
矢島さんの言われる「運命」とは、その大きな意味での生態系の
思念であり、その意志こそが進化への希望だということなのだろう。
矢島さんは、ラマルクの進化論を念頭に置いて話をされている。

 そうした思念の中に自然治癒力が存在していると言っているのが、
まさに「千島学説」だと言える。生命は、どこまでもその生存の
意志に素直である。つまり、自然治癒力がある限り、
ガンは怖いものではありえず、「運命」もまたガンを恐れてはいない。
「ガン」が自然治癒力の疎外から発症するとするなら、「
ガン」の治癒は自然治癒力の回復にすべてがあることになる。
ここから「ガンで死ぬことはない」という言い方も生まれてくる
わけであり、夫がいつも言っていたように、ガンとは共存でき、
また完治の希望もあるということにもつながっていく。

 夫も、こうした観点から「ガンの三大治療」を行なわず、
ガンを発症したと思われる時期から10年もの長きに渡り、
ガンとの共生をした。何も治療をしなくても、
「男性乳ガンの予後は悪く、進行も早い。緊急に手術、抗ガン剤、
放射線治療をしないとどんどん進行」という医師の予告は実現しなかった。
しかも、ガンを発症したと思われる時期から5年間は、
検査もしていなかったから、ガンであることすら認識していなかった。
検査をした6年前は末期ガンの一歩手前の進行がん3b期であり、
その後何も治療をしないでさらに5年8ケ月の生存を果たしている。
言い換えると、足掛け11年近くガンと共生したことになる。

 夫は、全く「ガン」を恐れてはいなかった。始めの5年は、
体調が悪いときに糖質栄養素を飲むことと、ときどき我が家での主食の
玄米を食していたほかは、締め切りに追われるストレスだらけの
職業生活を送っていたのである。

 後半の5年間は、ご存知の通りである。確かにガン宣告は、
真剣に受け止められ、生き方や暮らし方を検討し、食も以前よりも徹底。
サプリメントも集中して飲む努力をして休養も取ることにも心がける
ようになった。このときは、「ガン呪縛を解く」のhpへの連載に
張り切っていた。その数年前、1990年代の後半にはすでに「Y2K問題」の
本を出版し、テレビにも呼ばれるなどジャーナリスト「稲田芳弘」の
活動も表立ってすることもあった。

 その後、ガン宣告の一年前には当時高校生のN.I.くんが、
「ジャーナリスト」の夫と話すのが面白く、それを目的に学校の勉強を
持ち込み、我が家のドームで夜中まで話したり、勉強したりしていた
一時期がある。この何気ない出会いが、その後の夫の人生にも影響を
与えてゆくのだから、不思議なものである。そのころのN.I.くんは
「ライター」に憧れ、「世界」という雑誌に投稿しており、
その編集者から関心を持たれていた様子だった。ユニークな高校生がいると、
その雑誌から取材もされて、そのときに夫のことや当時発行していた
「エコろじー」(環境情報オピニオン紙・不定期で朝日新聞に折り込み)
のことなどを話している。しかも、高校生なのに、早稲田大学などで
講演活動まで幅を広げていた「弁論の志」だった。しかし、夫は、
彼の持ち味とも言えたその「行動力」をいさめることもあった。
きっと、彼にもっと慎重に物事を洞察した方がいいと、諭していたのだ
と思う。「始めにここに来たときには、たくさん本を読んで、
ものごとを見据えて行動していたはず。自分にも覚えがあるが、
若いときにはすぐに調子に乗ってしまうことがある。それは、
必ずしも自身のためになるとは限らない。いまはしっかり思索力を
養って腰をすえた方がいい」というような内容で、彼に苦言を呈する
ことがあった。彼は、すでにそのとき、その能力、意欲、素直さを
見込まれてか、別の市民活動をする大人たちの信を得て、
その団体に担ぎ上げられていたのではないかと思われるような
印象だった。
そんな状況にある彼に、夫は、何かがずれてきていると
感じていたのだろうか。
そうこうするうちに、自身の活動にのめりこむように彼の足が
我が家から遠のいた。

 確かに、それほど書いていないのに、「エコろじー」に書いている
という話が彼の印象に添付されていた。彼はビジネス用の肩書きに
「エコろじー記者」というものを付け加えてもいたのだ。
それはとりあえずは良いとしても、私は、当時の彼には、ライター
とういうものが表面とは異なり、実際は地味で地道な仕事を担っているのを
どうやって伝えるべきか、しばし考えることもあった。
だから、「エコろじー」に書くからには、絶えずゆるぎない
スタンダードな記述力を養ってもらいたいと思い、故意にメールで
彼の原稿にちょっぴり塩辛い添削をして返信することもしたものである。
最初は、高校生の生の声だから、多少の不備があってもいいし、
それが未熟でも若さの論点、視点が表出されていればいいと、
甘い点数を出していたが、やはりそれではいけない。
夫は、もっと大雑把に見守っていたようだ。私も同様に成長は見守るが、
だからと言って基準を下げてもいけない。

 それからしばらくして、その彼がイラクの何と人質事件に巻き込まれた。
彼の命を助けるためにこちらのHPでも、当然のことながら
支援を呼び掛けたのだが、そのあたりから、なぜか雲行きが怪しくなった。
それは夫の人生にも影を落とすことになった。
N.Iくんの生命を助けるために支援したのが、逆に、彼は自作自演を
しただのその黒幕が夫だのと、ばかばかしいほど愚かな言い回しが
まかり通るネット掲示板で騒がれ、それをまた話題に日本の物見高い
ワイドショーまで我が家に乗り込んできたのだ。こんなことが
あり得るのかとも思うが、まさにへんてこりんな「日本のイラク問題」に
私たちまでもが巻き込まれたカタチになってしまった。

つづく

 


 

 

 〜〜〜〜〜〜〜「ガンは誰が治すのか」

先週の29日は、札幌で松野哲也さんの講演会がエルプラザで開催され、
そのとてもなごやかな雰囲気のまま、懇親会も会場を別にして行なわれました。

松野先生は、震災の地も巡る講演予定でいらっしゃいますが、
明日(正確には今日)は、関西は清水ご夫妻のサラ・シャンティで、
以下のような講演会があります。
今回は、体内被曝による発ガンのお話もされるそうです。
告知が遅れてしまいましたが、お近くの方は、
ぜひ聞きにいらっしゃってはいかがでしょうか。(稲田陽子)


 ガンは誰が治すのか?
○ 国立研究機関で抗ガン剤開発を目的とした基礎医学研究の時代。
○ プロポリスを広めたパイオニア的存在として注目されたこと。
○ その後コロンビア大学で抗ガン剤開発と研究に絶望した経緯。
○ ご自身もS字結腸ガン(大腸ガン)を発症し、治療することなく
  ご自分で調製したプロポリスを飲みながら、自らを実験台にして
  治癒を必死に暗中模索した体験。
○ 現在の考えに至った経緯と現代医学の及ばない「生命観」の領域。
○ この度の福島原発事故による甚大な放射能放出。深刻な内部被爆
  から発症するガン、その対策について。
○ 現代医療に欠けている「意識」の問題を参加者との質疑応答により
  忌憚のない考察をしていただきます。

一部  ガンは怖くない 10:30〜12:00  
       参加費 2000円  当日2500円
        ※食事休憩1時間
二部  ガンは誰が治すのか 13:00〜14:30
      参加費 3000円  当日3500円 
         ※休憩
質疑応答  14:40〜16:00
参加費: 通し5000円 (要予約)定員60名
        当日6000円
 ※終了後に茶話会もあります。(無料)

会場: サラ・シャンティ 阪急六甲南口より西へ2分
申し込み サラ・シャンティ事務局
電話/FAX: 078-802-5120
メール: sala_santi@rondo.ocn.ne.jp
詳細: http://www.npo.co.jp/santi/
健康道場サラ・シャンティ 
http://www:npo.co.jp/santi

 

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